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平成25年8月号

query_builder 2013/08/01
サプライ通信

岡社長の今月のアドバイス『靖国神社の役割とは?』ほか・・・
診断士 松下から見た『“決算書”の活用法』
社労士BSの労務トラブル対応110番『時間外労働の計算方法は1分単位??』
BS海外コラム『大連紀行 その3』
コンサルタント小出の今月の気になるキーワード『ABC分析に基づく在庫管理』

ちょっとひといき・・・♢♢おしゃれ編♢♢『笑顔がはじける素敵なファッションショーに行ってきました!』
関与先様からのご投稿『㈱ウェルス・マネジメント 濵様より』
関与先様からのご投稿『㈱ザメディアジョン 山近様より』
BS・なるほど!?質問箱『平均賃金の出し方とは?』
BSより 自社セミナーのご案内『法人営業社員のための決算書120%UP活用術』『短時間でわかる中小企業の退職金制度作成』『“最新”経営者が取り入れたい3つの戦略』

≪靖国神社の役割とは?≫

和歌山県伊都郡九度山町の九度山中学校の向かい側の小高い丘に私のご先祖様の墓があります。東京での仕事が中心で、年間120回の講演、60~70回の社員研修、既存客300社の訪問、100回の個別相談会の実施等でほぼ休日が無い状態ですので、墓参りは4年前に行ったきりの状態です。
 その際、広い敷地の中である異変に気づきました。 今から40年以上前には毎年のように大阪から車に酔いながら4時間くらいかけて墓参りに行ったものでしたが、当時は先祖供養の意味もよく分かっておらず、暇を持て余した兄とともに敷地内の他所の墓を見て回り、頂点が角錐(かくすい)型の墓(戦死した軍人の墓)に刻まれている軍人の階級をみて、「こっちには陸軍上等兵の墓があった!」、「こっちは陸軍中尉や!」などと対抗し、より階級の上の人の墓を探したものでした。
 私の記憶では6~7件に1件くらいの割合で角錐型の戦死した軍人の墓があったと思います。
ところが、前回久しぶりに墓参りをした際には、墓地の風景が変わっており、あれほど沢山あった軍人の墓がほとんど無くなっていたのです。 もしやと思い、供養する人(永代供養)がいなくなり、連絡も途絶えた場合に一定の期間を経て移動させられる「無縁仏」の敷地に向かうと、そこには多数の角錐型の見覚えのある墓が放置されていました。 その時の悲しい思いは今も鮮明に覚えています。 国のため、郷土のため、残された家族を守るため、日本の男たちは心ならずも国難に立ち向かい、出征していったのです。九度山出身の部隊の多くは激戦地に送られ、命を失ってしまったのです。その中には多くの家の跡継ぎの方もいたことでしょう。 私が幼少の頃に見た角錐の墓は、その多くが跡継ぎを失った親が供養していたのです。 そしてそれから数十年を経て、その親の世代が死に絶え、供養する者がいなくなり、無縁仏になってしまったのです。 恐らく日本中で同じような現象がみられるのではないかと感じます。
国家のために命を失った方々を供養するのが靖国神社です。 下記の戦歴は靖国神社から発行された、私の妻の祖父の記録です。写真、出身、戦死年月、戦死場所等2ページにわたり詳細な記載があり、遺族を慰めてくれます。

戦歴)
昭和14年7月、教育召集により姫路輜重兵第10連隊に入隊、1カ月の教育を受けた後北支(中国北部)に派遣され同地の治安維持のため奮闘、同年15年10月召集解除となり除隊帰郷。 昭和19年4月26日姫路中部第四六部隊へ応召、同12月29日比島(フィリピン)派遣軍豹第12021部隊 岡田隊に属しミンダナオ島の守備に当たる。
昭和20年7月15日 米軍の大艦隊に掩護された優勢なる敵兵上陸し来たり、一進一退の大激戦となりたる折、敵弾命中しここに壮烈なる戦死を遂げた。
戦死場所は比島ミンダナオ島プチノドン州シラエ方面

後1カ月で終戦を迎えられたのにと思うと残念でなりません。 またその後の義祖母、義母の御苦労されたお話を聞くにつけ、何ともやりきれない思いが蘇ってきます。
 当時日本は徴兵制がとられており、男性の多くは別に職業を持っていましたが、国のために逃げることなく、粛々と兵役に就きました。本当に頭が下がります。 にもかかわらず我が国の残された国民は戦争で負け、悪いのは軍人だったとGHQ(占領軍)に洗脳され、国のために命を掲げた恩人たちに仇で返しているのです。 そのような中で創立以来一貫して我が国のために戦って亡くなられた先人たちの御霊を祀ってくれている存在が「靖国神社」です。 例え郷土で無縁仏になろうとも、ここだけは一貫して、他国からどのようなイチャモンをつけられようとも戦没者を祀ってくれているのです。 本当に有難い存在です。 他国から何を言われてもこの「靖国神社」を守ることこそ先祖の御霊を供養することにつながるのではないでしょうか。 先祖に対する感謝の念を忘れない姿勢は、結果的に会社の維持や組織の活性化につながるエネルギーともつながってくるように感じます。
 株式会社ブレイン・サプライはJR水道橋駅と半蔵門線神保町駅の間にあり、靖国神社のある九段下駅にも徒歩十数分です。 我が社にお越しいただいた際には是非とも九段下の聖地、靖国神社に参拝されることをお勧めします。 何とも気が落ち着く良い気が流れる場所です。
※ブレイン・サプライから靖国神社へのMAPは5ページを参照ください。

≪ジェームス・E・アワー ヴァンダービルト大学 日米研究協力センター所長のコメント≫

先月、朴槿惠大統領の強力な支持者である韓国政界の長老の招きで3日間、ソウルを訪れた。 韓国の政治家、政府当局者、経済人たちと、頼んで面会し、北西沿岸にある韓国海軍基地の訪問にも招待された。残念なことに、会った韓国人のほとんどが日本について否定的な見方をしていた。

≪慰安婦は韓国だけにあらず≫
1998年に日本の小渕恵三首相と韓国の金大中大統領(いずれも当時)が、過去の問題に終止符を打って前に進むという合意をして共同声明を発表したときとは、彼らの意見が明らかに様変わりしたのはなぜかと問うた。 会った韓国人たちの大半が、自分たちの姿勢は98年から変わってはいないと主張し、そうではなくて、現在の自分たちの態度は、慰安婦問題や安倍政権の高官たちによる靖国神社参拝、そして竹島に対する日本の立場といった、歴史問題に対する日本人の無神経さのせいなのだ、と答えた。 私は、今の日本、韓国または米国の指導者は誰も45年の戦争終結まで中国で行われた売春の慣行を許していないと述べた。
正確な数字は手に入らないものの、貧農の親の意思によって身売りされたり、他の手段で募集されたりして、日本兵たちに性サービスを提供していた韓国の女性の数が、日本や中国、他の国々からのそうした女性の数よりも多かったということはあり得る。 だが、それは韓国人を対象に絞った計画ではなかったし、戦時中のこの事業で犠牲となったすべての国籍の女性が被った真の苦痛について、日本が心から悔いていることは疑う余地がない。 この時代の日本では売春は合法であり、占領期の日本でも性サービスは米軍に提供されていた。起きたことは正しかったとする事実ではなく、当時の規範が現在のものとは遥(はる)かに異なっていたということを示す事実である。 日本政府高官たちが靖国神社に参拝することに関しては、日本の指導者たちは、一部が神社に その名を列せられているA級戦犯をたたえるために行くのではなく、 ましてや、日本として他の国々に謝罪した行為をたたえるために行くのではない、と私は言った。
それよりも、中国政府がするような外国からの些細(ささい)な国内批判さえ忌み嫌う国が、 国家に尽くして死んだ日本の兵士たちに敬意を表す神社に日本の政治家が参拝するのを批判することは大いなる矛盾のように思う、と私は話した。

≪靖国とアーリントンは同じ≫
米バージニア州にあるアーリントン国立墓地は、米大統領や、日本や韓国を含む多くの外国の指導者たちが訪れる。 埋葬されている兵士の中には南北戦争中、奴隷制を支持する南部のために戦った者がいるにもかかわらず、である。 今日、先進的な世界の大方で奴隷制は容認されていないが、それを信奉した南軍の兵士たちは墓地から排除しなければならない、と要求する者は誰もいない。
韓国人と話し合って最も厄介な問題は竹島だった。 私は、日本に有利な法的根拠ゆえ竹島に関する日本の見解は変わりそうにないとしつつ、日本が竹島から韓国兵を駆逐すべく自衛隊を派遣することは決してないと思えるのになぜ、韓国はこの問題について心配するのをやめないのかと聞いた。 返ってきた唯一の答えが、竹島が間違いなく韓国に帰属することに日本人は同意すべきだと韓国人は考える、というものだった。
日本への不満を何ら耳にすることがなかったグループが1つだけあった。韓国海軍基地を訪ねた折である。北朝鮮魚雷で撃沈されたコルベット艦(哨戒艦)「天安」を見た。 そこで会った韓国海軍将校たちは、政治は話題にしなかったものの、危険で予測不能な北朝鮮の振る舞いに対して、日本の海上自衛隊そして米海軍と協力する必要を現実的に語った。

≪日清、日露の韓国への貢献≫
韓国の姿勢を改善するために何ができるだろう。 生まれたソウルに住んでいて、ヴァンダービルト大を卒業して以来20年以上、ソウルで働いている私の教え子の1人が、日本人は韓国人が劣等感を克服するまで忍耐しなければならないだろうと話した。 残念ながら、それは当たっているのかもしれないが、朴大統領は安倍晋三首相と折り合いをつけることができるだろう、と私は期待する。
これは日本人が決して口にしないことだが、 日本が清国と戦って1895年に同国を打ち負かし、ロシアと戦争して1905年に同国を破ったのは同じ理由からだったということは、韓国人にとって一考に値するだろう、と私は思うのだ。 日本は反韓国ではなかったが、韓国が清国に支配されることを、あるいはロシアに支配されることを恐れたのである。 もし清国が最初の戦争に勝っていたら、韓国は現在、中国の植民地になっているかもしれないし、もしロシアが次の戦争に勝っていたら、韓国はロシアの植民地になっているかもしれない。 日本の勝利はとどのつまり、韓国を自由市場経済の民主主義国という今日の地位へ導いたのである。

ジェームス・E・アワー氏のこの発言は、正に的を射た発言です。 現代はインターネットの時代であり、時間空間を飛び越え、1990年代と比較して500倍以上の情報が飛び交っています。 意図的に言論封鎖が出来る時代ではないのです。中国・韓国では書物に対する信用がないようです。何故なら国家が言論統制しているからです。韓国では大学教授であっても親日的な発言をしようものなら、マスコミの前で土下座させられ、前言を撤回させられるような恐ろしい言論統制が行われています。したがって中韓では日本よりもインターネットが普及しております。ネットを通じて得られる情報の方が、書物を通して得られる情報よりも確かであるとの考え方によるようです。
 今後も海外からこのようなコメントが多数発信されてくことでしょう。 そしていずれ真実が開示され、嘘はバレていきます。 来たるべきその日に中韓を非難するのではなく、彼らを憐れむ気持ちを持てる余裕のある国になりたいものです。 その意味でも、現在繰り広げられている国家間の殴り合いを傍目で見ながらも、一方で冷静な目で現実を見つめていくことが求められます。 戦争は相互不理解が原因で起こります。 来たるべき中国共産党の崩壊、韓国政権の交代に備え、歴史の真実を見極めていきましょう。

≪競業避止対策≫

7月の前半に当社のお客様の中で5社において退職間際のトラブルが発生しました。 短期間で5件は過去に例がありません。 何かのメッセージと受け止め、2カ月に1回実施している当社作成の就業規則及び各種規程の改定を毎月行うように決定いたしました。 特に今年に入ってから、悪質な労働者(ブラック社員)によるトラブルが頻発してきております。 そのブラック社員から会社を守り、まじめに働く労働者を守っていくためには、更なるルールの強化もやむを得ない状況となってきております。
私がよくセミナーでお話ししている即効性のある有効策は、年12回の給料と年2回の賞与を現金支給に変更することです。 小規模企業であれば実行可能と考えます。 過去には80名規模の会社にも実施していただいておりますが、見事に労働問題が収束しております。 
その一番の要因は給料を直接労働者本人に支払うことで「力関係」が明確になるからであろうと考えています。 哺乳類の世界や人類の歴史では、獲物をたくさん持って帰ってくるものが尊敬され、強い力を持ったものです。 恐らく遺伝子の中に組み込まれたこの獲物を得る能力・手段を明確に認識させる方法が、給料・賞与、ついでにいえば退職金の現金払いなのではないでしょうか。 給料や賞与、退職金の中には、

① この会社に所属することによって貰えるお金
② 貢献したから貰えるお金
③ 稼いだから貰えるお金
④ 範を示したから貰えるお金
⑤ 長く在籍しているから貰えるお金
⑥ 多く働いたから貰えるお金
⑦ 社員をまとめたから貰えるお金
⑧ 結果を出したから貰えるお金
⑨ 家庭を安定させたから貰えるお金  

など、様々な意味合いで貰えるものが含まれています。
にもかかわらず払う側は、手間暇を惜しみ、簡単にお金を払ってしまい、結果的に感謝されることもなくなってきて、結局は反発を招くことになってしまうのです。
 そこで手間暇をかけたくないのであれば、せめて入社1年あるいは試用期間の間の給料だけでも、当人を呼び出し、手渡しを行い、その際に会社の文化を経営者自らが擦り込んでいく等、工夫をしてください。 現代の経営は、明らかに社員と経営者の時間の共有が不足しているのです。形はどのようなものであれ、この時間の共有の工夫と力関係の明確化が、労働問題の予防に大きな役割を果たしてくれるようになります。
 また、何度も申し上げますが、採用の選考の段階での多くのフィルターが結果的に会社を守ることになります。 最新版のフィルターをお求めの方は、是非とも当社にご連絡ください。
ブレインをサプライします。

“人は幸せだから感謝するのではありません。感謝しているから幸せなのです”

株式会社ブレイン・サプライ  岡  弘己

≪ブレイン・サプライから靖国神社へのMAP≫

診断士 松下から見た
「“決算書”の活用法」

前回までは、キャッシュフロー計算書から見える企業経営についてお話しさせていただきました。その間、6月21日の統計心理学セミナーの経営者編、7月に行われた生命保険会社様による研修会で2回連載した「なぜシャープが経営不振に陥ったのか。キャッシュフローと経営者の交代と経営戦略」の話をさせていただき、大きな反響をいただきました。ある顧問先様では、上場している同業他社の決算書をもとに事業戦略の違いを解説、あわせて自社の将来の経営戦略が、貸借対照表、損益計算書、さらにキャッシュフロー計算書の3表にどのような影響を及ぼすのか、“将来見込み”を実際にシミュレーションしながらすすめております。

 企業経営の財務上、一番気をつけたいこととは何でしょうか?

 それは、利益が出ているからといってキャッシュが残るとは限らないことです。

 例えば1,000万円の設備投資(償却期間5年)を行った場合、
減価償却費を考えると初年度は
 1,000万円×0.400(償却率)=400万円になりますが、
2年目は
 (1,000万円―400万円)×0.400=240万円
3年目は
 (600万円―240万円)☓0,400=144万円
と減価償却費は減少します。

よって、仮に初年度の営業利益(減価償却費を差し引いた後の利益)が0万円と仮定し、翌年度も同様の売上、費用だったとすると、2年目は減価償却費が160万円減少するので、0円だった営業利益は160万円になります。その際、法人税がかかってくるので、仮に実効税率を40%とすると
2年目の税引後利益は、160万円×(1-0.4)=96万円
となります。同様に3年目には営業利益が256万円になり
3年目の税引後利益は、 256万円×(1-0.4)=約102万円
となります。

 ここでキャッシュが残るかどうか、わかりやすくみる考え方として、簡易キャッシュフロー(税引後利益+減価償却費)ベースを利用します。

すると、

 1年目・・  0万円+400万円=400万円
 2年目・・ 96万円+240万円=336万円
 3年目・・102万円+144万円=246万円

と毎年生み出されるキャッシュは減少します。特に事業の拡大を図るケースや設備の代替えを行う場合には自己資金だけでは賄えないため、金融機関からの借入が必要になります。その際、仮に年間返済額が300万円だとすると、キャッシュの残額は、

 1年目 400万円―300万円=100万円
 2年目 336万円―300万円= 36万円
 3年目 246万円―300万円=▲54万円

となり、3年目にはキャッシュは減少に転じます。よって、現状の金融機関への返済額も踏まえたキャッシュフロー予測をたてる必要がでてきます。

 今後、経営者向けの財務計画支援とともに“キャッシュフロー”の観点から顧客提案をできる営業社員の育成と両方の面でお手伝いさせていただく予定です。セミナー、研修、講座、個別支援メニューを今後ご案内してまいりますので、ご活用ください。

(松下 卓蔵)

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≪決算書関連 自社セミナーのご案内≫

法人営業力をUPする全業種の営業社員さん必見です!!

【日時】: 日程1・・・9/18(水)17:30~19:30
     日程2・・・10/18(金)17:30~19:30
【場所】:ブレイン・サプライ本社セミナールーム
【講師】:ブレイン・サプライ取締役 松下 卓蔵(中小企業診断士)
※セミナー終了後に懇親会を予定しています。
詳細は24ページをご覧ください。

★社労士BSの労務トラブル対応110番★
「時間外労働の計算方法は1分単位??」

Ⅰ.今回の課題

ある食品メーカーからの依頼を受け、食品の製造、営業をはじめ物流機能を有するA社は、大きな問題もなく、地元では優良企業として事業を運営していました。採用時には労働契約書を交わし、記載の条件通り賃金を支払っていました。
A社に7年間勤務された女性社員のMさんが一身上の都合で退職し、数カ月経過した頃に、労働基準監督署に「残業の未払い」があると訴えてきました。

Ⅱ.経過報告と対策

 A社は営業職には一定の割増賃金を含んだ形で支給し、また物流職には時間外手当を支給していました。また就業規則では時間外労働の命令・申請があった場合には、時間外労働はきちんと支払っていました。
 Mさんの入社当時は営業職でしたが、出産後は配置転換で物流職に異動しました。営業職のころは一定の割増賃金を含んだ形(すなわち営業手当)が支給されていましたが、物流部門に異動した時点でこの営業手当の支給がなくなり、実際の時間外労働に対し支払うことになっていました。この点でMさんは違和感をもっていたようでした。
上司からは始業前に清掃業務の参加を指示されたり終業後には時間外労働を依頼されることもあり、Mさんは始業時間の約10分以上前に出社し、退社は終業時間の約10数分後まで残ることが日常でした。

Ⅲ.結果

Mさんの訴えは始業前の清掃や朝礼の準備で少なくとも日々10分を要し、終業時刻後も残務処理が必要であったと伝えてきました。
そして最終的に過去2年間の時間外労働の未払いを請求してきました。
このような状況になった原因は、Mさんの計算とA社の時間外労働の集計方法が異なっていることにあります。A社では一日30分単位で計上していましたが、Mさんは一分単位で計算されていました。
 労働基準監督署の指導もあって、時間外労働の日々の集計は分単位とし、月ごとで30分単位にまるめることとし、最終的には始業前、終業後を分単位で計算し、Mさんに支払いを完了しました。

Ⅳ.今回の課題への対策とポイント

始業前の清掃業務は就業命令であれば時間外の賃金として支払う義務があり、1日の時間外労働については1分単位で管理をしなければなりません。但し、一か月の残業時間の合計により30分未満を切り捨てて計算することは認められています。たとえば一か月の残業時間の合計が10時間23分であった場合、30分未満を切り捨てて10時間とすることは合法です。日々の分単位の計算も積み重なれば大きな金額になります。一見紛らわしく感じられる箇所ですので、計算には注意が必要です。

厚生労働省は、労働基準法『違反ではない』端数処理の方法を、通達(基発第150号)で下記のように提示しています。
≪1ヵ月における時間外労働等の時間数の合計に1時間未満の端数がある場合に、30分未満の端数を切り捨て、それ以上を1時間に切り上げる方法については、労働基準法違反としては取り扱わない。(昭和63.3.14 基発第150号)≫

★A社ではこの後、今回の結果を踏まえて下記の対策をとりました。
●業務を曖昧にせず始業時間から終業時間まで効率のいい仕事が実践できるよう工夫し、業務終了後は速やかに退社するような通達を社員に出した。
●以前の全員での清掃は廃止とし、すべての始業前の清掃業務は任意とした。⇒ただし月二回の全体での清掃は就業時間内での業務とした。
●時間外労働の命令書&申請書については(正社員パートタイマーに限らず)事前に上司と本人は業務の内容、理由、予定時間を記載・確認(押印)の上、実施することとした。
⇒また上司は部下の時間外労働の状況を常に把握するように時間外集計表の書式を作成し、常に進捗状況管理が出来るようにした。
⇒さらに月度の時間外労働集計表には本人の確認(印)をもらうこととした。
●給与明細には当然時間外労働が明記されているので上記の集計表とギャップ(差異)があればすぐに申出るように指導した。
●効率の良い仕事、時間外労働を削減できた人は賞与で還元する方向で検討、実践した。

(上田 幸俊)

《大連紀行その3》

さて、二〇三高地を離れ、旅順市街に戻ります。
旅順市街には数々の歴史的建造物が残っています。
まずは、旅順刑務所です。

ここはロシア租借地時代に建てられ、日露戦争後日本が引き継ぎ拡張しました。1945年ソ連軍が旅順に入った後解体されましたが、1971年7月に再建され、「旅順日露監獄旧址」として当時の様子を再現しています。

囚人服の展示です。刑務所には主にその時代における満州と朝鮮の反日人物の他、ソ連やエジプト、日本国内の反戦的な人物も拘束されていました。1906年から1936年間に累計2万人余りが収監され、1942年から1945年8月の間には約700名が殺害されたそうです。

中はこんな感じ。刑務所です。

安重根が監禁されていた部屋。安重根はご存知伊藤博文を暗殺した韓国人でこの刑務所で絞首刑が執行されました。韓国の英雄であり韓国人観光客のためにか遺品等の特別展示も行なっています。

1907年に日本が拡張した部分です。
ロシアは「青レンガ」、日本は「赤レンガ」を使ったので、両国の施工部分がわかります。

日露戦争当時の武器や日本が当時建てた記念碑等の展示もあります。
満州各地には、かつて日本人の建てた慰霊碑や記念碑が数多くあり、日本の敗戦後、特に文革時にはその多くが破壊されましたが、旅大(旅順、大連、金州)にあったものの一部をここに集めたといわれています。

乃木大将の詩碑。乃木大将が二百三高地を落とし満州の戦線に向かう途中、激戦のあった金州城下南山の荒涼とした丘に立ち、その感慨を詠ったものです。この地で長男も戦死しています。「詩吟は山川草木で始まり、山川草木で終わる」と言われるぐらい有名な詩です。

山川草木轉荒涼 十里風腥新戦場
  征馬不前人不語 金州城外立斜陽
            乃木 希典

それでは、旅順監獄を離れ、次は旅順博物館に移ります。

多くの展示がありますが、なかでも大谷探検隊の第三次探検の折、トゥルファンで発掘したミイラが有名です。大谷探検隊は二〇世紀初頭に日本の浄土真宗本願寺派第二十二代法主・大谷光瑞が、中央アジアに派遣した学術探検隊で、シルクロード研究に貴重な業績を残しました。1902年〜1914年の間に、前後三回にわたって探検が行われましたが、戦時中という状況も重なり活動の詳細は不明です。

続いては、旅順博物館本館の向かいにある関東軍司令部旧址です。1932年満州国が成立し、新京(長春)に移転するまで司令部だった建物です。今は博物館として、一般に開放されています。
関東軍はご存知のとおり、日本の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊を前身とします。司令部は当初旅順に置かれましたが、満州事変後は満洲国の首都である新京(現・吉林省長春)に移転。「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来します。張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行したことは、西暦1920年代からの国家外交安全保障戦略を、現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく左右する契機となりました。

展示は、関東軍の概要から満州事変、満州国設立、七三一部隊に至る日本の悪逆非道の歴史という趣で、先の旅順刑務所でもそうでしたが、もうここまで来ると日本語はうかつには話せません。ショッカーの博物館に入った元ショッカーという感じです。

博物館の出入り口に左下の写真の文章がありました。最後にご紹介してこの稿を終わります。

「人々は歴史を拒絶することはできない、歴史は我々に知恵を授けるから。
人々は歴史を忘れることはできない、歴史を忘れることは事業(社会的活動)に対しての裏切りを意味する。
人々は歴史を無視してはならない、さもなくば歴史の懲罰を受けることになる。
人々は歴史を断ち切ってはならない、昨日を否定すればすなわち明日を失う。」 

(この項続く)

(坂井 優)

《第15回:ABC分析に基づく在庫管理》

今回は、前回ご説明した「ABC分析」の活用方法をお伝え致します。振り返りになりますが、ABC分析とはパレートの法則(※)を前提にした考え方です。(※パレートの法則(2:8の法則)とは、全体の数値の大部分(80%)は、全体を構成するうちの一部(20%)の要素が生み出しているという考え方)つまり、在庫金額の総額の80%が全在庫品目の20%で占められているという考え方です。

<Aの管理>
 A品目群の商品を重点管理品目として取り扱います。いわゆる自社における「売れ筋」という分類です。自社の当該カテゴリー売上の約80%を占めるので、欠品は絶対に避けないといけません。A品目群において欠品を発生させるということは、とても大きな機会損失を生むということです。機会損失とは、最善の意思決定をしなかったがために、利益を得る機会を逃した場合の費用概念です。欠品の場合、最善の意思決定をしなかったこととは、在庫の追加生産または発注などを行わなかったということになります。また、ここでは精度の高い在庫管理が可能な定期発注方式を採用します。欠品を避け、顧客からの需要の変動に耐えられる管理体制を採用する必要があります。

<Bの管理>
 B品目群は、A品目群よりは管理レベルを下げます。管理レベルを下げるとは、B商品群はA商品群と比較して、1回で流れる商品の数量や回数が少ないので、在庫チェック回数などにおいて頻度を少なくしたりすることです。一般的には、定量発注方式を採用しますが、単価が高い品目については定期発注方式を用います。ただし、B品目群はA品目群よりも管理レベルが低いので、同時に欠品して対応を迫られたとき、売上に与える影響の大きいA品目群を優先的に対応することを決めた訳ではありません。お客様(当社に直接、間接を問わずお金を払って頂ける方)あっての商売です。自社だけの都合が通じるとは考えず、相手の状況をみて時にはB品目群を優先的に扱うこともあります。長期的な視点でお客様との関係を構築する時には、理論・理屈だけでは商売はうまくいかないのが現実です。私の経験上、欠品している品目の購買担当者と今進めている新商品の導入に向けた商談状況や、自社の商品保管倉庫の担当者とのこれまでの貸し借り状況など、どのように対応していくかは実務的には複数要素が関与してきます。

<Cの管理>
 C品目群は、在庫管理の効率化を最優先に考えていきます。(例えば、在庫管理作業の軽減など)
ここでは、定量発注方式およびダブルビン方式(*参照)を採用します。C品目群は全体売上の約5%を占める品目群であるため、欠品しても焦らなくていいという訳にはいきません。この品目群は往々にして、長年価格改定の商談も実施されず、お客様の方もあまり注視していない商品であることが多いです。(細々と少量ですが、安定的に注文を頂ける商品) ですから、毎回、深く考えなくても当社に注文して頂ける商品なのです。ここで、欠品などしてお客様が習慣の脳から判断の脳(「この商品、他に見積もり取ったら安くなるのかも。一度、競合他社に聞いてみよう」と考えてしまうこと)に切り替わらないように注意が必要です。

*ダブルビン方式とは、同容量の在庫が入るビンを用意し、一方のビンが空になり、他方の在庫を使用し始めたときに、もう一つのビンの容量を発注する方法です。1つのビンの容量を発注点と発注量とする定量発注方式の簡易版であり、在庫調整があまりいらず、管理しやすいという利点はあります。

(小出 貴巳)

ちょっとひといき・・・♢♢おしゃれ編♢♢

このファッションショーは「夢の洋裁教室」を全国に約230店舗展開している佐藤貴美枝ニットソーイングクラブさんの主催で毎年行われており、教室で会員さま自身がデザイン、縫製した洋服を大勢のお客様を前に舞台上でお披露目をする一大イベントで、今年で18回目となります。会場の日比谷公会堂は満席で、2000人を超える会員さま、ご家族、ご友人、関係者の方で大変な熱気につつまれていました。作品はご自身で着用してプロのモデルさん顔負けのポーズできめる人、スタイルのよい友人や人生の後輩に着てもらいオシャレ度をアピールする人、結婚する娘さんのために手作りのウエディングドレスをプレゼントされる人など、参加されているすべての方がそれぞれの思いを込めて形にしたものばかりですので、どのシーンもとてもあたたかい雰囲気の中、会場は笑顔いっぱい、拍手いっぱいで一体となり大変な盛り上がりでした。
ちなみに活躍されている会員さま、教室のインストラクターの方々は、子育てがひと段落し自分の時間がやっと持てるようになられた方や、次世代に世の中のわび・さびを伝えていかれる年代の方が中心となり、幅広い年齢層で構成されているようです。
忙しい日常から少し離れたこのハレの日を目標に、趣味の位置づけであったとしても、技術のスキルアップやかっこよく美しく舞台に立てるよう健康や美容に気を遣い、家族や友人への思いを確認しながら手を動かしていく時間をもてることで、日々の仕事への活力となり、ひいては生き甲斐にもつながってきます。このことから、多忙な毎日をおくっている女性経営者さまや会社勤めのOLさんにも最近では人気が出てきているようです。
お裁縫が好きな方、苦手でも実はやってみたいと思っておられる方、舞台上でスポットライトを浴びていつまでも若々しく美しくありたい方などご興味があります方はぜひ扉を開けてみてはいかがでしょうか!

(木村佐和子)

※「60分で縫える夢の洋裁教室」ニットソーイングクラブさまホームページ
http://www.knit-sewing.com/index.html

特別投稿【時事観望】

株式会社ウェルス・マネジメント
代表取締役 濵  昌志氏

「若者にとっての靖国問題」

皆様 本当に暑いですね 暑中お見舞い申し上げます。熱中症予防の為の水の飲み過ぎで逆に食欲不振など体調不良の人が回りに多いのですが大丈夫ですか。
 さて恒例の一連の日本の夏の風物詩とも言える催事が続きますね、広島、長崎、8月15日、甲子園とこの辺りで我々の年代の日本の夏は峠越えですね。
 今回は難しい話は止めてニュース報道的な感覚で皆様にお知らせしますね。先月14日にTBS系列で放送された終戦ドラマ「帰国」に出演した28歳の俳優 向井 理(むかい おさむ)さんがドラマ撮影前に靖国神社を参拝したことをブログで明かしました。彼は「決して8月15日は終戦「記念日」ではありません。戦争に関った人全てにおいてまだ戦争は終わっていないからです」と語り、現在の靖国問題について「何故それが問題なのか?それを理解しなければ何も進まないと思います」と語りました。そして8月15日が来ると改めて今の自分の幸せを感じるといい、理由としては「ちゃんと生きて生活できているから、それこそ戦争中はいつ死ぬか、家族の安否もわからぬ生活を送る人が多かったわけだから、それに比べたら幸せ過ぎて申し訳ないくらいです」と述べた。そして散華していった方々に感謝の気持ちを表している。著名人で、俳優という職業である28歳の彼がこの靖国問題のような賛否を喚起する話題を取り上げ持論を明確にしたことは正直、意外でありました。そして現在も世界で起こっている戦争にも触れ「年に1回でも考えてみてもよいのでは」は述べています。これに対し韓国ファンが色々な非難を寄せていますがそれは記しません。現在もご活躍中のある程度の年齢以上の方々が聞けば落涙して語られるこの問題が、若い世代から同じ若い世代にメッセージとして流れたことは私としては大変嬉しいことでした。彼の勇気あるこの一投が若い世代の間で賛否両論、侃侃諤々の論を呼び、議論対象として日本人の心の正位置を占めて欲しいと願う次第であります。最後にある著名な経営者の散華された英霊への言葉を添えて結びます。この方は終戦後、外地から引き上げられ裸一貫から事業家として、また各界のリーダーとして活躍されていますが、あるテレビ番組に出演された際にキャスターからそのご活躍を支えられているエネルギーの源泉は何ですか?との質問に答えられた際の言葉です。
「「後を頼む」と祖国日本の為に散って逝った特攻隊の若き青年達に恥じない国造りをしたい。これがエネルギーの源泉です。」そして次のように補足されています。「国の為に散華した先陣、そして多くの方々のお陰で今日があります。
だから人様や日本の為に尽くそうと今日までやってこさせていただきました。」と・・・。

<濵 昌志氏 略歴・ご趣味>

1954年大阪生まれ、同志社大学経済学部卒業
大手アパレルメーカーに勤務後、ソニー生命保険に入社、保険会社数社を経て、知己の税理士の協力を得て2010年の秋に会社を設立。趣味は野球(大阪で夏の甲子園出場を果たした公立高校の野球部出身です)、ジョギング。57歳の年齢で毎週1回、5キロ走り、このペースで30年間走り続けています。

左の画像は、ザメディアジョン様のホームページより転載させていただきました。
ザメディアジョン様の企業情報をご覧になりたい方は、下記のURLまでアクセスをお願いします。
⇒ http://www.mediasion.co.jp/

株式会社ザメディアジョン
代表取締役兼CEO 山近 義幸 氏

「特別対談」
【鳥浜初代×山近義幸】第2回目

※鳥浜初代さんは鹿児島県知覧町で富屋旅館を営んでいる女将さんです。
初⇒鳥浜初代さん  義⇒山近義幸氏

ブレイン・サプライ通信7月号からの続きです。

穴澤利夫さんと智恵子さんの話とは・・・・・。
**************************
ご生存のころの、智恵子さんは、手のひらに乗るほどの小さな箱を箪笥から取り出すと、「大切なものが入っているの」そう言って微笑まれていました。見事な寄木細工の小箱です。
タバコの吸殻がふたつ、綿に包まれて入っています。
銘柄も判別できないほどに変色し、指で触れれば崩れてしまいそうな――。
「彼の唇に触れた唯一のものだから」
八十四歳になる伊達智恵子さんにとって、六十年以上も前の吸殻は、婚約者であった穴沢利夫少尉(享年二十三)の遺品だったのです。
「女物のマフラーを巻いたまま、敵艦に突っ込んでいった特攻隊員がいる。しかも、その隊員の婚約者だった女性は、未だに健在でいるらしい」
こんな知覧での話から、「利夫さんは生きたくても生きられなかったけど、残された私や彼の家族、それに未来に続くあなたたちのために特攻隊として身を投じたの。私はその遺志を受け継いで、できることなら利夫さんの思いを果たしていきたい」
小柄でチャーミングな笑顔を絶やさない智恵子さんでしたが、彼女が語る利夫さんとの「物語」は、切なく、苦しい話です。知覧では有名です。
昨年は婚約者からの手紙と題して記念展も開かれました。
智恵子さんの記憶は鮮やかです。
生への願望を持ちつつ、二十歳そこそこで死を覚悟しなければならなかった利夫さんの無念と、彼と結婚の約束をしていた自分が受け入れなければならなかった現実が、彼女の心に痛ましいほど深く記憶を刻みつけたのでしょうね。
「利夫さんが私だけに残してくれたものを公にしていいのかとずいぶん悩みました。だけど、彼の日記や手紙を見て、そこから何かを汲み取ってくれる人もたくさんいるでしょう。私自身もそれを何度も読み返して、利夫さんへの理解を深めることができたから」

こう言って彼女は、しまい込んでいた利夫さんの日記や手紙、写真を、特攻平和会館に提供されたらしいです。これらは特攻隊に参加した若者たちを理解する上での貴重な「資料」です。
資料という無機質なものではなく、人の心を打つ「作品」です。
「死」が前提にありながらも、利夫さんの書く言葉に愚痴めいたものは見つからない。
~~~~~~~~~~~~
穴沢利夫陸軍大尉は、昭和20(1945)年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」に乗って知覧を出撃しました。
知覧の本や映画で、たびたび、使われる写真の飛行機のパイロットが、実は穴澤さんなのです。

■桜を振って見送る知覧高女の女生徒達軽く手を振り微笑みを返して出撃してゆく穴沢少尉の隼機■

穴沢利夫大尉(出撃時少尉、没後二階級特進で大尉)は、大正11(1922)年2月12日、福島県那麻郡(旧・会津藩)のお生まれです。
幼い頃から読書好きだった利夫さんは、故郷に児童図書館を作ることが夢で、文部省図書館講習所を卒業します。そして、中央大学に進学されました。親の仕送りで遊んで暮らせる生徒なんていうのは、当時はまずいません。利夫さんも、お茶ノ水の東京医科歯科大学の図書館で働きながら、勉強した。その図書館に、昭和16年夏、図書館講習所の後輩たちが実習にやってきます。
これが運命の出会いでした。その中に、後に婚約者となる孫田智恵子さんがいたのです。
お二人の交際は、昭和16年の暮れ頃からはじまります。もっとも、学生の男女がつきあうなどということは、はしたないこととされた時代で、 お二人の交際は、もっぱら手紙のやりとりばかりでした。

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智恵子様へ
半年前、あなたがぐらじおらすを持ってきて図書館の花瓶に生けてくれた日の夜、僕は誰もいない図書館でそれを写しました・・・・
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その手紙には、繊細なタッチで模写したグラジオラスの絵が添えられていたといいます。
そして、智恵子さんが手紙で
 たまゆらに 昨日の夕(ゆふべ)見しものを・・・と詠めば、
利夫さんが、
 今日(けふ)の朝(あした)に 恋ふべきものか・・・と返す。
この歌は、柿本人麿呂の歌です。
意訳は、「昨夜の、ほんの僅かなひとときお会いして愛を交わしたばかりなのに、一夜が明けてお帰りになると、もうこんなにあなたが恋しくなるなんて、こんなことがあってよいものでしょうか」教養と教養、情感と情感がお二人の愛をはぐぐみます。お二人にとって、とても幸せな日々でもありました。穴沢利夫さん(穴沢少尉)と智恵子さん(昭和17年春)お二人は結婚を望みます。しかし利夫さんの郷里の兄は、都会の娘である智恵子さんとの結婚に反対する。
これにひきずられる形で、両親も結婚に反対です。時は大東亜戦争の真っ只中です。
利夫さんは、昭和18年10月1日、戦時特例法によって大学を繰り上げ卒業します。
そして、陸軍特別操縦見習士官第一期生として、熊谷陸軍飛行学校相模教育隊に入隊します。

~~~~~~~~~~
智恵子様へ
僕が唯一最愛の女性として選んだ人があなたでなかったら、こんなにも安らかな気持ちでゆくことはできないでしょう。
どんなことがあっても、あなたならきつと立派に強く生きてゆけるに違ひないと信じます。
昭和18年9月6日夜
~~~~~~~~~~~

昭和19年7月、サイパン島が陥落します。
昭和19年10月、制空権、制海権を失った日本は、神風特別攻撃隊を編成する。
昭和19年12月8日、飛行第二四六戦隊に配属されていた利夫さんは、特別攻撃隊第二〇振武隊員に選抜されることになります。
利夫さんが、任地である三重県の亀山兵舎にいたときのことです。そこに智恵子さんが訪ねて来ました。冷やかし半分に、二人を旅館に送りだした同僚たちだったけれど、このとき利夫さんは、連日の猛訓練で疲れて寝てしまったそうです。二人は清い交際のままでいます。

~~~~~~~~~~~
 わかれても またも会ふべく思えば  心 充たれて  わが恋かなし      智恵子
~~~~~~~~~~~

昭和20年3月8日、隊長から特別休暇をもらって帰郷した利夫さんは、両親を説得します。
そして漸く智恵子さんとの結婚の許可を得ました。大喜びの利夫さんは、翌9日には、早速東京の智恵子さんの家を訪ね、その報告をします。そしてその日、目黒の親戚の家に泊まった。
この日の未明、事件が起こります。死者8万人以上、東京の3分の1を焼き尽くした3月10日の東京大空襲です。智恵子さんの無事を心配する利夫さんは、まだ夜が開けないうちに親戚の家を飛び出し、智恵子さんの実家へと向かいます。同じ時、利夫さんの実を案じる智恵子さんも、夜明けとともに目黒に歩いて向かう。そしてお二人は、大鳥神社のあたりで、バッタリと出会います。互いの生を確認できたお二人は、大宮の飛行場に帰る利夫さんを送って、二人で国電に乗りこみます。ところが電車は、空襲のあとで避難する人々があふれかえり、あまりの混雑の息苦しさに、智恵子さんは池袋駅で電車を降りてしまった。
そして、これが二人の最後の別れとなります。ひと月後、利夫さんから手紙が届きます。

~~~~~~~~~~~
二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。
希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。去月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く状況は急転した。発信は当分禁止された。転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。便りを書きたい、書くことはうんとある。然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。
あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。
至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。
今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。
然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。
「あなたの幸を希う以外に何物もない。
「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。
「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。
 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。純客観的な立場に立って言うのである。当地は既に桜も散り果てた。大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。
今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。
1、読みたい本  「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
2、観たい画  ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」
3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑って往く。  昭20・4・12
智恵子様
利夫
~~~~~~~~~~~~~

これが、穴沢利夫さんの最後の手紙となりました。手紙の書かれた日付と、利夫さんの戦死の日付は、同じです。おそらく、出撃の直前に、書かれたのでしょう。
実はこの日、智恵子さんは、穴澤さんが宮崎の都城飛行場にいると聞いて、一夜でも、夫婦として過ごしたい・・・今度こそ・・・と、向かっていたのてす。しかし、到着した時には、穴澤さんは、知覧から飛び立つ寸前。二人は会えませんでした。
穴澤さんは、台湾から、一度、特攻発進しており、機体故障で帰られています。
台湾や、満州から発信し、再び、特攻する場合は、宮崎・都城から・・・という情報を智恵子さんが聞きつけて、向かわれてしまったために。。。
智恵子さんは、利夫さんとの面会の折に、「いつも一緒にいたい」との想いから、自分の巻いておられた薄紫色のマフラーを手渡されました。
利夫さんは、その智恵子さんの女物のマフラーを首に巻いて出撃されました。
その様子が、いつも、雑誌や本に載る写真なのです。愛する利夫さんを失った智恵子さんは、悲嘆の底に沈みます。
その智恵子さんの生きる支えとなったのは、利夫さんの入隊二週間前の日記だったそうです。

~~~~~~~~~~~~~
智恵子よ、幸福であれ。真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない。
自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだろう。
~~~~~~~~~~~~~

────────────────
真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない
────────────────

八五歳を過ぎた智恵子さんは、「あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの。
今とは、あまりに価値観が違うから、わからないと思うことも当たり前かもしれないわね」と述べられています。日本人というのは、魂を親から子、子から孫へと伝達し、縦の命のつながりをつなげる民族です。愛する人のために、その命を捧げる。
その命は、短い一生だったかもしれないけれど、肉体なんていうものは、魂を入れておくための殻でしかない。魂は生き続け、後々の日までも人々に生きる勇気を与え、民族を活かしてくれる。「命が終わったらおしまい、生きているうちが花」ではないのです。
そういうのを「刹那主義」といいます。
日本は「つながり」「共生」の文化です。そして究極の愛は、自らの命を捨てることを厭わない。
そして究極の愛は、永遠に生き続ける。そういうものなのではないでしょうか。
穴沢利夫さんの肉体は、昭和20年4月12日、沖縄の海に散りました。
しかし、穴沢利夫さんの心は、智恵子さんに生きる勇気を与え、そして未来永劫、世界の人々の魂をゆさぶる愛の物語として、語り継がれます。

************************************************************************************
初・義
「・・・・・」
「・・・・・」

「山近さん。今、あの“三角兵舎跡”が、崖崩れが激しいのよ。山が削られていき、この場所も訪れることが出来なくなるかもしれません。その前に、出来るだけ多くの人たちにこの山道を歩いてほしい、歩きながら、特攻隊の方々は、特攻する当日までどんな想いで生活していたのかを想像してほしい」

「現場体験ですね。大切です」

「今ある便利な時代の中で、不便で貧しい生活を感じてほしい。自分はどれだけ恵まれているのか、戦時中の方々は、不便で貧しいなか、どのような生活をしていたのか?それを考えながら、富屋旅館で生活していくことで、辛抱の種が心に生まれます」

「大切な人・・・という言葉も、おかみさん、よく、使われますね」

「まぶたを閉じて、自分に大切な人を思い浮かべてほしいんです。この気づきの宿で。
家族、友人、恋人、その人たちにどれだけ恩恵を頂いているのか、逆に自分には何をしてあげるのか。それを目を閉じつつ、想い続けることで、感謝の気持ちが生まれるのです」
朝起きたときに、顔を洗い、鏡で自分の眼を見つめてほしい。何事にも一生懸命な人ほど、目の輝きが増していく。その輝いた眼で、他人を見つめていってほしい」
義 
「私もまだまだ、未熟です。邪心・偽心・虚心の塊かもしれません。だからこそ、たまに、こうやって今では仕事で来させて頂くことに、本当に感謝しています。こうやつて原稿も書かせていただき・・・。なぜか、ここに来ると、ペンが進むんです」

「富屋旅館に来る際は、考えるのではなく、感じてほしい。自分はなぜここに来たのか?肌で感じ取る。また、次来た時には、最初来たときの自分を思い出し、あのとき自分は何を感じ取っていたのか?」

「女将さんの言葉、本当に言魂ですね」

「違うのよ。山近さん。すべてお婆ちゃん、鳥濱トメの言葉。私は伝え間違わないように、しているだけ。でもね。山近さん。これも、考えれば、私が、トメさんの鞄持ちを数年間したからなの」

「えっ!?」

「ずっと、ずつと、トメさんのそばにお嫁入りしてから、ついてたわけだから・・・」

「そうですね」

「だから、私は、トメさんの鞄持ち。笑。トメさんの言葉。トメさんの行動。トメさんの目線。すべて、私の勉強だったの。今、考えればね。だから、私はトメさんの意志を、守り、伝えていかなければ、いけないの。使命なの。この富谷旅館を守ることがね。隊員さんたちのことを伝えていくことがね。だから、山近さんも鞄持ち、ずっと、ずっと続けて。応援してる。わかっているつもりですよ。辛さ・・・笑」

「ありがとうございます。辛くて、やめようかと思いましたが、もう少しで20年。続けてみます」

「付き人・・・丁稚・・・。秘書・・・。いろいろいろと傍について学ぶ・・・て方法、あると思いますが、鹿児島には“郷中教育”というものがあります。先輩が教え伝えていくという方法。代々、薩摩に伝わる教育方法です」

「同じですね。私の業界も、マニュアルなどなく、自然と先輩から、教えられ・・・というより、盗みましたね。真似た・・・というより、五感で、学びましたね。たまには悪い部分も学んじゃいましたが・・・」

「いいと思うよ。自然体で。だから人間らしいのよ。多くの方が、その襷をわたさずに終わります。山近さんはつたえているよ」

「人間力駅伝です」

「お互い、頑張りましょうね」

(Fin)

平均賃金は、解雇予告手当や休業手当、年次有給休暇の賃金等を算定する際の基準となるものです。
平均賃金の計算方法については、労働基準法において、その計算方法が決められています。
具体的には、次の算定式で計算します。

「以前3か月間」というのは、算定事由の発生した日の前日からさかのぼる3か月のことです。賃金締切日がある場合の起算日は直前の賃金締切日となります。

「算定事由の発生した日 」とは、
① 解雇予告手当の場合は、労働者に解雇の通告をした日
② 休業手当・年休手当の場合は、休業日・年休日(2日以上の期間にわたる場合は、その最初の日)
③ 災害補償の場合は、事故の起きた日または、病気になった日(診断によって疾病が確定した日)
④ 減給の制裁の制限額については、制裁の意思表示が相手方に到達した日

また、「支払われた賃金」には、算定事由の発生した日において、既に労働者に支払うことが確定しているものも含むことになっていますが、「臨時に支払われた賃金」や「3か月を超える期間ごとに支払われる賃金」等は、賃金の総額から除外することとなっています。
 その他、「業務災害のために休業した期間」、「産前産後休暇の期間」、「育児・介護休業の期間」等は、その日数・賃金総額の両方とも平均賃金の算定基礎から除外することとされています。

(宮澤 令子)

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