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平成25年7月号

query_builder 2013/07/01
サプライ通信

岡社長の今月のアドバイス『年長者だからこそできる配慮とは?』ほか・・・
ちょっとひといき『福岡グルメ情報(焼き鳥編)』
診断士 松下から見た『“キャッシュフローから考える企業戦略”(その2)』
社労士BSの労務トラブル対応110番『事業場外みなし労働時間制って何ですか??』
BS海外コラム『大連紀行 その2』

コンサルタント小出の今月の気になるキーワード『在庫管理の効率化(ABC分析その1)』
関与先様からのご投稿『㈱ウェルス・マネジメント 濵様より』
関与先様からのご投稿『㈱ザメディアジョン 山近様より』
BS・なるほど!?質問箱『産休中も社会保険料が免除になるってホント??』
BSより 自社セミナーのご案内『経営者のための人件費マネジメント研修』『未払残業リスクを軽減する賃金体系セミナー』

≪年長者だからこそできる配慮とは?≫

今年の4月から高齢者雇用の法改正が行われました。いよいよ定年延長への布石である65歳までの雇用の延長が義務化され、更に61歳までの雇用に関しては有条件を撤廃し、全ての希望者は再雇用しなければならなくなりました。 経営者の悩みは、全ての60歳到達労働者を雇用するという点に集約されています。 ところが私のコンサル経験で言わせていただければ、定年が65歳であろうが70歳であろうがあるいは定年がなかろうが、「何が問題なのですか?」ということにつきます。 いつもこのことでお悩みの経営者さんに、「それでは御社はどんなに気に入らない社員さんがいても解雇はされず、定年までお雇いになるのですか?」とお尋ねします。 すると大半の方は、そのようなことはないとご回答されます。 では何故この問題でこれほど悩まれるのでしょうか・・・・。 
 それは日本人特有のなんとなくの「気分」に左右されていらっしゃるのです。 
人間とは、「何か」をできることを当然と考えている節がありますが、できないことがあると不幸と捉えます。 高齢者や障害者との接点で分かることは、人間にとってはできることの方が、できないことよりもはるかに多いということです。 目の前に一つの問題が起きた場合、自分に経験のあることはさらりと解決してしまいますが、未経験の問題には躊躇し、腰が引けてしまうのです。
私のコンサルでは、過去の経験から予測される近未来に発生するであろう事象をお伝えするように心掛けています。人間は一度でも脳の中にイメージできたことは、その問題に直面すると、潜在意識の中から経験値を堀り起して、その解決のために活用することが出来ます。 先の読めない現代だからこそこの未来予測と、そこで直面するであろう問題点の回避のための対策をお伝えすることは重要であると考えます。
高齢者雇用の問題に戻りますと、経営者の悩みは、柔軟性がなく、頑固な高齢者が及ぼすマイナス面をことさらにイメージして、再雇用や定年の延長にネガティブな対応をされるようです。 ところが、私の経験では、貢献したかどうかは別として、20年も30年も一つ所で働き、会社に忠誠を尽くしてくれた高齢者の方をどのように使うかによって、場合によっては会社の第2創業期、第3創業期を迎えられるのではないかとさえ感じることが多々あります。 高齢者は長く生きてきていますので頑固な反面、自分達の信じていた価値観が変われば大きく変化してくれます。
要はやり方です。 高齢者と面談するときに、高齢者の言い分を十分ヒアリングしたうえで、彼らに変化を促します。昔から「老いては子に従え」といわれますが、どうしても年少者が子供に見えてしまう方が多いようです。 人間関係を阻害する要因は、謙虚さを失った上から目線の感覚です。 高齢者には変化の時代に生きてこられた最後の仕上げをしていただくつもりで、最後のご奉公を求めましょう。

<高齢者指導のポイント>

①年長者は自分の最も輝いていた時代の記憶と経験を年少者に語るものであるとの前提に立ち、年少者との価値観共有が、高齢者雇用の重要課題であることを理解してもらいます。

②60歳から30歳を見る場合の注意点の指導事例として、この場合年長者は年少者よりも30年余分に生きています。 年長者に意識させるポイントは、双方が共有している直近の30年の価値観の範囲内(下記の有色部分)で若者と接してもらうことです。 それ以前の30年では、若者にとっては未体験ゾーンであり、イメージも湧き辛く、自然と拒否反応が出てきて、価値観共有ができなくなりがちです。 年長者には、例えば対象者が20歳であれば、直近の20年の共有した時間の範囲内で接するよう努めてもらいます。
変化の時代には昔の成功体験が邪魔になることも多々あることを理解してもらいます。

③高齢者の使い勝手の悪さの第1位の要因である、頑固さや融通の利かなさを排除し、意識改革を促すことによって、高齢者雇用制度のリストラクチャリング(再構築)を実行します。

④働けるうちは会社に貢献してもらえるよう、60歳までは「自分のため」に働いてもらい、60歳以降は「世のため人のため、会社のため」に働いてもらえるよう、社内における高齢者ルールの設定を早目に行い、定着させます。

⑤年を取っても楽しく前向きに仕事をする人の評価を徐々に高めていくようにしていきます。

⑥最終的に高齢者雇用規程や、解雇に関する条文の補足、強化、高齢者の評価制度の作成も必要です。

若年層に求めることと、高齢者に求めることは、今後は少しずつ変わってくるものと思われます。それぞれ明確にしておくことをお勧めします。
一方で、まだまだ能力を発揮できる高齢者が沢山います。 潜在能力では世界一でしょう。 経営者の皆さんは、そのような彼らを甘やかさないでいただきたいと思います。 むしろ彼らには将来に、もっと貢献してもらわなければならないと考えます。 彼らには消費の面でも、日本の経済に貢献していただかなければならないのです。 健康で、働く意欲があって、経験豊富で、やる気のある人をリタイアメントさせるのは愚の骨頂です。 彼らを有効活用していきましょう。
私は、アベノミクスで景気が回復しているのではなく、団塊ジュニアが景気を下支えしているから、何とか景気がもっているのではないかと考えています。 経営者の皆さんは、これからの激動の時代を、何とか自力で生き残っていただかなければならなくなります。 頼りにならない政党や政治家に会社の運命を委ねていては、会社の明日は無くなってしまいます。 頑張っていらっしゃる経営者を、少しでもご支援ができるよう、我々も成長していきたいと思います。

≪慰安婦問題に終止符を!≫

92歳最高齢“元慰安婦”が訪日へ、政治家の妄言に抗議、東京で6日から「慰安婦」展開催―中国メディア

東京都内の資料館で6日、台湾の「慰安婦」をテーマとした特別展が開幕する。5日付で台海網が伝えた。台湾籍の元“慰安婦”、鄭陳桃さん(92)が台湾婦女救援基金会の付き添いで来日し、当時受けた被害の様子を語るという。鄭さんは「昨今の日本の右翼政治家による慰安婦の史実を歪曲するでたらめな発言」に対して、抗議したいとしている。 台湾籍の元慰安婦は現在8人が存命で、鄭さんは最高齢にあたる。18歳の時、登校途中で日本籍の警察官に拉致され、インドに連れていかれて従軍慰安婦にされた。21人の女性が一緒だったが、今でも存命なのは鄭さんだけだという。 特別展「台湾・『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」は、台湾婦女救援基金会と「女たちの戦争と平和資料館」の共催。

上記の元慰安婦の方の人生はつらいものだったのでしょう。心から同情します。 しかしながら記事の内容については、全く納得がいきません。 中韓あるいは日本の左翼勢力(女たちの戦争と平和資料館(理事長:女性解放運動家の東海林路得子))たちは、不正確なものを検証もせずに発表しています。ビジュアルに訴えれば自己の主張が通ってきた従来の手法を未だに行使してきます。 上記記事にある92歳の女性が18歳の時は74年前ですから1939年です。ちょうど欧州でドイツがポーランドに侵入して第2次世界大戦が勃発した年に該当します。その当時日本は中国と交戦状態でしたが、インドシナ(フランス領)半島への進出は1940年7月であり、米英との戦争を避けるべく、必死の外交戦略を駆使している最中でした。 従って1939年当時、元“慰安婦”の鄭陳桃さんを英国領のインドに連れていくことは不可能です。 その2年後の大東亜戦争の最大勢力範囲の中にすらインドは支配下に一部しか入らず、しかもそこはジャングルの中であり、明日をも知れぬ激戦地でもありました。 とても慰安婦の方を連れていける状況ではありませんでした。 この方は恐らく日本籍の警察官ではなく、中国人の女衒に売られてしまったのでしょう。 本当に気の毒な話ではありますが、その矛先を我が国に持ってくるのはお門違いも甚だしいと思います。 これも日本がこの慰安婦問題に対して曖昧な姿勢で対処してきたからに他ならず、日本を脅せばお金になるとの誤ったメッセージを送ってしまった自民党(河野洋平)と旧社会党(村山富一)の政治家と官僚の責任は重大です。 また朝鮮半島の女子挺身隊がいつの間にか従軍慰安婦にすり替えられたように(当時私の叔母(母の姉)も女子挺身隊として大阪の軍需工場で奉仕をしていました。)、自分達のイデオロギーを主張するためなら、事実でないことでも平気で発表する売国組織の責任でもありますが、彼らは恐らく最後のあがきを始めたのではないでしょうか。 最早日本人に嘘が通用しなくなってきていることに未だに気づいていないようです。 情報を一部の活動家やマスコミが操作できた時代は終わりました。 近代史を敢えて教えず、国民に贖罪意識を植え付けてきた張本人である日教組の極左勢力も、今後は衰えていくでしょう。 情報化時代はそれほどいとも簡単に情報を入手できますので、国民が、為政者やマスコミが想定している以上に早い期間に情報取集・分析のレベルを上げてきています。 彼らは早くこの実態を知るべきです。

この通信で何度も申し上げているように、嘘は必ずばれます。 事実を歪曲して自己の都合のいいように情報を操作できた時代は終わりました。 大新聞、大マスコミといわれた勢力は、スポンサーがどんどん離れていき、広告主は競馬・競輪・パチンコ等のギャンブル業界が増加し、節操がなくなりつつあります。 パナソニックの新型カラーテレビ:「スマートビエラ」 の広告を民法各局がCM拒否をしています。 理由は放送中の番組の右側と下に、放送とは関係ないサイトや、ネット動画にアクセスできる画面が表示されるからだそうです。 コマーシャルの際に画面を切り替えられてはたまらないといった観点からでしょう。 理解できなくはないですが、視聴者やお客様を無視した姿勢はいずれ審判を受けることになるでしょう。

上記データを見てもお分かりのように、アジア、アジアと彼らは云ってきますが、騒いでいるのは中韓だけです。 それは当然です。両国は反日教育を徹底しているからです。 彼らは近い将来、必ず嘘がバレ、国体維持が困難になるでしょう。 そうなってからゆっくりと崩壊した彼らを援助するかどうか日本国民に諮って決めればいいのです。 中韓以外の国は日本に好意を持ってくれています。 これは紛れもない事実です。 これからの時代を担う若者に贖罪意識を植え付けるような勢力を一掃していきたいと思います。

≪モーゼの十戒≫

欧米の性に対する考え方は、モーゼの十戒の中にある「汝姦淫するなかれ」がベースです。 日本は世界でも有数の性風俗の先進国ですが、外国ではイタリアのポルノ女優のチチョリーナが国会議員になったことを除き、AV女優が公の職に就くようなことをほとんど認めません。 そのような欧米の価値観を理解せずに、米軍に風俗を利用するように提案した橋本市長は、慎重さに欠けました。ちなみにオランダは公娼制度がある数少ない国です。一方、世界に冠たる売春婦の輸出国である韓国は7割がキリスト教の国であり、建前は「汝姦淫するなかれ」のはずなのですが・・・。

十戒の内容は次の通りです。

1. あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2. あなたはいかなる像も造ってはならない。
3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4 .安息日を心に留め、これを聖別せよ。
5. あなたの父母を敬え。
6. 殺してはならない。
7. 姦淫してはならない。
8. 盗んではならない。
9. 隣人に関して偽証してはならない。
10. 隣人のものを一切欲してはならない。

ユダヤ教は、キリスト教とイスラム教の基になった宗教です。 9世紀ごろにカスピ海の沿岸にあったハザール(ヨーロッパ系ユダヤ人:アシュケナジーユダヤ)は、イスラムと東ローマのはざまで圧力をかけられ、苦肉の策でユダヤ教に改宗し、双方に顔を立て、難局を乗り切ったといわれています。 我々日本人は、対外的に自己主張をする場合は、特にその国の宗教と歴史に配慮しなければなりません。

今後海外に展開する場合は少なくとも、①アメリカンスタンダード ②ヨーロッパスタンダード ③中国スタンダード、④アジアスタンダードの4つのスタンダード(価値観・歴史感)を持つことをお勧めします。この4つの修得を前提に、我が国のスタンダードを主張していくしたたかさが求められます。
先月号でも申し上げましたが、戦争は相手に対する知識の不足から起こります。 自己の知識不足が原因であるにもかかわらず、相手に対する憎しみを増幅させ、戦争に至ってしまいますが、無知な人は、お互いに血を流さなければ気が付かないのです。
我が国は憲法において、交戦権を放棄しています。 今後も本気でこの交戦権を放棄するのであれば、スイスのようにしたたかに生きていかなければなりません。 スイスは国民皆兵で、ゲリラ戦の訓練を国民が積んでいます。 強力な軍隊を保持しつつ、永世中立を宣言しているのです。彼らは、堂々と自己主張をし、「殴られたら殴り返す」気概を持った状態で、中立を維持しているのです。 我が国のように自国だけが「平和」を主張しても、国は守れません。 「敵を知り、己を知らば、百戦して危うからず」を地でいく必要があります。

日本領海への侵入や、排日デモを繰り返す隣国に対し、話し合いで・・・と主張していた社民党、共産党、そして日教組の皆さん、今こそあなたたちの出番ですよ! 存在意義を存分に発揮してきてください。 政権政党、前政権政党も含め、発言は記録に残ります。 口先だけの政治家はいりません。 7/21は参議院選挙です。 言葉を大切にする政党に一票を投じたいものです。

“人は幸せだから感謝するのではありません。感謝しているから幸せなのです”

株式会社ブレイン・サプライ  岡  弘己

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早速ですが。。。ちょっとひといき 焼き鳥編・その1(福岡事務所より) 
前号で、焼き鳥の店舗人口当たりで日本一多い県は福岡県!というご紹介をいたしました続編です。
 まずは鳥皮の美味しい店舗のご紹介をします。
『かわ屋』http://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40023227/dtlrvwlst/3975411/
福岡市中央区警固にあります。
焼き鳥の定番中の定番。鳥の嫌いな方はこの皮が嫌いなのでしょうが、焼き鳥好きな方は、ここの外側のパリパリ感はたまりません。ここの皮には九州の特徴である甘辛いタレがしみ込んでおり、また塩が一段とうまみを引き出しています。ほとんどの方は一人で5本程度は注文している方が多い店です。

診断士 松下から見た
「“キャッシュフローから考える企業戦略”(その2)」

今回は前回(※)の続きでシャープの「CF計算書」を元に経営者の意思決定がどのようにされたのか、具体的に探ってみたいと思います。

※キャッシュフローから考える企業戦略(その1)はサプライ通信6月号に掲載されております。
http://brain-supply.co.jp/newsletter/pdf/201306.pdf

 まず、シャープの歴代の経営者は以下のとおりです。

シャープは経営理念の1つに、「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって広く世界の文化と福祉の向上に貢献する」があります。シャープが大きく成長したのは2代目の佐伯旭氏が社長になったときです。その後、バブル時期も堅実な経営を行うなかで、1998年に4代目町田勝彦氏が社長に就任しました。実は町田氏は2代目の佐伯氏と親戚にあたり、町田氏への期待の高まりとともに、自身も実績をださなくてはならないプレッシャーもあったと思われます。そして誕生したのが、液晶テレビ“AQUOS”。その生産拠点を三重県の亀山市に作り、“亀山モデル”を量産することになりました。町田氏がこの実績を出したことで社内には同氏に心酔する声が高まったことはいうまでもないことです。

ところで、シャープの業績がこれほどまでに悪化した理由は何でしょうか。
 直接的には、キャッシュフロー上から見ても、2006年に稼働させた第二亀山工場の投資後に襲ったリーマンショックで売上・利益とも激減したことです。もう1つ大きな問題はヒトの問題ではないかと考えます。

 シャープには、社長交代時に前任者は潔く権力から離れるという不文律があり、社長は目先の短期的な利益を追わず、じっくり腰を据えて経営にあたることが可能だったといわれています。ところが町田氏は中興の祖 佐伯旭氏の親族でもあり、“AQUOS”の実績もあり2007年にシャープとして初めて会長に就任したことが根底の要因と思われます。
というのも、その後就任した5代目社長の片山幹雄氏は「単品売り切りビジネスでは限界がある。液晶テレビを売りまくる手法では価格が落ちたら最後、すぐに赤字事業に転落する。端末を売った後もサービスで稼げるビジネスモデルや周辺機器の販売まで手がけるビジネスモデルに転換すべきだ」と考えていたそうです。もしそれが実現されていれば、その後堺工場の投資もなかったかもしれないと考えます。

ここで私どもでは、独自の分析方法として、統計心理学を活用しております。これは、人の内面、外面とともに意思決定にも大きな影響を及ぼしております。

町田氏と片山氏について分析してみると

町田氏(789(人柄)-108(人柄))、片山氏(555(結果)-001(結果))
となっています。町田氏の持つ人柄重視の場合、プロセスを重視しゼロからモノを作るのが得意とします。更に同氏は実績と経験を重視することから、AQUOSの成功に導いた点はまさに町田氏の過去の経験によるものといえます。

一方、片山氏のもつ結果重視の場合、無駄をなくすことで効率的に業務を行うことを得意とします。更に同氏の場合、バランス感覚が優れ独自の手法で業務を行うことを重視するタイプです。
ところが、実績経験を重視する町田氏が会長に残ったことで、周りは町田氏の方を見てしまい、本来の片山氏の得意とするバランス感覚により無駄をなくすことを同氏にまかせていれば、亀山工場を含めた液晶部門の効率化に力を発揮し、おそらくシャープは高収益体質を維持できたのではないかと考えます。

これは企業の事業承継でも同じことが発生します。

特に中小企業でオーナー経営者の場合、既に後継者は決まっており、「後継者をいかに活かしていくか」が重要になります。任せた方がよいタイプ、現社長が会長になって支援していった方がよいタイプ、更には集団体制をひいていった方がよいタイプなどあります。

“企業が存続するためには、後継者の特性と社風を考えた体制を整備すること”

 自社の分析を希望される場合は、お気軽にご相談ください。

(松下 卓蔵)

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ここでまたまた。。。ちょっとひといき 焼き鳥編・その2(福岡事務所より) 
 鳥といえばやはり地鶏とおっしゃる方も多いでしょう。私が岡社長と偶然入ったお店がこれまたうまかー。店舗の雰囲気もよかーなんです。
「ぢどりや」http://r.gnavi.co.jp/f008102/
博多駅前4丁目八百冶ホテルの横にあります。
電話050-5522-6403
宮崎県をはじめ九州は地鶏有名どころ。価格は少々高めですが、地鶏は歯ごたえ、うまみは相当なもの。ぜひ一度ご賞味あれ。

福岡の焼き鳥は日本一なんでーす!ごめんなさい他府県の焼き鳥店経営者の方々。

(上田 幸俊)

★社労士BSの労務トラブル対応110番★
「事業場外みなし労働時間制って何ですか??」

【今回の課題】

 ◎◎株式会社営業部で働くAさんより質問がありました。
「当社は、みなし労働時間制ということで、残業代が定額で出ていますが、携帯電話で時間管理はできるはず。だから「みなし」は適用にならないのではないですか?」と。
Aさんをはじめ営業部の社員は、ほとんど毎日直行直帰することが多く、顧客への営業活動も一人で出向くことが多いので、事業場外のみなし労働時間制を採用してきたのですが。
確かに携帯電話で労務管理をできなくもない状況なわけで・・・・。
この状況で、事業場外のみなし労働時間制は適用になる、と言えるのでしょうか。

【制度について】

まず、この場合は「事業場外のみなし労働時間制」が適用となるか否かの判断をすることになります。
この制度は、労基法38条の2において、「労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を越えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす」とあります。

【今回の課題と対策のポイント】

まず、「労働時間を算定し難い状況か」を検討する必要があります。
今回のケースでは、携帯電話を貸与していただけなので、労務管理を行っている状況とは言えません。それを用いて会社と連絡を取り合うことが可能というだけでは、「算定できる」状況ではないと思われます。ただし、今後、営業活動中にリアルタイムに会社から指示・連絡などが入るような場合になれば、携帯電話の利用により算定が可能との判例もあります。

Aさんには、当面の営業活動体制はこのままでいくので、労働時間の算定はし難い旨を伝え、「事業場外のみなし労働時間制」は適用になることを話し、納得していただきました。

事業場外のみなし労働時間制が適用になるかどうかは、どのような時間管理、業務の管理を行っているのか、総合的に勘案する必要があります。
また、時間外労働時間も「みなし時間」に含んでいる場合、労使協定を作成のうえ、労基署に届出を行わなければいけません。
「みなし労働時間」の考え方など、ご不明な点がありましたら、ブレイン・サプライにお問合せください。

(山岸 芽里)

《大連紀行その2》

さて、今回の旅行の主目的である旅順と二〇三高地です。

大連からは電車でも行けますが、車だと約40分で旅順に着きます。大連と旅順の位置関係は下図の通りです。

旅順は皆さんご存知の通り日清、日露戦争時の激戦地です。

日清戦争は、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた朝鮮をめぐる日本と清国の戦争です。
1894年10月24日に大山巌大将率いる第2軍が金州に上陸し、11月6日に金州城を占領。11月21日に、日本軍1万5千は清国1万3千弱に対して攻撃をしかけますが、清国軍の士気は極めて低く、堅固といわれた旅順要塞も僅か1日で陥落します。日本側の損害は戦死40名、戦傷241名、行方不明7名に対して、清国側は4500名の戦死、捕虜600名と言われています。
その後の占領において、「旅順虐殺事件」という国際的にも大きな問題が発生するのですが、それについては機会があればまた触れたいと思います。

日露戦争は1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけて、朝鮮半島とロシア主権下の満州南部を主戦場として日本とロシアとの間で発生した戦争です。
この戦争では主戦場が中国大陸となるため陸軍に対する海上輸送のルートを確保することが必要でした。そのため、海軍は旅順港に停泊しているロシア旅順艦隊(太平洋艦隊)の撃破をめざし、第一次・第二次の旅順艦隊攻撃を行いましたが、湾外での戦闘を回避し沿岸砲台で防備された安全な湾内に留まる旅順艦隊には決定的打撃を与えられずにいました。
それではと、海軍は三次にわたる旅順港閉塞作戦を行ないますが、いずれも失敗。有名な広瀬武夫中佐が戦死したのもこの時です。
旅順艦隊攻撃がうまくいかなかったため、海軍は陸軍に旅順要塞攻略を要請、これを受け乃木大将率いる第三軍が旅順攻略に当たることになったのです。
三回にわたる総攻撃の末ついに旅順要塞は陥落しますが、第三回総攻撃のときの攻略目標であった二〇三高地での両軍の損害が、日本側戦死5,052名、負傷11,884名、ロシア側は戦死5,308名、負傷者12,000名近くと膨大な数にのぼったためこの戦いが特に記憶される事になります。
この戦いにおいて正攻法に固執し膨大な損害と日数を要した事が司馬遼太郎氏らにおける乃木大将無能論につながっていくのですが、このあたりは氏の「坂の上の雲」をお読みいただければと思います。この作戦の評価には今も賛否両論があり、今後の研究に待つところ大です。

このあとご存知の奉天会戦やバルチック艦隊を東郷平八郎率いる連合艦隊が撃破した日本海海戦につながっていきますが、このあたりの逸話を全部ご紹介すると膨大な歴史読み物になってしまうので、今回はこのあたりでとどめて、さて、現在の旅順と二〇三高地周辺を写真でご紹介していきます。

まずは、二〇三高地と並ぶ日露戦争時の激戦地・東鶏冠山です。砲台と記念碑が残っていました。

砲台の先の風景は・・、かすんでよく見えません。大連もそうでしたが、このあたりもPM2.5の汚染のせいでしょうか、晴天にもかかわらず遠くはかすんでいます。北京の汚染が如何ばかりかそらおそろしくなります。

頂上に着くにはこの石段を登っていかねばなりません。見えにくいと思いますが、各石段の表面に「打倒小日本鬼子」等の落書きがあります。大連等の旧満州地域は比較的親日と言われていますが、やはり中国。行動や言動には注意したほうが無難です。

さて、二〇三高地入口です。
「二〇三高地は日露戦争の時に日露両軍が争奪しあっていた旅順西部戦線における主な戦場である。旧日本軍が1904年9月19日からロシア軍周り陣地を奪い取った後、二〇三高地に向かって総攻撃を行い始め、66日間続いて12月5日にその高地を攻めおとした。当該戦役の中に旧日本軍は万人以上、ロシア軍は5千人以上死傷した。旧日本軍が二〇三高地を奪い取った後すぐここに重砲観測所を設け、重砲を指揮しながら旅順口を砲撃した。その結果、港にあるロシア軍艦は砲撃されほとんど沈没した。日露戦後、旧日本軍国主義の頭である乃木希典は二〇三の(中国語の)音読みによってそれを[爾霊山]と改名した。日本軍の亡霊を供養するために、戦争が残した砲弾の皮と廃棄武器から日本式歩兵銃の銃弾のような形で10.3メートル高さの[爾霊山]記念タワーを作り上げ、日本の国民を騙している。」(入口の説明書き)(写真左)

「二〇三高地は1904年日露戦争時の主要戦場の一つであつた。日露両軍はこの地を争奪するため、殺しあっていた。その結果、ロシア軍は5000人以上、日本軍は一万人以上死傷した。戦後、旧日本第三軍司令官である乃木希典は死亡将士を紀念するため、砲弾の殘片から10.3m高さの銃弾のような形の塔を鋳造し、自らが「爾霊山」という名を書いた。これは日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と耻辱柱となっている。」(頂上にある説明書き)

(写真右)
 乃木大将の次男・保典戦死の碑。頂上への山道の途中にあります。乃木大将は日露戦争で長男・勝典と次男・保典の二人の息子を亡くしています。日本軍戦士の碑がここに残されている事は実に驚きで、このあたり中国人の旅行ビジネスと政治との不思議なバランスを感じます。

頂上からは旅順港が見渡せ、日本軍が旅順の湾内にいたロシア軍艦を、ここから砲撃しました。ロシアによって使われた150mカノン砲や日露戦争後に日本が建てた、「爾霊山」(二〇三と同音)と刻まれたモニュメントが残っています。このモニュメントは、日露戦後に戦地に残っていた砲弾を集め、乃木希典によって、亡くなった兵達のために作られたもので、日本で鋳造されました。

二〇三高地からの風景。
やはり、かすんで見えない・・・・。
この方向に旅順港が広がっているはず、です。ここに立って、二〇三高地が戦争の帰趨を決する戦略上の要所であったことを実感したかったのに本当に残念です。繰り返しますが、当日の天気は「快晴」、「天気晴朗なれどかすみ深し」です。

 次回は旅順の歴史建築をご紹介します。

(この項続く)

(坂井 優)

《第14回:在庫管理の効率化(ABC分析その1)》

前回と前々回にわたってご説明した在庫管理の手法である「定量発注方式」(※1)および「定期発注方式」(※2)を活用して在庫管理を効率的に活用していく方法として「ABC分析」という在庫の重点管理を行うものがあります。
(※1定量発注方式については5月号に※2定期発注方式については6月号に掲載されております。)
サプライ通信バックナンバーはこちらです→ http://brain-supply.co.jp/newsletter/newsletter.html

<ABC分析とは>

 在庫管理を効率化するための重点管理方法です。多くの在庫品目を取扱うとき、それを品目の取扱金額または量の大きい順に並べて、A/B/Cの3種類に区分し、管理の重点を決めるのに用いる分析です。

 ABC分析の基本的な考え方は、「全在庫品目に対して一律で同じ管理はしない」ということです。これは、一般に在庫金額の累計金額の80%が全在庫品目のうち20%で占められているというパレートの法則(※)の考え方を前提にしたものです。
※パレートの法則(2:8の法則)とは、全体の数値の大部分(80%)は、全体を構成するうちの一部(20%)の要素が生み出しているという考え方です。

[上記パレート図の読み方]
A品目→品目数累計上位20%の品目。これらの品目で在庫金額全体の80%に達しています。
B品目→品目数累計20~50%に含まれる品目。在庫金額に占める割合は15%に達しています。
C品目→品目数累計では、全体の50%を占めます。しかし、在庫金額で全体の5%にしかなりません。

 次回は、ABC分析の具体的な活用方法をお伝え致します。

(小出 貴巳)

特別投稿【時事観望】

株式会社ウェルス・マネジメント
代表取締役 濵  昌志氏

「ハンディキャップ国家論」

今年も早や半分が経過致しました。本当に早いものですね。先月は体調を崩し休ませていただきましたがお陰様で早々に復帰致しましたので元気一杯筆を執らせていただきます。先月初めはサッカーで本田選手の活躍によりW杯五大会連続出場を決めて嬉しい限りでした。私はサッカーは素人ですが試合を見ていますと、かつて日本人選手では放つことが難しかった高度なキックが、特にシュートに於いてはかなりの本数に上り日本も漸く世界レベルに到達したのかなと思う次第でありました。しかしながらそれ以降の試合は世界との差を痛感させられた感が強く真に残念至極でありました。

さて今回は「土下座外交」と揶揄され、石原慎太郎氏に言わせれば「亡国外務省」と呼ばれるその外交姿勢の淵源を辿ってみました。
ある作家の分析によれば中国・韓国・北朝鮮に文句を言われれば直ぐに平身低頭する政治家などが多くで出したのは昭和47年の佐藤内閣の時の沖縄返還以降であるとの記述があります。それまではそうでもなかったと。ところがこの頃から学者、教育者、政治家等の中に残っているある人達、つまり戦前の日本の体制に怨みを持ち、GHQの占領体制を望ましいと考える人達(共産党員、コミンテルン、或いは思想的にその影響下にあり中国の政治工作員的な臭いのある人達)が政界や経済界の中心に少しずつ出てきたと、その時が丁度佐藤内閣の後半あたりであるという主張であります。
 これら勢力の拡大が教科書問題に於いて近隣諸国条項を産んだ宮澤談話(昭和57年)を、慰安婦問題に於ける河野談話(平成5年)を、そして侵略云々に於ける村山談話(平成7年)を産んでいきます。さてこのような被虐史観と呼ばれる歴史観に基づいた外交姿勢を産んだ起因はどこにありやという視点で手繰りますと次のような事歴があります。
 1985年の11月8日、衆議院外務委員会で社会党の土井たか子議員が「侵略戦争についてどう考えるか」という主旨の質問をしました。これに対し当時の中曽根内閣の外務委員・小和田恒条約局長が「東京裁判の告発事項で中国に関するもので有罪とされている。そのようにご理解願いたい」と答弁しています。これを敷衍すれば「主権回復を齎したサンフランシスコ講話条約に関係なく、日本は中国に対して東京裁判に於ける有罪を背負ったままである。従って日本は一人前の外交が出来ない」との流れになりこれがかの有名な「ハンディキャップ外交」という言葉の背景であるとしています。
 この考え方が以降、外務省を支配するようになりハンディキャップは外交から国家自体、すなわち「日本はハンディキャップ国家であり他の大国と違い、仮にPKO等の国際貢献でそれがハンディキャップとなっても最大限尊重すべきで、飽く迄も平和憲法の範囲内で世界に貢献すべきだ」という帰結になります。この考え方を継承し元外務省次官、駐米大使、外務省顧問を歴任した栗山尚一氏は2006年1・2月に月刊紙「外交フォーラム」に於いて日本は永遠に謝罪し続けなければならないという主旨の大論文を連載しました。氏の主張に依れば首相が靖国参拝を止めても総ての懸案問題で中国の譲歩は期待できないがそれでも謝罪を続けるべきだという主張です、この考え方は今現在も脈々と続いている「中国を刺激するな」という、何かある度、鸚鵡返しのように出てくる、外務省のみならず政・学・財界のあの大合唱の一大裏づけのように思います。
 さてみなさん、この考え方を如何に思われますか。敗戦後、講和条約を結び主権を回復した筈の国が採択すべき方針なのでしょうか。私は大いに疑問を感じる次第であります。先月号でも書きましたが日本近代化における過程で「御国の為に」散華した幾百万柱の兵士への顕彰、鎮魂、そして戦禍に耐え忍んだその家族への感謝、鎮魂、更に何よりも国家・民族の誇りを継承できる考え方なのでしょうか。
 68年前の二月にアメリカ軍は硫黄島に海と空から猛攻撃を開始しました。米軍は硫黄島作戦は数日で終わると考えていましたが予想以上の激戦となりました、擂鉢山頂には星条旗が掲げられましたが、それは二度にわたって降ろされ二度新たに「日の丸」が掲げられたのです。硫黄島守備隊二万二千七百八十六名は一兵卒に至るまで一日でも長く硫黄島で戦い抜くことが東京の学童が疎開する時間を稼ぎ、彼らの命を守ることに繋がると信じて決死の奮戦を続けていたのです。そして千二十三名が捕虜となり二万千七百六十三名玉砕していきます。現在においても島に埋没する遺体は一万柱を超えると聞きます、これらの同胞の霊を同胞が鎮めずして誰が鎮めるのでしょうか。隣国に配慮することとはこれらの事実を我が民族の次代に語り継ぐことを止めることなのでしょうか。かねてより大いに疑問を持ち続けていますが皆様は如何思われますか。

<濵 昌志氏 略歴・ご趣味>

1954年大阪生まれ、同志社大学経済学部卒業
大手アパレルメーカーに勤務後、ソニー生命保険に入社、保険会社数社を経て、知己の税理士の協力を得て2010年の秋に会社を設立。趣味は野球(大阪で夏の甲子園出場を果たした公立高校の野球部出身です)、ジョギング。57歳の年齢で毎週1回、5キロ走り、このペースで30年間走り続けています。

★株式会社ウェルス・マネジメント様 事業内容のご紹介★

税務会計事務所とタイアップし、経営コンサルティングの一環として事務所の顧問先様を中心に生命保険の有効活用を提案するのが一つの柱であります。そのため生命保険の乗合代理店を営んでおります。
また銀行での資産運用コンサルタントの資格と経験を有しており、金融商品中心の資産運用コンサルティングも行っております。この分野は海外での運用も可能なネットワークを有しており、現在きちんとしたスキーム作成を急いでおります。
また先般、私の所属するNPO法人日本IFA(Indipendent Financial Adviser)協会がこどもの金銭教育の分野での活動を認められ文部科学省のHPに掲載されました。今迄は関東地区中心の活動でありましたが今後は関西地区でも展開予定であり、この分野も活動を開始したばかりです。公立小・中学校の授業の中への取り入れや企業のCSR活動としての提案など多様な活動形態があり、頑張って参りたいと考えています。
また各種士業の方々とも連携しセミナー活動も推進しており、早期に事業として確立させたいと考えております。是非とも皆様のご支援・ご指導・ご鞭撻を頂戴したいと思いますのでどうぞ宜しくお願い申し上げます。

編集者よりひとこと
濱さまのご回復、復帰を心よりお喜び申し上げます。
日頃から意識してからだを鍛えておくことが、どれほど大切なことかを教えていただきました。
これからも引き続きよろしくお願いいたします。

左の画像は、ザメディアジョン様のホームページより転載させていただきました。
ザメディアジョン様の企業情報をご覧になりたい方は、下記のURLまでアクセスをお願いします。
⇒ http://www.mediasion.co.jp/

株式会社ザメディアジョン
代表取締役兼CEO 山近 義幸 氏

「特別対談」
【鳥浜初代×山近義幸】

※鳥浜初代さんは鹿児島県知覧町で富屋旅館を営んでいる女将さんです。
初⇒鳥浜初代さん  義⇒山近義幸氏


「山近さん、こんにちは。知覧に3日間ですね。久しぶりですね。こんな続けて泊まるの・・・」

「はい。いつも、ありがとうございます。今日の鞄持ち学生君は、優秀です。いつも、いつも、とんでもない学生が多く、迷惑、かけてますが・・・笑」

「熊本大学の園田○○君か。しっかりしてそうだね。頑張りなさいよ。鹿児島出身だったね?ここには、たっくさんの“鞄持ち”君や、さん、が、来られたけど、本当にいろいろいろなことがありましたよ」

「たとえば、どんなことが、ありましたか?」

「いやぁ。突然、倒れて救急車で運ばれた人もいたね。その他、泣き出す学生は数え切れません。笑。」

「うれし涙あり、戸惑いの涙あり・・・ですね。山近さんに言われて、となりの特攻隊員さんが通った散髪屋さんにいった金沢大学の女子学生もいたね」

「根性がある学生もいました。鹿児島市内から5時間かけて、歩いてきた和歌山の学生もいましたね」

「ここで、日本ベンチャー大學に入学決意した学生もいたよね?あの学生さん、元気?」

「後藤虎南ですね。当時、別府大学の・・・。ぐるなびという上場企業です。今、鹿屋市役所に出向して、頑張っていますよ。大活躍です」

「えらいねぇ。山近さぁん。鞄持ちって毎日、交代するわけでしょう? 大変よね」


「女将さんも、若い人たちに、“伝える”ということを、ずっと、ずっと、お婆ちゃんが亡くなられてからも、されているわけですよね? 凄いです。伝え間違っちゃいけないよ・・・という・・・いつも、言われるフレーズ。私たち、歴史を使いながら、若い人たちに講演したり、本、出したりしている人間にとって、絶対に大切な言葉です」

「特攻隊でなくなった人たちに失礼のないようにしつつ、富屋旅館を守っていきたい。ただ、それだけです。でも、皆にもっと知ってもらいたい。特に若い人たちに。
今ある平和に対して、あぐらの姿勢をとらないで欲しいことを。先人への感謝の気持ち。特攻隊員の方々、取り残された人たちの気持ちを感じ取ってほしい」

「我々は若い人たちに便利な世の中をつくりすぎてしまいました」

「何を当たり前として今を生きているのか。周り(家族、友達、地域、国、世界)に何をさしあげているのか、貢献しているのか・・・を感じてほしいです。
そして、自分で自分を認める。自分の良さを自分に誉める。無理をせず等身大の自分のままでいてほしい」

「難しいです。私にとっても。頑張ること自然体で生きることのバランス。もう、感覚でしか教えられないアナログな指導が、今後は大切だと思うんですよ」

「山近さんが、されている゛鞄持ち゛は、その最たるものですね。山近さんのやんちゃな部分と、しっかりしている部分。論語と算盤な部分。そして、堂々としているようで、意外と気がちっちゃい・・・いや・・・きめ細やかな・・・繊細かな!?笑。そんな部分も、若い人たちから新鮮に学べますね」

「ぼくは、あり方とやり方=生き方です。論語とビジネスです。歴史と経済です!二宮金次郎を尊敬しています。あの二元論を、おしえれば・・・と。義務と権利。仕事には辛さと楽しさを両手で受け止めよう・・・と。片手で楽しさだけ・・・なんて、矛盾していると」

「確かに、山近さんは仕事楽しんでいるね。ちょい、つらそうだけど・・・笑」

「女将さんに、その、言葉、そのまんま、お返しします。でも、初代さんは、使命感が、大きく、強く、感じます。私の場合は指名感が、少し・・・。」

「山近さんは、いつも、そういって、少しだけ茶化しながら、約束も守るし、義務も果たすし、利他の精神もあるし・・・。たまに、ポカするけど。笑。」

「はい。謝謝(台湾流/ありがとうございます」


「ところで、手紙館のようなもの、作ろうと思うの。肉親や、大切な人への感謝の気持ちを素直に書くこと・・・。これって、この知覧だから、できる気がするの」
手紙・・・って言葉、素敵ですよね。切なく、失われつつあるもの良さを、若い世代に知ってもらいたい、感性を高めてほしい、手書きでしか伝わらないものって絶対にあるはずです」
そんな、想いを文字にする空間を提供したい、独特な雰囲気を」

「私も、最近、“手紙”の素敵さ、刹那さ、力強さ、いろんな“力”に注目しています。
・西郷隆盛に江戸城攻めを中止させて篤姫の手紙。
・徳川家康に送った、直江兼続の手紙。のちに何万石も与えられことになります。
・坂本龍馬から実の姉へ 「日本を洗濯したいと思う」。確か、霧島の新婚旅行先からですよね。
・映画にもなった、ジュリエットからの手紙。素敵でした。生きる希望さえ手紙は与えます。
・夫を二十万石の大名に押し上げることになる、山内一豊の妻が、徳川家康に送った密書。

最近、盛岡にある“手紙館”にもはまっています。
よく、盛岡でつけ麺食べた後でいきますね。
石川啄木の借金頼むための自筆の長い長い手紙なんか、笑えましたよ」

「特攻隊員さんたちの遺書、手紙にも力があるんだと思います。特別な」

「手紙・・・って言葉、聞くと、なぜか、涙が出ることがあります。
鳥濱トメさんの手紙って残っているのですか?」

「私宛のもとは、もちろんあるよ。琴ちゃん(長女)に、対して、どういうふうに育てなさい・・・とかね。よく、遊んでいたからね。初孫で、嬉しかったのでしょうね」

「女将さん。特攻隊員の手紙といえば、あの婚約者の智恵子さんにあてた手紙で有名な穴澤利夫さん。おあいての智恵子さん、5月31日にお亡くなりになられましたね」

「えっ!?おいくつだったのかしら・・・」

「87歳ですね。私、今週、東京・三田のお墓参りと、福島の穴澤さんの記念碑、行ってきますね。どうやら、穴澤利夫さん、という名前は代々、つがれているようです」

「たくさんの鞄持ちの方々に、伝えていっていただきたい話ですね。隊員さんですね。また、鞄持ち合宿が富谷旅館であるなら、私も、伝えますね」

(次号へ続く)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
富屋旅館さまHP↓↓
http://www.tomiyaryokan-chiran.jp/tomiya.html
盛岡てがみ館HP↓↓
http://www.mfca.jp/tegami/

少子化対策の一環として、平成24年8月に公布されていた産休期間中(※)の社会保険料免除が平成26年4月1日から実施されることが確定しました。
※ここで言う産休とは、出産の日(出産の日が出産予定日後であるときは、出産の予定日)以前42日(多胎妊娠のときは98日)から出産の日後56日の間のうち被保険者が業務に従事しなかった期間をいいます。
■施行日:平成26年4月1日
■免除の期間:産前産後休業を開始した日の属する月から
       産前産後休業を終了する日の翌日が属する月の前月まで免除
■免除となる内容:健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料の被保険者負担分と事業主負担分
尚、免除されるためには事業主が免除の申出をすることが必要です。(現時点では届出方法等の詳細は未定です。)

今まで、出産に関して社会保険料が免除されるのは、育児休業中に限定されていたことから、産前産後休業中の社員さんが働かない間も会社は保険料を負担する必要があり、社員さんからはお給料が無給の場合も何らかの方法で(振込、持参等)徴収することの手間がかかっていたと思います。
今回の改正により、産休中と育休中の双方の保険料が免除されることで費用と事務上の負担が軽減されコスト削減に直接つながることになります。
併せて産前産後休業終了後、育児等を理由に報酬が低下した場合に、定時決定まで保険料負担が改定前のものとならないよう、産前産後休業終了後の3か月間の報酬月額を基に、標準報酬月額を改定する特例も設けられました。現在、育児休業終了時についても同様の改定があり考え方は一緒です。上記のものはすべて事業主の申出が必要となります。
出産育児期に仕事を継続する国の制度は年々整備されてきています。社員さんのワークライフバランスを考慮し、制度を上手に利用されてみてはいかがでしょうか?
育児休業保険料免除制度の詳細はこちらです↓↓(日本年金機構HP)
http://www.nenkin.go.jp/n/www/service/detail.jsp?id=2062

【現行と改正後の保険料負担のイメージ図】

(木村 佐和子)

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