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平成25年5月号
岡社長の今月のアドバイス『やはり予想通りでした。・・・残念』
『出雲大社60年の遷宮』診断士 松下から見た
『“社員がより幸せになる働き方”とは?』社労士BSの労務トラブル対応110番
『社員の住民票記載事項証明書、免許証の取り付けがないとこんな大変なことが…起きるかも・・・』
聖地を訪ねて・・・『天河神社(奈良県吉野郡天川村坪内)』
BS海外コラム『ミャンマーの親日 その5』
コンサルタント小出の今月の気になるキーワード『在庫管理の重要性<発注方式編>』
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≪やはり予想通りでした。・・・残念!≫
韓国 日本政府に慰安婦問題の早期解決求める
聯合ニュース 5月16日 17時48分配信
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍慰安婦は必要だったとした日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の「妄言」をめぐり、韓国政府は日本政府に対し慰安婦問題を早急に解決するようあらためて求めた。
韓国外交部の趙泰永(チョ・テヨン)報道官は16日の定例記者会見で、「日本政府は旧日本軍従軍慰安婦の被害者たちの願いが実現するよう早急に問題解決に向け努力すべきだ」と述べた。また、日本と協議し、問題解決に向け尽力する考えを示した。
橋下氏の発言については、「女性の尊厳に対する冒涜(ぼうとく)であり、歴史を歪曲(わいきょく)し犯罪を擁護する常識以下の発言」と重ねて強く非難した。
韓国政府の目的はお金です。そして韓国の主要産業と17業種も重なるライバル日本の信用を落とすことによって、目の上のタンコブである、国際社会の優等生である我が国の凋落を目的としているのでしょう。 また同時に日本がサンフランシスコ講和条約により米国から正式に独立する前に、領土的野心をもった李承晩大統領によって奪われた竹島(注1)を取り返されないための布石です。 非常に残念です。 さらに飯島内閣官房参与が訪朝しましたが、早速に植民地支配の賠償の話が出てきたということです。 ここで我が国が北朝鮮との関係を改善し、拉致問題が前進すると都合の悪くなるのは韓国です。 韓国政府に焦りの色が伺えます。
(注1) 代表的な対日政策の1つに1952年の一方的な海洋主権宣言、いわゆる「李承晩ラインの設定」がある。豊富な水産資源の漁場の確保と韓国が自国領と主張する竹島(韓国名:獨島)を取り込むために一方的にとられた措置であった。李承晩ラインを越えて操業している日本漁船は従来は公海とされている領域であっても拿捕され、長期間に渡って抑留されたり、韓国官憲による銃撃によって判っているだけでも44人の死傷者を出している。李承晩ラインの設定は国連海洋法条約制定前であり、排他的経済水域が成立する以前である。またサンフランシスコ条約では竹島への直接言及は無いが、その交渉文書であるラスク書簡においては、竹島は日本領であることが謳われている。李承晩ラインの設定で韓国の実効支配下に置かれることとなった竹島の処遇は、現在に至るまで日韓の懸案問題になっている。
過去に何度もこの通信でお伝えしておりますが、日本から韓国への経済援助は少額のものを除いても下記①~⑤の通りです。 そしてそのうちの最も多額の金銭(①と②)は現大韓民国大統領朴槿惠氏の父である朴正煕元大統領の在任中に行なわれました。
①1965年:6000億ドル相当(併合時のインフラ整備等)
②1965年:8億ドル(日韓基本条約) 当時の韓国国家予算の2.3倍
8億ドルも補償されながら、戦後補償は国民に1600万ドルのみ。
後々国民から批判されると、当然のように日本に責任転嫁してきました。
③1997年:100億ドル(通貨危機救済)
④2006年:200億ドル(ウォン高救済)
⑤2008年:300億ドル(リーマンショック)
詳細は下記をクリック↓↓
【憧れが憎しみに変わる】
http://brain-supply.co.jp/images/rekishi/001.pdf
【隣国との関係悪化を憂います】
http://brain-supply.co.jp/images/rekishi/002.pdf
橋下大阪市長の慰安婦発言は確かに慎重さに欠けましたが、発言の中身は近代史を研究している私にはとても問題発言とは取れませんでした。 むしろ彼の目的は日本の国益を守るために、自民党政権を擁護しようとしたものが、逆に飛び火してきたような印象を受けます。 米国軍(沖縄駐留軍を含む)は現在進行形で、各地で性犯罪を含む犯罪を犯しています。その問題に対して橋本市長はストレートに改善策を本音で提示しただけであり、70年近くも昔の、すでに物言わぬご先祖様をターゲットに我が国だけを非難することをおかしいと訴えたのです
近代史の勉強の中で驚いたのは、特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)のことです。 これは大東亜戦争後、GHQ占領下の日本に作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた慰安所のことです。
英語では Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られており、直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称とは印象が大きく異なります。 このRAAは日本の降伏よりも3カ月早く降伏したドイツで、米軍によるレイプの被害者が14000人(ドイツ人女性 11040人)いたことから、連合国の中で問題化したことが背景のようです。 また、沖縄戦では米軍上陸後、強姦が多発したこと(一説によると1万人)と、米軍が日本本土に進駐した際、最初の10日間で、神奈川県下では1336件の強姦事件が発生したことも背景の一つとされています。
正義の軍隊である米軍はその占領下において、連合軍の中で最も多い強姦事件を引き起こしており、これは先のイラク戦争におけるアブグレイブ刑務所における捕虜虐待など、現在進行形で問題を引き起しています。 また同刑務所の捕虜虐待は、軍法会議の結果下記の処分が行われています。
イヴァン・フレデリック軍曹:禁固8年の上、不名誉除隊
ジャバル・デービス軍曹:禁固6ヵ月の上、不品行除隊
チャールズ・グレイナー伍長:禁固10年の上、不名誉除隊
ジェレミー・シビッツ上等兵:禁固1年の上、不品行除隊
サブリーナ・ハーマン上等兵:禁固8ヵ月の上、不品行除隊
メーガン・アンブル上等兵:戒告処分
リンディ・イングランド上等兵:禁固3年の上、不名誉除隊
問題は日本のマスコミと左翼思想の方々です。報道や発言が断片的で、趣旨が捻じ曲げられて解釈されています。 日本の報道機関やイデオロギーで固まった政治家は本当に信用できません。彼らの存在は国益を損ないます。 そしてまたもや相変わらずの、謝罪という言葉が聞こえてきました。
国際社会で謝罪をすればそれはお金を支払うことになるのです。長い不況からようやく脱しようとしている我が国にとってそれは大きなダメージです。 彼らには誤った方向に国民を誘導することなく真実を伝えていただきたいものです。 幸い現代はインターネットがあり、いくらマスコミ等が言葉を端折って、真実を捻じ曲げて報道しようと、ツイッタ―やユーチューブ、フェイスブックなどで数十万人が全文を、あるいは映像を見ることが出来、嘘が通用しなくなってきました。最近の発言力のある政治家はこれをうまく使っています。 すでに日本は上記のとおり、世界の常識を遥かに超える莫大なお金を隣国に支払ってきました。 これ以上の他国からのいわれのない捏造事件によるゆすりやたかりには、断固たる態度で臨むべきではないでしょうか。 ここで謝罪をすれば今後未来永劫金銭を払い続けることになるでしょう。 昭和生まれの我々の代で決着を図るべきであると強く主張したいと思います。
隣国は不当な介入によるウォン安を演出し、日本企業のマーケットを奪ってきました。 隣国の節操のない為替介入で我が国が被った被害は計り知れません。 多くの中小企業の倒産をこの目で見てきた立場から申し上げれば、隣国と我が国は現在既に交戦状態なのです。 経済行為の一手段として戦争があるということは国際社会の常識です。 国民の生命と財産を守ることが国家の仕事であり、互いの政府はそれを実践することが求められます。 国同士は今後の政権維持の一環としてお互いの国益をかけて国民にアピールしていけばいいのです。 しかし一方で政府間同士の争いは別として、民間同士はこのような政治家の駆け引きの犠牲になるべきではありません。お互いの国民同士は今後もうまく付き合っていかなければなりません。 国民同士で争い始めると憎しみは憎しみを呼び、日本が戦争を放棄してから68年もたち、当時者がほとんど亡くなった現在においてもいつまでも尾を引いてしまうのです。
双方が自国の立場を主張し、互いに譲り合わなければ、結果的に将来に禍根を残すことになってしまいます。 アジア地域の不安定は欧州、北米をはじめ経済で急成長してきているインド、ブラジル、ロシアを利することになってしまいます。
今回の米国の介入は、正にアジアの発展を阻止するための布石ではないかと感じます。 21世紀はアジアの時代です。東アジアの安定のため、日中韓朝は協力関係を築かなければなりません。 是非未来志向で進んでいきたいものです。
≪出雲大社60年の遷宮≫
行ってまいりました出雲大社。
昨年、奇跡の写真家といわれ、日本の写真家の中で唯一伊勢神宮と出雲大社の一般の人が入れないところまで撮影許可を得ていらっしゃる「増浦行仁氏」とのご縁をいただき、そのご縁で5/10の「本殿遷座祭」に参加させていただきました。
本殿の写真産経新聞掲載分です。 お見苦しいものも含めていくつかご紹介します。
(産経新聞撮影)
5/9から鳥取・島根に出張を入れ、60年に一度行われる遷宮をこの目で観て、その場の空気を感じてまいりました。 当日は生憎西日本地方の天候は悪く、午前中にお客様を訪問した後、米子から出雲に向かう途中から土砂降りの雨でした。 雨天の中での参加を覚悟しておりましたが、なんと出雲に近近づくにつれて天候は回復、出雲大社に到着したときは曇天ながら雨はピタリと止んでしまいました。 天に感謝するとともに、神様を濡らさないための配慮であろうと、祈らずにはいられない気持ちになりました。 その後夜の本殿遷座祭が始まりましたが、三笠宮家、高円宮家の皇族の方をはじめ、12,000人もの方が全国から集まり、テレビで見る顔もちらほら見かけました。 お陰様で60年ぶりの改修できれいに蘇った本殿(国宝)にご神体の大国主(おおくにぬしの)大神(おおかみ)=オオクニヌシノミコト=を迎える尊い儀式をその場で体験させていただきました。 遷宮は、飛鳥時代の斉明5(659)年が最初といわれ、江戸時代以降は60~70年ごとに実施されてきました。 本殿の建て替えが基本ですが、現在の本殿は延享元(1744)年の造営で、このとき以来改修の方式で行われ、「大社(たいしゃ)造(づくり)」と呼ばれる最古の神社建築様式を伝えています。 今回の「平成の大遷宮」では、平成20年4月にご神体を仮殿に移し、本殿の大屋根の檜皮約70万枚を葺(ふ)き替えるなど伝統技法を駆使して改修が進められました。 昨年7月にその工事完成後の正式参拝の際に古い檜皮をいただき、お守りにさせていただいていますが、昨年は健康に恵まれ、ご利益があったのではないかと、密かに感謝しています。
今回驚くと同時に、神の存在を感じたのは、本殿に120名の神官の行列が入り、ご神体を収めた瞬間に強い風が吹いたことと、遷宮祭が無事終了し、解散の放送が行われた瞬間に止んでいた雨が降り始めたことでした。 その後一晩降りました。 神様からの感謝のサインと、神様を濡らさないよう多くのエネルギーが集結してこの神事を導いたのではないかと感じました。 一説によると人間の魂は鉱物から始まり、長い年月を経て植物に移り、更に動物に移り、人間に宿る前に空の雲に移るそうです。 今回の神事における現象を経験しますと、本当に空に浮かぶ雲は人の魂と近い関係にあることが分かったような気がしました。
これほど神と近いところで生活をさせてもらっている、私たち日本人はなんと恵まれた存在なのでしょうか。 この国に生まれて本当に良かったと思います。
両親にはこの世に生んでくれて有難うと心から感謝したいと思います。
“人は幸せだから感謝するのではありません。感謝しているから幸せなのです”
株式会社ブレイン・サプライ 岡 弘己
診断士 松下から見た
「“社員がより幸せになる働き方“とは」
安倍政権に代わり、今のところ期待感から株価の上昇と円安が加速しています。その中で、国の政策の1つに「若者の雇用」「女性の雇用」がよくあげられています。若者の雇用については、非正規社員の正社員化、女性の雇用については育児休業期間の3年への延長などが話題になっています。
まず、若者の雇用についてですが、内閣府による「平成23年度 国民生活に関する世論調査」で、年代別にみた現在の生活における満足度を見ていただきたいと思います。
上記の表のとおり、20代の70%が「現在の生活に満足している」「まあ満足している」という結果でした。この水準は定年退職した70代の水準とほぼ同じであり、このことからも、若者自身さらに生活水準をアップしようという意欲に欠けているのではないかと思われます。
20代が生まれたのは1980年~90年前後。既に“モノ”はあふれ、生活も豊か。そして学生時代には携帯電話やインターネットも普及し、ネット社会のなかで過ごした世代。世の中はといえば、少子化・高齢化社会が到来、2005年以降は日本の人口も減少。今に満足しているからその先は特に考えない、という感覚ではないでしょうか。また、ゆとり世代といわれるなか、学校教育も従来の詰込み型から「自主性」のもと、逆に強制されることなく、結果として「指示待ち」世代が増えているのでないかと、ふと感じることが増えています。
さらに、社会に入ると「コンプライアンス」という名のもと、何かチャレンジしようとするとそれは前例がない、コンプライアンスは問題ないか、といわれることも増え、さらに冒険する発想も少なくなってきているような気がします。
言葉ではチャレンジ、実際にはリスクの方をとり冒険できない社会。その結果、企業のチャレンジ意欲は薄れ、結果としては安定志向に進んでいるのではないでしょうか。
女性について、安倍政権では「育児休業の期間を最長3年まで延長する」とする案が出されています。女性が社会進出した後のフォローという考えですが、実際に長期間取得すると仕事が続けられなくなるというリスクを感じると思います。また、雇用主の方としてもその間の要員代替で苦慮することから、逆に女性を採用しなくなってしまう危険性をはらんでいます。
さらに、女性にとって職場復帰後の方が大変であると思います。特に子供が低年齢の時は病気になりやすい、また企業側からすれば復帰したと思ったら2人目ということで、その間の人繰りとともに、女性社員のキャリア形成にも大きな影響を及ぼすのではないでしょうか。
一番よいのは、出産後一定期間したら本人の希望により職場復帰を認めるとともに、職場全体で労働時間の短縮を図ることでより気兼ねなく継続できる仕組みではないかと考えます。一方、これをすべての企業に押し付けることはなかなか難しいと考えます。例えば、居酒屋チェーンなど飲食店は夜間が中心になり、結果として育児との両立が困難になってしまいます。よって、業種や対象企業の規模を絞る、またこうした取り組みを行う企業については時間短縮の助成金を出すことも必要になってくるのではないかと思います。
下記調査のとおり女性の労働参加率が高いと出生率が高い傾向があるといえます。
これから先、人口が減少していくなかで、女性が働きやすい企業にするために、より生産性を高めることが重要になります。そのなかで業務を見直し、労働時間を短縮し、女性だけでなく男子もふくめたワークライフバランス型の企業が生き残っていくのではないでしょうか。
ある不動産会社の調査によると、1都3県(東京、埼玉、神奈川、千葉)の通勤時間の平均は以下のとおりでした。
20代 30代 40代 50代
賃貸 56分 58分 62分 55分
持ち家 53分 58分 59分 68分
※アットホーム(株) 「『通勤』の実態に関する調査」
50代の持ち家の通勤時間が一番長く、若い世代ほど通勤時間が短くなっています。これは、不動産価格の下落により、最近購入した若い世代ほど都心に近い物件に住めるようになったのではないかと考えられます。例えば、地方にいくと毎朝NHKの連続ドラマを朝見てから出社するという方のお話をよく耳にします。通勤時間も20~30分程度。首都圏と比べて明らかにゆとりが違います。なお、不動産会社のアンケートによると、理想の平均時間は34分であり、地方の実態に近いようです。
こうした中で、最近は多くの企業でワークライフバランスを積極的に推進しているケースが増えています。岐阜県にある「未来工業」などはユニークな会社の1つです。「常に考える」をモットーに、ホウレンソウを禁止、自発性を重視、業務の遂行は自分で考え、自分の判断で進める、それでいながら創業以来47年間赤字なし。平均の売上高経常利益率は15%、さらに残業なしとのことです。
東京都墨田区にある「小菅株式会社」も商社にもかかわらず、原則残業なし、さらに社員は全員正社員というユニークな会社です。業務のシステム化をすすめるとともに、トイレや休憩室を快適にして女性が働きやすい職場をつくっています。
全てを真似するのは困難なことですが、社員が長く勤められる仕組み作りを行うことで、社員がより幸せになるとともに、これからの企業存続のうえで必要不可欠ではないでしょうか。
(松下 卓蔵)
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社労士BSの労務トラブル対応110番★
「社員の住民票記載事項証明書、免許証の取り付けがないとこんな大変なことが…起きるかも・・・」
【今回の課題】
小売業を営むX社で20年のキャリアを持つパートタイマーのAさんが腹痛を訴え、同じ社宅の方に助けられながら病院行き、治療もひと段落したころ、その病院の事務長から「御社のAさんは保険証をもっていませんよ。」と会社に電話があり人事担当者はその事実に首をかしげました。
【経過報告と対策】
X社の人事担当者が病院に出向き、本人と面談し、保険証を何故所持しないのか理由を聞いても答えませんでした。
その人事担当者は市役所に出向き国民健康保険の手続きに行きましたが、現住所が確認できず発行できない状態でした。その時本人より電話があり、「私の本当の名前はBで年齢は73歳です。」と偽名を名乗り年齢を詐称していたことを明かしました。当然本名で現住所を登録し、健康保険証の発行はできましたが、会社としては即刻解雇に踏み切らざるをえなかったことは言うまでもありません。(解雇をする場合は、就業規則に明記しておくことが必要です。)
その人事担当者は以前市役所より過去2回ほど本人の現住所確認の書類が送付されてきていましたし、社会保険加入の依頼をしても、本人は拒みつづけました。本来ここでアクションを取るべきだったのですが。
X社にパートタイマーとして長年勤めていたそうですが、履歴書も提出されていませんでした。その当時は会社の規模も小さく、社長の一声で採用が決まったようですが、やはり古い方でも後から履歴書や住民票記載事項証明書、運転免許証の取り付けをしておけばこのようなことは起こらずに済むはずでした。
そこで人事担当者はAさんはおそらく過去にも問題を発生させたことのある人と推測し、念のため社宅退去命令に1か月間の猶予を与え、通達しましたが、期限の前日になっても退去することがなかったようで、会社に呼び、事情を聴きましたが、退去の準備すら出来ていないことから、鍵を返却してもらい、引っ越しの準備が出来次第、鍵の貸し出しをすること伝えました。その後結果的には、会社側で生活保護の申請の手伝いをし、約10日後に退去につなげることが出来たようです。ただ室内は、入居してこのかた一度も清掃していないような状態であったようですが。
会社は社宅にこのような人を居住させていたことに責任がありますので、何とか退去、並びにご縁に区切りがついたことに安堵したようですが、この期間約4か月を要してしまい非常に無駄な時間と労力をつかってしまったことに反省をしたようです。
人事担当者は社宅の管理規定(チェック体制)も見直したことはいうまでもありません。
≪まとめ≫
① 履歴書をはじめ、住民票記載事項証明書、運転免許証等は提出させないと大変なことになります。
② 提出できない人を雇用することはそれなりのリスクを負うことの覚悟が必要です。
③ また社会保険加入を拒否する人はもっと大きなリスクがあります。
(上田 幸俊)
~ 聖地を訪ねて ~
天河神社(奈良県吉野郡天川村坪内)
4月13日(土)快晴10:00 大和八木駅に到着。ここから車で、私の好きな橿原神宮・岡寺を横目で見ながら、桜が満開で渋滞する吉野村を迂回し黒滝村の道の駅(やまざくら満開、猪コロッケ試食)で小休憩を入れ、天川村(標高820m)に昼前に到着です。
天川村は、世界遺産である大峯山(修験道片道3時間1,719m、女人禁制)の登山口であり、ここから高野山 奥の院までも車で1時間です。今回の目的地である『大峯本宮 天河大辯財天社』(飛鳥時代の創建、音楽や芸能の神様、天河神社)は、植島啓司著「日本の聖地ベスト100」(集英社新書)でランキング1位に挙げられています。まさにこの場所にお参りしようと、岡社長から突然誘われ驚きました。そして、雪解けを待ち、奈良の山本氏の案内で、天河神社を参拝することになりました。
二年前の台風被害がひどく「天の川」大氾濫の復旧工事中でした。天河神社本殿と宝物館は、社務所が床上1m以上浸水したにも拘わらず大きな被害はなく、清められている気がしました。ここは、空海が修行したところでもあり、向かいの『来迎院』境内には弘法大師お手植えのイチョウの巨木(天然記念物)があります。水と杜に囲まれた此の地は、まさに神々しいパワースポットです。冬は雪深く、二日前には積雪が3cmあったと聞いて驚きました。
もう一つ、ここを聖地とするのに大きな役割を果たしたのが「四つの天から降った石」(天鼓岩、ラムダ石、獅子鼻岩、鏡岩)の存在です。境内に三つの天石、さらに天の川を5分ほど下流に歩くと、禊殿があり、ここにも天石が祀られています。参拝される方は、天の川沿いの禊殿にも必ず行かれてください。
当日は、天川村の洞川(どろがわ)温泉に泊まり、風情ある宿場町を歩き、店先で「名水とうふ」に舌鼓をうち、日頃の疲れを温泉で癒すことができました。この温泉地には、昔から吉野の桜を観るお客様、大峯山登頂客などが訪れるそうです。
日常生活に戻り、仕事も順調、気流法の治療を受けると「気の流れ」も良く、この一ヶ月は公私ともに幸運な楽しい毎日です。事業の発展を祈願した当社は、お客様の労務トラブルが落ち着き、当社スタッフの意欲・チーム力が強まり、大手企業からのオファーも増え、面白い会社になる予感がします。
(木暮 一郎)
《ミャンマーの親日 その5》
さて、永らく「ミャンマーの親日」について書いてきましたが、いよいよ最終回です。
前回までお読みいただいた皆さんは、ミャンマーと日本の関わりについて、また日本がミャンマーの独立について果たした役割について、十分ご理解いただいたと思います。
この歴史的経緯により、親日国家ミャンマーが誕生するのですが、今回は最後にミャンマーがどれくらい親日なのかをご紹介して筆をおきたいと思います。
元ミャンマー大使の山口洋一氏はかねてより「世界に特筆すべき親日国が二つある。トルコとミャンマーだ」という話を聞いていたそうです。
氏は実際にミャンマーに赴任してそのことを肌を持って感じることになります。
まず、大使館公邸に到着したとき、正門に配備されていた守衛の出迎えの挨拶が旧帝国陸軍式の敬礼だったことに驚きます。
そして、夕方ともなれば国営テレビから軍艦マーチや海ゆかばが流れるのです。
前にも書いたように「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」「愛馬行進曲」「歩兵の本領」などはミャンマー国軍の軍歌として使われているからです。
これらはビルマ語に歌詞を変えられ、多くの国民から愛唱されています。
また、街を行く車は圧倒的に日本から輸入された中古車が多く、「坂田酒店」とか「ひとめぼれ・寿屋」などと書かれていて、大型バスのドアのところには「ワンマン・入り口」、行き先表示のところには「高浜海水浴場」とあったりします。ペンキで塗り潰せばいいものを、ペンキ代もないのだろうかと思っていたら、なんとわざとそのままにしていることがわかりました。
日本製なら品質がよいという高級イメージが定着しているので、正真正銘日本製だと自慢の種になる日本語表記は誰も抹消せずに大切に残すのだということです。このあたりは、商品にわざと日本語表記を使用し、日本ブランドだと消費者に誤解させる台湾や香港の商法を彷彿とさせます。
ヤンゴン外語大で教えられている様々な言語のなかで英語に次いで日本語が学習されていることも台湾と似ています。
また、日常生活では勿論のこと地方を旅している時も自分(山口氏)が日本人だとわかるとたちまち態度を改めて特別の好意を示してくれるのも台湾チックです。
会田雄次『アーロン収容所』を読んでもビルマ人の親日を知ることができます。
本書は戦後、イギリス軍の捕虜となり、ビルマにある捕虜収容所に収監されることになった会田氏の回想記です。会田氏は「私たち捕虜に対するビルマ人の好意は不思議なほどであった」と書いています。
厳重な警備の目を盗み、作業場や町角で、ビルマ人が黙ってタバコを落としてくれる。脱いでいたシャツのポケットをみればセレ(ビルマの煙草)やモウ(ビルマのお菓子)が入っている。これらはたいていビルマの娘たちの贈り物だったそうです。
会田氏たちがある家の清掃をしているとき、四つくらいの可愛い幼女が「見よ東海の空あけて」と愛国行進曲を歌いながら踊りを見せてくれたこともありました。兵隊たちが拍手すると女の子は嬉しそうに日本風にお辞儀したそうです。
捕虜の身である日本兵を慰めようとしたもので会田氏は目頭が熱くなったといいます。
ある苦力みたいなおじいさんは日本兵捕虜に会うといつも土下座をして手を合わせるのでこちらが恐縮してしまったというエピソードも紹介されています。
捕虜生活も一年くらいたつと次第に自由になってきて、ビルマ人から昼食に誘われることもありました。
ビルマの食事というのはとても辛いのでいらないと云ったが承知しません。手で食べることにも抵抗があったが、郷に入らば郷に従え、それが礼儀だと手で食べるとワッと歓声が起こる。何事かと思ったら「やっぱりニッポンのマスターはえらい。イギリス人は自分たちと食事など絶対にしない。手で食べるのは野蛮人だなどという。日本人は自分たちを同じように取り扱ってくれる」ということらしい。そして、しきりに「イギリスはいかん。イギリスはいかん」というようなことを言います。
また、「戦争は本当に負けたのか。負けても日本のマスターがたくさんいてくれるので自分たちは心強い。どうか帰らないでくれ。武器はどこにかくしてあるか。いざというときは一緒に戦おう。また勝つさ」と話す者や「帰らないでくれ」と涙を浮かべている者もあったそうです。
捕虜になる前、ビルマ国内で戦争をしていたときの話もあります。
会田氏はシャン高原の山中でマラリヤに倒れ部隊から離れてしまって同行は二、三人だけになってしまいました。
日暮に小部落の前にでたので日本軍部隊がいると思ってオーイと連呼していると小銃をもったビルマ人が出てきました。それぞれ、別の家にあげられ、そこで鶏を使った御馳走をしてもらい、あくる日には味のついたお粥(たいへんおいしかったらしいです)が出ました。さらに、背嚢を背おってくれてはぐれた部隊まで一緒に連れて行ってくれました。
お礼にタオルを差し出したら、手を振って遠慮します。それでも無理に渡すと、嬉しそうにタオルを頭に巻いて戻っていったという話です。
このように書くと日本軍がいかにも正義の味方のようにみえますが、もちろん、戦争ですから違う側面もあります。
虐殺をやったわけではありませんが、占領政策に要する各種施設や物資の徴発で掠奪まがいのことをやったのも事実です。
日本軍憲兵の暴虐な振る舞いもビルマ人を怖れさせました。たとえば、ビンタ一つにとってもビルマでは首から上の部分に手を下すことは想像を絶する侮辱と受け止められていてこの国の人たちは絶対にしません。
いまでも年配のミャンマー人は「日本の兵隊さんのやったことでビルマの人たちに嫌がられたのは『ぴんた』と立小便でした」と振り返ります。
また日本軍進駐のせいで、イギリス軍から空爆を受けラングーンやマンダレーは廃墟になってしまいました。コウバウン王朝の宮殿が跡形も無くなるほど破壊されたのもこの時です。
それほど日本軍はビルマ人に迷惑をかけたにもかかわらず、ビルマ人の親日は揺るがなかったのです。
例えば、敗戦末期の日本軍にビルマ人がどれほど厚い手を差し伸べたか、日本兵が残した数多くの文献や手記に記されています。
乞食同然のぼろぼろの姿で敗走する日本兵にビルマ人は食べ物を与え、傷つき、マラリアや赤痢に苦しむ者を手厚く看護してくれました。ビルマ人のこうした好意によって命をとりとめた兵士の数は計り知れません。
そして、ビルマ人の間ではいまでも、「日本軍が来てイギリスを追っ払ってくれたおかげで独立を得ることが出来た」と素朴な受け止め方が広くなされています。
だから、ミャンマーのテレビドラマでは日本軍兵士が勇敢で優しい善玉として出てきます。日本軍が常に悪玉として描かれるどこかの国々の映画やテレビドラマとはまったく逆の構図がここにあります。
日本はこの国の好意にこれまで十分に応えてきたのでしょうか。
このように好意的な眼を向けてくれている国に対して、軍事政権というだけで北朝鮮と同じように思っている日本人も多いのではないでしょうか。
ミャンマーは北朝鮮のように隣国人を拉致したり、偽ドル札を造ったり、覚醒剤を売ったりしたことはないし、中国のように隣国を侵略したこともありません。なのに、北朝鮮や中国を差し置いてミャンマーにネガティブキャンペーンをはるマスコミが存在するのは、日本の将来にとってどうなのでしょう。
先にご紹介した台湾と同じく、マスコミに踊らされることなく歴史の本当の真実はなにかという眼をしっかりもって、このグローバル時代に的確かつ柔軟に対応して行く姿勢が今こそ求められていると思うのです。(この項終わり)
(坂井 優)
《第12回:在庫管理の重要性(発注方式編)》
前回に引き続き、在庫管理の重要性についてお伝えします。今回は代表的な発注方式である「定量発注方式」と「定期発注方式」の内容についてご説明致します。
1、定量発注方式(発注点方式)
在庫量が一定の量(発注点)に達した場合、あらかじめ設定した一定量(経済的発注量※)を発注する方法です。発注間隔や時期はばらつきますが、名前の通り発注量は常に同じということになります。
※経済的発注量…1回あたりの発注量を増やせば、発注回数が減るため、発注処理・受入れ処理に関わるコストは減りますが、在庫が増加するために在庫管理関連の費用は増大します。逆に1回あたりの発注量を少なくすると、在庫費用は削減されますが、発注関連費用は増大します。このような相反する関係を踏まえた「総費用を最も小さくする発注量」を「経済的発注量」と言います。ただ、この考え方に基づく発注量設定は、需要を読みにくい小売業への適用は困難だと言われています。
<メリット>
◆運用・管理が容易
⇒ 一度発注量を決めてしまえば、その後は面倒な計算も必要なく、ただ、発注量だけを捉えておけばよい。
◆事務処理の効率化・自動化が容易
⇒ 自動発注への切り替えも可能であり、在庫管理関連の費用を抑えることが可能になる。
<デメリット>
◆需要変動の激しい製品には不向き
⇒ 一定量しか発注しないため、変動が激しいと在庫切れあるいは過剰在庫が発生する。
◆調達期間(リードタイム)が長いものには不向き
⇒ 発注から納品までのリードタイムが長くなると、ちょっとした需要の変動に対応できない。
◆運用がルーズになりやすい
⇒ 手間が掛からない分、注意も払われなくなりやすい。
欠品を引き起こすということは、生産サイド・管理サイド・販売サイドのすべての面において損失が発生します。「機会損失」です。つまり、その欠品発生により、やることが無くなった製造社員同士がムダ話をしたり、ぼーっとしている時間、本来やるべき業務から離れて特別便を手配するはめになった物流担当者の失われた時間、欠品していることをお客様に謝罪するために営業マンがお客様を訪問する時間など、欠品によって多くの被害者が発生し、目に見えないコストが発生しているということを全社員が理解する必要があります。「欠品は発注者のミスだから、その人間の評価を下げるだけ」では済まないのです。
さて次回は「定期発注方式」の説明をします。
(小出 貴巳)
特別投稿【時事観望】
株式会社ウェルス・マネジメント
代表取締役 濵 昌志氏
「北方領土問題 日露首脳会談 どうなるのでしょうかね?」
今年は三寒四温という表現では飽き足りない程、気温の上下動が長期間続き北海道の帯広で五月に降雪し、同日に他地方で夏日が現出するなど本当に違和感を強く覚える気候でしたが皆様、体調は守れましたでしょうか。
さて日露交渉が華々しく報道されていましたが皆様のご感想は如何でしたでしょうか。私は前号でも記しましたが大型経済協力というカードを如何に上手にちらつかせながら領土返還交渉を進めるかと注視しておりますが、滑り出しはやはり「へっぴり腰」の感は脱していないというのが感想です。
戦後68年を経過しながら平和条約の無い異常性を双方認めるという話でしたがその理由は露が北方四島の1946年2月2日以降の不法併合にあることをあの場で明言すべきであるのに肝腎のこの部分になると「北方四島一括返還要求」の言葉は使用せず「北方四島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶ」と繰り返すばかりで食傷気味の紳士外交もこの辺で止めて頂きたいものです。このまま行けばプーチン大統領の得意の国際柔道用語を使った「北方領土引き分け提案」という露の思う壷に篭絡されると予想します。
この腰の退けた思想・発想こそ戦後憲法により無意識裡に我が民族に醸成された敗戦国思想ではないでしょうか。敗戦の残滓は未だ脈々と息付き、哀しいかな主勢を占めていると思います。
そこで皆様、北方問題だけでなく領土問題を考える基幹は何だとお考えになりますか。先取の問題や歴史的問題、条約の内容、法的根拠、など色々在ります私は領土というものは父祖・同胞の「血命の代償」であるという意識が土性根であると思います。決して経済取引のように金銭をその対価として扱ってはいけないという事を胆に据えて考えるべきだと思います。そう考えることで自ずと歴史に目が行き、特に我が国の場合は近代史に思いを馳せないと如何にして父祖・同胞がその血命で贖ったかということを骨身に沁みて感じることが出来ません。まさに親の苦労の解からないドラ息子同然です。「引き分け提案」などに同調することはどれだけ犠牲になった父祖・同胞の思いとその犠牲を蹂躙するものであるか、そこに思いを馳せ、伝えるのが我々の責務ではないかと思います。日清・日露の役から太平洋戦争の終結に至るまでの凄まじい戦いに散華し靖国神社に祀られる英霊の話を縷々伝えることは出来ませんが今回は日露の戦の後に締結されたポーツマスの講和条約に纏わる感動的な秘話をご披露することで先達の心意気を偲びたいと思います。
ポーツマスの講和条約の締結は歴戦に敗北を重ねながらも日本に比べまだ戦力に余力を残していた露は講和斡旋の親電を送って来た米国大統領ルーズベルトに対して皇帝ニコライ二世が「一握りの砂も、1ルーブルの金も日本に与えてはならぬ」と返電しており、この方針のため交渉は当然難渋を極めました。片や、我が日本は動員された兵力108万8996名、戦死4万6423名、病気・負傷の為、兵役免除となった者約7万、俘虜約2千人を数え、その他馬の死亡頭数3万8350頭、艦船の沈没または破損91隻 費消軍費は陸軍12億8328万円、海軍2億3993万円 合計15億2321万円(日露戦の10年前の国家予算の総歳出が約2億円です)に上り、この軍費調達の為に公債を買い、その原資を非常特別税で徴収していました。国力は消尽し戦争遂行能力は危殆に瀕しておりました。その上、国民の多くは働き手の男子を徴用で奪われ戦病死で失い、また負傷して帰った者を抱えねばならないという状況であり司馬遼太郎氏に言わせれば「この戦争の大予算そのものが奇跡であるがそれに耐えた国民の方がむしろ奇跡であった・・・」となります。
国民はこのような状況下で当然、多大の償金や領土割譲を期待していましたが結果は大きく外れ国民の憤怒を買い日比谷公会堂の焼き討ち事件に繋がっていきます。この時の日比谷公園での集会で使われた軽気球や旗幟には「嗚呼大屈辱」、「破棄 破棄」「吾に斬奸の剣あり」との字句が墨書されていました。
戦争継続の国力の無いことは国民には知らされていなかった為、小村寿太郎を首長とする交渉使節団は辛苦を重ね、苦渋の決断をして交渉し出来る限りの条件を引き出したのですが自国民の評価を得ることは出来ませんでした。
その引き出した条件の一つに鉄道の経営権がありました。南満州鉄道といいますがこの権利・権益を時の桂太郎内閣が財政回復の為に米国の鉄道王ハリマンに売り渡そうという話が持ち上がりました。当時米国は応酬に比し東アジアへの進出に遅れをとっておりその挽回の為、極東での経済進出を期しこの鉄道を買収し露のシベリア鉄道と繋ぎ日本、清国、シベリア、欧州を貫く経済圏の構築を目論んでおりました。これは本来、当然戦勝国である日本が企画運営すべきことでありますが、時の内閣はその時世下の財政補完という短期的な目的の為、国家百年の計の基幹となり得る権益を、それも買収やM&Aなど経済活動で得たものでなく将兵の血命で贖った権益を売り渡そうという計画であったわけです。桂内閣は日本政府とハリマンとが同率の資本投下という形で経営することを決め既に覚書を交わしていました。情報を聞いた小村は早々に帰国し、首相以下、閣僚を命懸けで説得し見事に翻意させ重要な国益を守護したのです。その時の言葉が以下の通りです。小村は覚書が講話条約の規定に反すると前置きし、握拳しながら「南満州鉄道は清国の了解を得た上で露から日本への移譲が決定するのです。日本政府がハリマンと直接契約を結ぶ筋合いのものではありません。更に我が国民は講和条約にすら大不満で、もしも漸く得た南満州鉄道をハリマンに売渡したことを知れば激昂しどの様な大暴動を引き起こすか知れません。ハリマンは我が国が多くの将兵の血で勝ち得た南満州鉄道を財力によって奪い取ろうとしているのです。そのような計画に賛同は出来ません」と。桂首相は固い表情で長い間、小村の顔を見つめその後ハリマンとの覚書が大きく国益を損ねることを自覚したらしく顔から血の色が失せ、翻意に至ったと聞きます。
中国戦国時代の思想家、韓非子の言葉に「小利を顧るはすなわち大利の残なり」という言葉がありますがこれは「小さな利益に固執すると大きな利益を失うことになる」という意味ですが正しく国家百年の計に値する国益が水泡に帰しかけていたのを防いだわけです。領土問題に限らず国を衛る為に時代は今国民一人一人に、このような気構えを求めているように思いますが皆様は如何思われますか。
最後に石原慎太郎氏のコラムに掲載されていたが92歳になる或る戦争未亡人が今日の日本の有様を観て慨嘆された歌に感動を覚えましたので記しておきます。この方は22歳にして新婚早々の夫が戦死し、父親の顔も知らずに残された子供を育て、夫の両親を看取ってきました。
その方が詠まれました。
「この国のかく醜くもなりぬれば、捧げし命ただ惜しまるる」
<濵 昌志氏 略歴・ご趣味>
1954年大阪生まれ、同志社大学経済学部卒業
大手アパレルメーカーに勤務後、ソニー生命保険に入社、保険会社数社を経て、知己の税理士の協力を得て2010年の秋に会社を設立。趣味は野球(大阪で夏の甲子園出場を果たした公立高校の野球部出身です)、ジョギング。57歳の年齢で毎週1回、5キロ走り、このペースで30年間走り続けています。
左の画像は、ザメディアジョン様のホームページより転載させていただきました。
ザメディアジョン様の企業情報をご覧になりたい方は、下記のURLまでアクセスをお願いします。
⇒ http://www.mediasion.co.jp/
株式会社ザメディアジョン
代表取締役兼CEO 山近 義幸 氏
【体育会、学生の採用・教育は、まず、東京ドーム横・戦没者記念碑゛に、連れて行ってから・・・その2】
名古屋ドラゴンズで活躍された、特攻隊員として有名な石丸進一選手についてのお話しの続きです(4月号より)
入団一年目は、兵役で離れている兄の代役という事で、二塁手として73試合に出場します。
結果は打率.197、本塁打0、打点8といいますから、あまり大した成績ではない。
ちなみにこの年の最高打率は川上哲治の.310、翌年は呉波(呉昌征)の.286です。
しかし、ピッチャーへの夢を捨てきれない進一は、煙草の銀紙を集め、これを丸めて作ったボールで、手首を鍛えて、投手としていつでも出発できるように日ごろから訓練をしていたそうです。
翌、昭和十七(1942)年、兄、藤吉が無事復員して、球団に復帰したことを受けて、進一はようやく念願のピッチャーになります。
そして進一は、この年の4月1日、対朝日戦で、いきなり完封勝利をします。
とにかく、投げる球が速い。
加えて、コントロールが、針の穴を通すほどの正確さです。
進一は、初登板初先発でも、なんと2安打の完封勝利を飾り、さらに7月12日の対巨人戦では、巨人先発が当時プロ野球最強投手といわれた須田博と投げ合って1-0で勝利を飾る。
この年の石丸進一の成績は、17勝19敗、防御率1.71と大奮闘です。
ちなみにこの年の名古屋軍の成績は、105試合で39勝。
つまり、石丸進一は、勝利数の4割強を稼ぐという獅子奮迅の活躍をしることになります。
翌、昭和十八(1943)年には、十八年の成績は、20勝12敗。
2シーズン通算防御卒1.44です。
そして、この年の10月12日、石丸進一は、対大和戦で、戦前最後のノーヒット・ノーランを達成します。
おかげで当時弱小球団だった名古屋軍(中日)は、この年の順位を2位まで躍進させるのです。
その9日後、進一は秋雨の降る神宮外苑競技場で、【学徒出陣壮行会】に参列します。
学生服にゲートルを巻き、銃を肩にして雨の中を行進した。
進一さんは、海軍飛行科を希望し、この年の2月、第14期飛行予備学生として筑波海軍航空隊に入隊します。
この頃、航空隊では、進一も上官からよく鉄拳制裁を受けていたそうです。
そんなある日、上官チーム対予備学生チームの野球試合があった。
進一は、予備学生チームのエースとして登板し、上官チームにファウルはおろか、バットにかすりすらさせず、なんと20対0や30対0といった大差で予備学生チームを勝利させています。
上官チームの一人が、「オイッ、もっと遅い球を投げろ!!」と罵声を飛ばすと、進一は遅い球どころか、もっと速い球を繰り出していたそうです。
試合中、予備学生チームの外野手は、あまりに球が来ないからと、全員で、煙草をふかして一服までしたとか。
ここでも進一さんは、予備士官生たちの、まさにエースであった。
翌、昭和20(1945)年2月、石丸は少尉に任官。特攻隊員を志願します。
友人の浅野文章少尉が、最後の言葉を書き残すためにと、小さなアルバムを進一に手渡します。
進一は、ペンをとると、そこに、
~~~~~~~~~~~~~~
葉隠武士 敢闘精神 日本野球は
~~~~~~~~~~~~~~
と書きました。
あとの言葉が続かない進一に、浅野少尉が「この期に及んでまだ野球か?」というと、進一は浅野のほうを振り返り、「おう!! 俺は野球じゃ、俺には野球しかないんじゃ!! 野球だけなんじゃ!」と怒鳴るように言ったそうです。
その途中で終わったアルバムの文章は、未だ、そのままで時が止まっています。
石丸進一少尉らの出撃は、最初5月1日に予定されていました。
その前夜に書いた赤嶺球団代表への手紙が残っています。
彼は次のように記しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
野球という職業を選んだことを幸福に思っています。
苦しいこともありましたが、それ以上に野球に楽しみを得ました。
24歳のいまの私には、何の悔いるところもありません。
明5月1日、必ず敵艦命中します。
「忠孝」私の人生は、この二字にて終わります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし、情報が錯綜するなか、出撃はいったん見合わせになります。
5月10日、日本側の索敵機が、沖縄東方120海里に敵空母2、戦艦4の南下を発見します。
そして、菊水六号作戦発動に伴い、石丸は神風特別攻撃隊「第五筑波隊」隊員として500キロの爆弾を装着した零戦に搭乗する。司令の訓示が終ったあと、石丸少尉は、「さっ、名残に一丁、元気でいこうぜ!」と本田耕一少尉に声をかけます。
そしてふたりで、鹿屋基地に近い宿舎の野里国民学校の校庭で、最後の名残のキャッチボールを始めた。
このときの一部始終を、従軍記者として取材に来ていた山岡荘八氏が見ています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
石丸進一少尉が一球投ける。
そのたびに本田耕一少尉がボールをキャッチして、「ストライク」と答える。
その声が青空を突き抜けるようにあたりにひびく。
私(山岡氏)はわれを忘れて球審の位置に立ってみたが、これほど野球が好きだったのかと思うと、残念ながら眼がかすんで、球はまるで見えなかった。
たしか十本通して、「ボール」という声は一度も本田少尉の口から漏れず、「よーし、これで思い残すことはない」
躍り上がるようにミットとグローブを校舎の中に投げ込んで、私に笑顔を向け、手を振りながら飛行場へ駆け去った。(山岡荘八著『庶民の中の士魂-野球と特攻』)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後のキャッチボールを終えた石丸少尉は、午前六時五十五分、鹿屋基地を離陸します。
出発のとき、石丸少尉が投げた鉢巻には「我、人生二十四歳にして尽きる。忠孝の二字」と墨書されていたそうです。
最後のキャッチボールをした本田耕一少尉は、法政大学出身の一塁手だった方です。
その本田少尉も・・神風特別攻撃隊「第六筑波隊」隊員として、石丸少尉から遅れること三日目の、五月十四日、出撃し、沖縄の海に散っています。
さて、この一人の特攻隊の話を読まれて、どう思われますか?
私は、もちろん「知覧観光大使」もさせて頂いているので、いろんな思いも複雑なのですが、経営者的な立場からすると
・活躍する人の感謝力
・プロ野球選手のスカウトについて
・若者の教育は振り子の如く、はげしい保守教育とかない!
などを感じました。
ご両親やお兄さんへの思いを胸に描いたからこそ、活躍された石丸さん!
類まれなる素質を持ったエースを入団させたからこそ、強いチームとなったドラゴンズ!
この衝撃の句碑に感じた私の生徒たち!
ある方がいわれました。
山近さん! 特攻隊員の話を弄ばないでくださいね・・・・・・。
これには深い意味があります。素敵な話がいっぱい、あります。
もてあそぶ・・・弄ぶ・・・というのは、こんな話を聞いても、いつもと同じ堕胎した日々をすごすということです。
この人たちに学び、少しでも、一歩でも、この人たちの近づく行動をしてこそ、私たちは、彼らに恩送りなのです。
いい人財を採用しましょう。
バスに誰を乗せるか・・・。
「ビジョナリー・カンパニー」でも、かかれていましたね。
そして、人財を発掘し、若者たちの中に、眠る、「レアアース」に、火をつけるのは、私たち、経営者の役目です。
★労働保険料の申告・納付期間は、6月3日(月)から7月10日(水)です★
労働保険とは労働者災害補償保険(一般に「労災保険」といいます。)と雇用保険を総称した言葉です。
2つの保険は別々のものですが、保険料の納付等については、一体のものとして取り扱われています。(建設業や農林・水産業などの一定の事業は、労災保険と雇用保険とを別々に取扱います。)
労働保険の保険料は、年度当初に概算で申告・納付し、翌年度の当初に確定申告のうえ、精算する仕組みです。
この前年度の確定保険料と当年度の概算保険料をあわせて申告・納付することを「労働保険の年度更新」といいます。
労働保険料は、毎年4月1日から翌年3月31日までに支払う賃金総額に保険料率を乗じて算出します。
平成25年度の年度更新の算定対象期間は、次のとおりです。
平成24年度確定保険料 ⇒ 平成24年4月1日から平成25年3月31日まで
平成25年度概算保険料 ⇒ 平成25年4月1日から平成26年3月31日まで
年度更新のしくみ
(宮澤 令子)
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