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令和2年年末年始特大号①(1/3)

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サプライ通信

岡社長の今月のアドバイス
●『2020年を振り返って』
●『大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑲』
●『新しいサービスのご案内!』
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労務の寺子屋
『整理解雇の4要素(4要件)』
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関西事務所便り
『リフォームのよもやま話』
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BS企業名鑑
『株式会社 コラットベース
代表取締役 深瀬 工 様』
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今月のご縁むすび
『KFSグループ 代表 小島 清一郎 様』
ブレイン・サプライスタッフより
『年末年始のご挨拶』
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社労士法人ブレイン・サプライからのお知らせ
『コロナ関係助成金のご案内』
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ブレイン・サプライグループからのお知らせ
・『ヒトLabo研修(オンライン版)』のご案内
・『sai*reco(サイレコ)』のご紹介
・『RPA』のご紹介
・『バリューイノベーション』のご紹介
・『セキュリティ診断』のご紹介
・『Eye247』のご紹介
・『meet-in』のご紹介
・『heARTfulness for living協会』のご紹介
・『ちょくルート』のご紹介
・『冷凍マンゴー販売』のご案内
・『鳥取事務所長退職と鳥取事務所閉鎖について』

2020年を振り返って

今年一年を振り返りますと、正に新型コロナ一色であったように思います。
翻って、天災は数えるほどしかなく(台風で被害を受けられた九州の皆さんには申し訳ありません!)、新型コロナウイルスの蔓延とそれに伴う経済不況以外は印象に残らないほどでした。
当社も今年の決算状況は思わしくなく、テレワークと情報セキュリティに関わる多額の投資や、お客様の減少等の、新型コロナウイルスの影響をもろに受けた形となりました。
一方で、助成金受給のお手伝いや、社内のリストラクチャリングにおけるサポートを求められ、緊急事態宣言後はフル稼働状態となりました。
また、テレワークによる業務の延長線上で、新しいサービスの創出の骨格がほぼ出来上がり、今後の当社業務の根幹となるサービスの提供が可能となりました。会社や社員に降りかかる一時的な危機感は、成長のきっかけとなることを、また社員の意識が劇的に変わっていくことを実感した一年でした。年末を迎え、新型コロナウイルスの第3波が急拡大しておりますが、我が国民の対応力には目を見張るものがあり、第1、2波の際の全国的なパニック状態はみられません。様々な危機を乗り越えてきた日本人には、すでに新型コロナウイルスは、乗り越えることのできるハードルにしか過ぎなくなったのでしょう。 嬉しい限りです。



世界を見渡せば、アメリカ大統領選があり、私の予想に反して、民主党のバイデンが勝利宣言(11月12日現在)を出しましたが、トランプがそれを認めず、またウィリアム・バー司法省長官が、全米の連邦検察官に対して、大統領選で不正があったというトランプの訴えについて捜査を認めるとの指示を出しました。来年の1月20日の大統領就任式までに、まだまだ一波乱ありそうです。
弊社は、お陰様で一昨年度に創立10周年迎えることが出来ました。 今は次の10年に向けての布石を打ちつつ、新しいビジネスモデルの構築に注力しており、また事業の承継を目指した、人材の育成にエネルギーを注いでおります。そして更なるサービスの向上(7P参照)を図ってまいりたいと思います。
今までご縁をいただいたお客様と共に、そしてこれから出会うお客様と共に、繁栄していきたいと思います。

<今年もお世話になりまして、有難うございました。 引き続き来年もよろしくお願いいたします。>


大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑲



第19回目は、加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 – 1942年(昭和17年)5月22日)、日本の陸軍軍人、戦闘機パイロットです。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)の出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。 私の大好きな軍人で尊敬する人物の一人です。(写真①②③)
大東亜戦争(太平洋戦争)緒戦時、戦隊長として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率い、一式戦闘機「隼」をもって活躍し、感状7回授与を受けました。帝国陸軍(陸軍航空部隊)のみならず日本軍を代表するエース・パイロットの一人です。戦死後「軍神」として称えられました。
私が加藤建夫少将を知ったのは、幼少の頃に観た「あゝ陸軍隼(はやぶさ)戦闘隊(1969年・大映・佐藤允主演)」がきっかけです。武士道を体現した主人公加藤中佐(当時)が、部下を大切にし、戦場から帰国しても家族の元には戻らず、黙々と戦死した部下の遺族を見舞う姿が非常に印象的でした。中国戦線で実績を上げ、大東亜戦争開戦時に、パラシュート部隊支援のため、体を張った指揮官先頭を果たし、緒戦におけるオランダ軍を壊滅し、インドネシアパレンバンの石油基地を占領するシーンは、鮮明に記憶に残っております。





その後1944年の戦意高揚作品として製作された「加藤隼戦闘隊(藤田進主演写真④⑤)」を観ましたが、戦闘シーンは、特撮と違い実際の戦闘機を使用したこの作品のほうが、より迫力がありました。 父が家に保管していた日本の軍歌のレコード2枚の中で、最も好きな歌が、「海ゆかば」と「加藤隼戦闘隊(後述)」でした。
加藤中佐は所沢陸軍飛行学校(現・航空公園の場所)の学生時代に、校舎の屋根の上にある鬼瓦を飛行機の車輪で蹴飛ばすといういたずらをやり、以後他の学生もそれをやり始めたそうです。 その際校長は、搭乗員の命がけの悪戯を意気に感じ、その心意気を称え、破壊される都度、鬼瓦修復をやり続けたそうです。

(加藤建夫少将の経歴)


加藤建夫中佐は、昭和17年(1942)5月22日に戦死しました。まだ大東亜戦争が始まって5カ月余りです。 「加藤隼戦闘隊」こと、傑作機・一式戦闘機「隼」を愛機とする、陸軍最強の飛行第64戦隊長として知られています。 加藤中佐の人となりは、「誰とも気さくに話し、無用の威圧感を与えず、優しかった」といわれています。そして何より我々現代人が学ぶところがあるとすると、そのリーダーシップ像といわれています。


これは昭和16年(1941)12月8日の開戦直前、加藤中佐が飛行第64戦隊の部下たちに示した3つの訓戒として知られています。部下たちは教えを守り、開戦後、マレー、パレンバン、ジャワ(インドネシア)、ビルマ(ミャンマー)の空で連合軍機と死闘を演じて、赫々たる戦果を上げました。僅かな期間で250機以上の敵機を撃墜したといわれています。そして、空戦の先頭には常に、翼と胴に白い襷〈たすき〉を描いた(写真⑥)加藤建夫戦隊長の愛機の姿があったといわれています。



日本の航空隊では、欧米と違い、個人の撃墜数を評価しませんでした。特に無線機の性能が悪かった当時では、一人が功名にはやって、敵機の撃墜にこだわって深追いしている間に、味方を窮地に追い込むことを深く戒めたのでした。 欧米では個人スコアをクローズアップし、英雄を作って、戦意を高揚させていましたので、チームワークを重んじる日本とは対照的でした。
上記の経歴のように、陸軍士官への道を歩んだ加藤建夫中佐は、志願して航空兵となり、昭和12年(1937)の支那事変で飛行第二大隊の中隊長として初陣を飾りました。帰徳航空戦では敵9機を撃墜して、一躍陸軍航空隊のエースとなりました。その後、陸軍大学と航空本部勤務を経て、加藤中佐が飛行第64戦隊の戦隊長として広東に赴任するのは、大東亜戦争開戦の8カ月前の昭和16年4月、加藤中佐39歳の時でした。既に中年の域に達していました。
「新たな戦隊長は歴戦のエース」と聞いた部下たちは、さぞかし鬼のような豪傑かと緊張しますが、現われた加藤が温和で親しみやすい人柄だったため、たちまち打ち解けます。飛行第64戦隊は新型戦闘機「隼」を用い、猛訓練を重ねました。ちなみに64戦隊の隼は尾翼に矢印を描き、それが部隊のトレードマークとなります(写真⑦)。



そして12月8日の開戦。加藤中佐に与えられた任務は、開戦劈頭、マレー半島に上陸する輸送船団の上空護衛を前日から行なうことでした。しかし7日当日、天候は荒れ模様。航空機には危険極まりない状況ですが、加藤中佐は自ら先頭に立ち、愛機「隼」に乗り込みます。「率先垂範、指揮官先頭」こそ、加藤中佐が生涯貫いた指揮官としての姿勢でした。

この日を皮切りに、飛行第64戦隊はマレー半島に上陸した部隊の障害となる敵飛行場を次々に攻撃、敵戦闘機を撃墜していきます。補給部隊が追いつかないほどのその鮮やかな進撃ぶりから、「加藤隼戦闘隊」の名は陸軍最強の航空隊の代名詞となりました。

中でも加藤中佐の存在感は圧倒的で、他部隊から異動してきた「空の宮本武蔵」の異名をとる黒江保彦大尉(戦後空将)は、次のように語っています。 「雲の上を征く加藤隊長機には、恐るべき闘志と迫力が感じられて仕方なかった。殺気じみているようなすごい気迫のほとばしるのが見え、胸がたぎり立つ感じがした。『勇将のもとに弱卒なし』 この隊長の元、なるほど部下は奮い立つ以外にない・・・。」

上記に述べたように、加藤中佐は部下たちに、「何機撃墜したかと聞かれたら、部隊の撃墜数を述べよ」 と個人の功名争いを禁じ、チームワークを重んじました。また敵機との戦いに夢中になって任務を疎かにする者には、雷を落としました。しかし部下を叱った後は、さりげなく果物などを振る舞って、奮起を促したそうです。


昭和17年5月22日、ベンガル湾に面したアキャブ基地から部隊が東方のトングー基地に移動を始めていた時、加藤中佐は前日にジャングルに不時着降下した部下の安否を知るため、最後まで残っていました。そこへ突如、英空軍のブレニム爆撃機が来襲し、加藤中佐は迷わず愛機「隼」を駆って迎撃に向かいました。そしてインド洋上まで敵を追い、背後から攻撃をかけた瞬間、敵の後部銃座の弾丸で愛機の翼が火を噴き、加藤中佐は海上に自爆しました。享年40歳でした。
その後日本陸軍航空隊は、加藤中佐が最期まで身を以って示した不屈の闘志を受け継ぎ、加藤中佐を自らの目標として、東南アジア・インド全域で活躍しました。そして「加藤隼戦闘隊」は終戦までの3年半を、この地で戦い抜いたのでした。
飛行第64戦隊歌として有名な「加藤隼戦闘隊」の歌は、1940(昭和15)年3月15日、南寧前進基地にて操縦者田中林平准尉によって作詞されました。 同月18日、南支派遣軍楽隊(守屋五郎軍楽隊長)に作曲を依頼、同隊の原田喜一軍曹と 岡野正幸軍曹が作曲を担当しました。 作詞者の田中准尉は部隊生え抜きのパイロットでした。作曲された岡野軍曹は後にニューギニアで亡くなられました。原田軍曹は、戦後NHK交響楽団で、チェロ奏者として活躍されました。1941(昭和16)年1月1日封切られた同盟ニュース映画で一般に紹介されました。

https://www.youtube.com/watch?v=Gtttj3PjngA

1.エンジンの音轟々と 隼は征く 雲の果て 翼に輝く 日の丸と 胸にえがきし 赤鷲の 印は我らが戦闘機
2.寒風酷暑ものかわと 艱難辛苦 打ちたえて 整備に当たる 強兵が しっかりやって 来てくれと 愛機に祈る親ごころ
3.過ぎし幾多の空中戦 銃弾うなる その中で 必ず勝つの 信念と 死なばともにと 団結の 心で握る操縦桿
4.干戈(かんか)交ゆる幾星霜 七度重なる 感状の いさおの蔭に 涙あり ああ今は亡き 武士の 笑って散ったその心
5.世界に誇る荒鷲の 翼のばせし 幾千里 新たに興す 大アジア 我らは皇軍戦闘隊

加藤中佐の葬儀には近衛師団の近衛兵による儀仗に加え、弔辞は参謀総長杉山元(はじめ)大将が奉読、内閣総理大臣東条英機大将をはじめ多くの陸海軍高官らが参列しました。その模様は「脱帽 空の軍神 加藤少将陸軍葬」と題し日本ニュース第121号
https://www.youtube.com/watch?v=bsHO2xRrgKM 3:50~5:38)で放映されています。墓所は、旭川市豊岡の愛宕墓地(写真⑧)および東京都府中市の多磨霊園(写真⑨:遺族は当時小金井市に居住していました)。旭川市東旭川町の旭川神社境内にある兵村記念館には、加藤中佐に関する貴重な資料が展示されていますので、是非お近くに行かれた際はお立ち寄りください。





因みに、私の愛車として3台乗り継いだスバル車(前・富士重工業)ですが、元は海軍大尉の中島知久平が創業した中島飛行機の、業態を変えた現在の会社が製造した、悪路走行性能にこだわった良い車です。この会社が名機97式戦闘機、一式戦闘機「隼(はやぶさ)」、二式戦闘機「鍾馗(しょうき)」、四式戦闘機「疾風(はやて)」を生み出したことは有名です。特に冬の雪道では、外国車や日本の他メーカーを凌駕する絶大な好成績を残しており、私は雪道で何度も命を救われました!

新しいサービスのご案内!

2020年1月から徐々に広がり始め、その後第1波~第3波まで広がりを見せた新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、我が社の経営計画は大幅修正を余儀なくされました。一方、お陰様で、社内で危機感を共有でき、新しい取り組みを実施していくことに対する心理的抵抗感が薄れてきました。その結果、下記に記載の新サービスを既存のお客様にご提供させていただくことが可能となりました。
従来のサービスを進化させたものも加え、益々お客様に寄り添ったコンサルティングができるものと考えております。


今後本サービスの提供可能な時期に合わせて、既存のお客様にはIDコードとパスワードを発行させていただきます。従来のサービスに加えて、上記サービスの提供を実施してまいりますので乞うご期待ください。また新規にWeb限定会員を募集してまいりたいと思います。災い転じて福となす、転んでもただでは起きない・・・etc。
日本には古来より、様々な自然災害が発生し、人々はその災難を乗り越えてきました。現代の我々にもその不屈のDNAは受け継がれているに違いありません。コロナ禍の現在、我々は、是非この素晴らしい日本人の有するDNAを発動させ、いち早く、コロナ禍を始めとする災いと共存していく術を修得していきたいですね!



新型コロナウイルス感染者の数が減少したかと思うとまた増加し、一向に安心できる状況になりません。ワクチンの開発も進んでいるとのことですので、何とかこの難局を乗り越えていきたいものです。
しかし、コロナ禍の影響は、今後、雇用調整の局面に入ってくる可能性もあります。賃金減額などの労働条件の不利益変更や整理解雇など、深刻な課題に直面することになるかもしれません。整理解雇という言葉を使わないで済むに越したことはありませんが、万が一のために、今回は整理解雇について、改めて勉強しておきたいと思います。


整理解雇が法的に有効か、無効かが議論されるときに、よく使われる言葉として「整理解雇の4要素」とか、「整理解雇の4要件」とかがあります。この「要素」と「要件」の違いは一体何でしょうか?

「要素」とは、それぞれの4つの内容の充足の程度を踏まえて、解雇の有効性を総合的に判断するためのものという意味です。
「要件」とは、4つの内容すべてを充足しなければ解雇は有効とならないという意味です。
従って、「整理解雇の4要件」となると、あとで説明する項目の1つでも欠けると「整理解雇は無効です。」になるわけです。「4要件」の考え方の方が、より厳しい内容・判断になる可能性があります。
「要素」なのか「要件」なのか、まだ意見が分かれていますが、最近の判例は、「整理解雇の4要素」、すなわち、それぞれの充足の程度を踏まえ解雇の有効性を総合的に判断するというものが多くなっています。しかし、 実務的に検討する場合においては、4要件として考えておいた方が無難です。

それでは、4要素(要件)とは、どのようなことを言うのでしょうか?

整理解雇(使用者側の経営上の都合での解雇)は、労働契約法第16条の解雇権濫用法理(過去の裁判例の積み重ねによって確立された考え方です。)の適用対象となり以下の4点になります。


それでは、それぞれの4要素(要件)をひとつずつ具体的に見ていきましょう。

1.人員削減の必要性

「人員削減の必要性」とは、単に、売上が激減し、経営状況が悪化したというような抽象的な理由によるものではなく、経営の客観的状況を分析、把握した上で人員削減の具体的な必要性や理由を整理する必要があります。
すなわち、財務諸表などの客観的資料を分析、検討し、キャッシュ・借入の多寡・今後の資金繰り・融資の見通し、公的な助成金の受給見通し、営業継続の見込み、経営悪化の要因等をまず把握します。
その上で、事業をどう継続し、再建するのか、それに必要な人員規模や体制の見通しを立てて、そのためにどれだけの人員削減が必要と経営判断したのかを、理由とともに説明できるようにする必要があります。


2.解雇回避努力

「解雇回避努力」とは、整理解雇の実施前に、それを回避する為の努力として具体的にどのような措置をとったか、それが相当な経営上の努力ないし合理的な経営上の努力を尽くしたといえるのかが問われます。

具体例としては以下が挙げられます。
(1)広告費・交際費等の経費削減
(2)役員報酬の削減
(3)残業規制
(4)従業員の昇給停止や賞与の減額・不支給、賃金減額
(5)労働時間短縮や一時帰休
(6)新規採用の停止・縮小
(7)希望退職者の募集

※上記以外で、「配転・出向・転籍の実施」「非正規社員との間の労働契約の解消」「派遣・業務委託等の社外の労働力の整理」等もあります。

これらの中から、企業規模、経営状況のほか、先に述べた人員削減目的、削減の必要性の程度等の個別具体的状況に照らして実現可能な措置をとることになります。
一般論として、当該事案における人員削減の必要性の程度に応じて求められる努力の程度は異なります。倒産危機や高度の経営危機にある場合は、人員削減の必要性は高く、当該企業の体力と時間的余裕との関係でできることにも限界がありますが、当該措置を実施したこと、または実施しなかったことについて、どのような経営判断をしたのかを説明できるように、具体的検討をして判断する必要があります。
倒産危機や高度の経営危機にある場合にする解雇回避措置は、最低限(1)広告費・交際費等の経費削減、および(2)役員報酬の削減の措置は、従業員に対する人件費以外の削減策として、まず実施を検討する必要があります。
また、(3)残業規制や(5)労働時間短縮や一時帰休は、人員削減自体の回避措置として有益です。ただし、一定期間実施すれば人員削減を回避できるだけの効果が見込まれ、それまで持ちこたえられる体力が企業にあることが前提になります。
(6)新規採用の停止・縮小について、特に倒産等の回避や高度に経営上の困難があって人員削減をする場合、その前後や同時期での新規採用の実施は、削減の必要性を否定する事情となるから原則として控えるべきです。(7)希望退職者の募集については、裁判例では、相当な理由がない限りこれを行わないと解雇回避努力が十分にされていないと評価される傾向にあります。通常実施すべき措置です。
ただし、希望退職募集では通常、金銭的な優遇措置を設けるのが一般的で、倒産の危機下等で行うならば多額の出費や多くの時間をかけることはできず、会社の体力が許す範囲での条件提示をせざるを得ません。
そうした金銭の支払いが困難な経営状況にあるならば、希望退職募集はしないという経営判断もあり得ます。

3.人選の合理性

「人選の合理性」とは、解雇対象者の選定が、恣意的選択を排除する客観的基準によるものであれば、裁判例ではその合理性が肯定される傾向にあります。ただし、客観的基準があってもその適用・運用が不合理であってはいけません。

基準例としては以下があります。
(1) 勤務態度の優劣(欠勤日数、遅刻回数、規律違反等)
(2) 労務の貢献度(勤続年数、休職日数、過去の実績、業務に必要な資格の有無等)
(3) 正規か非正規か、内定者であること
(4) 労働者側の事情(年齢、健康状態、家族構成等)

裁判所は、どのような方法が人選基準として適切かについて、一般的な判断は示していませんが、会社側が何らかの客観的な基準を示した場合、その合理性を正面から否定することは少なく、優先順位が示せないケースにおいては、合理性を否定されています。
設定された基準が違法な差別(性差別や労働組合員であることを基準とするもの)を含まず、かつ、使用者の恣意的選択を排除するものであれば、いずれであっても裁判例はその合理性を承認する傾向にありますが、客観的、定量的なものの方が合理性があると承認される可能性が高くなります。

4.解雇手続きの相当性

「解雇手続きの相当性」とは、整理解雇を行うにあたり対象となる従業員との間で、人員削減の必要性やなぜ対象となったのかについて、説明したり、協議したりすることなどを求めるものです。企業の具体的な状況に応じて、労働者の理解を得る努力をしたかが問われます。
コロナ禍で急激に業績が悪化した状況では、時間が限られており、解雇対象者への説明・協議の回数を確保できない分、普段よりも具体的かつ丁寧な説明をする必要があります。なお、説明・協議の内容は記録化するのが有益です。

以上の内容を整理すると以下の表になります。


以上、説明したとおりコロナ禍においても、整理解雇は容易なものではありません。極めて短時間での経営悪化がある中で、具体的な対応を十分に検討する時間がなく、限られた中で検討し実行することが必要となります。その際、各企業におかれましては、経営維持の観点から特に「2.解雇回避努力」と「4.解雇手続きの相当性」の要素(要件)を充実させることがポイントになってくると思われます。

(内山 裕)


今年3月、マンションの自宅をリフォームしました。もともと家内が言い出した話ですが、私にとっては”青天の霹靂!”。まさか定年退職後に、購入時の3分の1もの費用をかけて、こんな大規模なリフォームをすることになるとは思ってもみませんでした。老後の生活設計も何もあったものではありません。恥ずかしながら、とんだドタバタ劇の一端をご紹介します。

家内曰く、「退職する前から話はしてたはず」ということですが、ほとんど覚えがありません。定年したらどうやって遊ぼうか、ということばかり考えていたからでしょうか、耳に残っていません。
家内の希望は以下のとおりです。
① 全室フローリングにする
② リビングとその隣の和室の間の壁をぶち抜いて引き戸にし、二間続きで使えるようにする
③ 和ダンス・洋服ダンス・整理ダンスをすべて処分し、作り付けの壁面収納にする
④ バスルームとキッチンも一新する


家内と二人で暮らすには十分な広さの4DKの住まいですが、子供たちが孫を連れて遊びに来た時に伸び伸びと動き回れるようにしてあげたい、という思惑でしょう。もちろん、終活ということもどこか頭にはあったと思います。
さて、これだけの青写真を思い描いておきながら、「費用がいくらくらいかかるか分からない(予算がある訳ではない)」、「どこに頼んだらいいか分からない」と平気で言う始末。ここから先は結局こっちにほぼ丸投げ状態です。まずは業者探しからですが、これが大変でした。

最初に、マンションの大規模改修の際にお世話になった水回りが得意なA社に声をかけましたが、専門外の大工仕事を協力業者に下請けに出す関係で、見積もりはとんでもない高値。残念ですがお断りしました。次に「大商談会」のチラシを見て飛び込みでB社の商談会に参加しましたが、その場で作ってもらった見積もりは、なんとA社の半値。ただ、安過ぎるのが逆に不安で、3日間の商談会の期間限定というのも胡散臭く、その場ではいったん返事を保留。帰ってネットで調べると、どうやらあまり評判が良くないようで、社名も度々変わっている。ヤバい会社かもと思い、ここもお断りしました。最後はネットで見つけた、「希望に合った優良リフォーム会社を紹介しますと」いう住宅関連業者のサイトにエントリーし、C社とD社を紹介してもらいました。結局、この2社から選ぶことになりました。

どちらにも家を見に来てもらい、こちらの要望を伝え、提案してもらい、見積りを出してもらい、ということを何度か繰り返しました。ショールームにも足を運びましたし、オープンハウスにも行きました。ただ、何を基準に決めれば良いか正直分からず、判断には時間がかかりました。価格的にはD社の方が若干安かったのですが、最後は営業担当者の経験値と提案力に賭けてC社に決定しました。契約したのは9月末でしたので、のでA社との最初のコンタクトから2ヶ月以上かかって、やっと業者決定です。


さて、リフォーム業者が決まってからがまた大変。リフォームの仕様の詳細な詰めはもちろん、工事期間中の仮住まいと駐車場の手配、行き帰りの引越しの段取り、それに多過ぎる荷物の整理等、課題が山積。荷物に関しては、終活ではないものの、バンバン処分しました。100枚程あったレコードはLP・EPともすべて処分。プレーヤーも無いので、本人にはお宝でも家人にはただのお荷物。この機会にと買取りに出しましたが、二束三文でした(泣)。CDも似たようなもので、80枚程を買取りに出しましたが6千円にもなりません(泣)。レンタルCDのコピーや友人から借りてコピーしたものなど、買取りに出せない100枚弱もこの機会にと廃棄し、コレクションは約3分の1に縮小しました。
今回のリフォームの最大の成果は、何と言っても床のバリアフリー化。もともとこちらが希望した話ではなく、業者の提案でした。ビフォーでは玄関廊下の先から奥が5cm程下がっていましたが、アフターではこれがなくなりました。フローリング工事の際に、クッション性を確保しつつ床を少し嵩上げし、玄関を上がってからベランダまですべて段差なしになりました。床を嵩上げした分は天井高が相対的に低くなり、圧迫感は多少増えましたが、4部屋が完全にフラットになり、うち3部屋は壁や垂れ壁を大胆になくしたので、開放感も満載です。孫たちが段差を気にせずに伸び伸びと動き回るのを見ていると、リフォームした甲斐はあったと思っています。
ちなみに、バスルームは、サイドバーの設置や浴槽の高さなど、最初からバリアフリー仕様でした。


[ リフォーム後のバリアフリーとなった室内 ]


余談ですが、自分の部屋(と勝手に思っています)の壁や引き戸はしっかり残し、「自分の城」としてのプライバシーや独立性は辛うじて守りました。ここだけは譲れなかったところです。

ブレイン・サプライの採用面接が2019/11/12、入社が12/2でしたが、仮住まいへの引越しが年明けの2020/1/12、工事開始が1/14、工事完了と引渡しが2/23、再引越(入居)が2/29というスケジュールでした。リフォームの準備に追われ、詳細を詰めていく中で再就職が決まり、頭の中はグチャグチャ、身体はヘトヘト。退職後しばらくは失業保険をもらってのんびりするはずでしたがその思惑は何処へやら、の忙しさでした。二人目、三人目の孫の誕生や保育園の送り迎えで振り回されたのもあって、友人を訪ねがてら金沢や岡山へ車で一人旅をするというプランは宙に浮いたままです。コロナ禍もあって、実現はさらに遠のきました。今しばらくは、リフォームで使った費用分ぐらいは働いて稼げ、遊ぶのはそれから、ということなんだろうなと、腹を括って業務に励んでいる日々です。


株式会社コラットベース

URL:https://korat.co.jp/


深瀬社長、お忙しい中でも「暇だから良いよ。」と、インタビューを気軽にお引き受けていただきまして、ありがとうございました。今回は、株式会社コラットベース様の創業からの歩みと、深瀬社長が日頃から大切にされている想いについてお伺い致しました。


◆ 事業内容、創業からの経緯、事業を始めたキッカケを教えてください。




事業内容は、凄く簡単に言うと、「ITエンジニア派遣、システム開発事業」の2つです。会社の事業と言えた物では無いですが、これら2つ以外にも個人的にIT関係のコンサルティング業務にも取り組んでいます。
事業を始めたキッカケから先にお話しますと、キッカケは特にありませんし、加えて、会社名の「コラット」の由来も知りません。というのも、創業した経緯の話に移りますが、まず創業者は私ではなく、別の人なんです(笑)。
コラット(後に会社名を変更して、現在のコラットべースに)の創業当初は、まだ私は別の会社でシステムエンジニアとして勤務しており、その後退職して、そこで創業者が私を誘ってくれて、コラットの一員となりました。しかし、コラットの一員となった後に、会社の状況を確認すると、事業計画は無いですし、会社の経営状況も悪く、むしろ、経営がギリギリの状態でした。
そんな経営状況だったこと、前職を退職していたこともあり、別会社を設立して、新たにスタートすることも考えましたが、「コラット」の社名を使用して営業活動を行っており、会社名を変更することが困難だったため、代表取締役を交替して、私が社長に就任しました。 社長にはなったものの、そもそも、私はサラリーマンという職業が好きで、興味はありましたが、事業主になろうとは1ミリも思っていませんでした(笑)。ただ、前職での経験やIT派遣業界に関してのイロハを理解していましたし、前職の知り合いを社員として雇用していたため、社員の将来を考えて、何とかこの会社を立て直そうと思い、現在まで社長業に奮闘してきました。

◆日頃または事業経営において、大切にしていることは何でしょうか。



顧問税理士にも「特殊」と言われることが多いですが、私は売上至上主義ではなく、原価管理主義で経営状況を見ています。当社だと経費のほとんどが人件費になるため、人件費に対して誰がどのくらいの売上高を出す必要があるかを計算し、その比率をコントロールしています。原価管理を徹底することで、会社が赤字に転落することが無いというメリットはありますが、原価管理主義は大きな利益は出しにくいのがデメリットですね。数字の管理以外にも、社内のメンバーが気持ちよく仕事ができるような環境を整備することを心掛けており、そのために2つの策を講じています。まず1つ目が、人間関係が上手くいかずに、生産性が低下する事態を避けるために、気を付けて人材配置を行っています。2つ目が社員の健康管理、特に「心の健康管理」には注力しています。心の健康管理のために、マネジメント職の社員にはカウンセリングを受けさせて、行動心理学を学ばせています。心理学を学ぶことにより、電話の口調等、言動から見える部下の変化を察知することで、教育してきた社員が離れることを未然に防ぐようにしてます。私自身も会社の人数規模によって、自分のポジションを変えており、社員のストレス等の不満のガス抜きをさせるため、潤滑油的ポジションに自分を落とし込むことを心掛けています。

◆ 今後のビジョンを教えてください!

具体的なビジョンは特に無いですね(笑)。強いて言うなら、社員に具体的なビジョンを見てもらえるようになって欲しいというのが現在のビジョンです。先にも述べましたが、私はなりたくて、社長になった訳でもないため、社長就任時から、この会社を次世代に引き継ぐことを考えていました。そのため、今の若い世代の社員には、私の持っているノウハウ等の全てを学んでもらって、一人でも多く「経営を任せても良いと思えるような人材」に育って欲しいと思っています。そのために必要な知識は全て教えるので、無駄にしないで欲しいと願ってます。

◆ 社員への思い、または社員に期待することは何でしょうか?



シンプルに言いますと、「ちゃんと働いて、そして、ちゃんと遊んで欲しい」です。私は仕事だけではなく、遊びからも学ぶことは多く、その学んだ事がコミュニケーションにおける引き出しになると考えています。そのため、ギャンブル等の遊びもやる前から『無駄』と結論付けるのではなく、色々な遊びを経験して欲しいですし、時間とお金は自分への投資と考えて、自分の枠を広げるために、どんどん自分に投資していって欲しいと思っています。





ご縁結びのコーナー 第71回 KFSグループ 代表 小島 清一郎 様

〜厳しい環境下で事業承継をやりきったお話に感動〜

< KFSグループ>
税理士法人ケーエフエスのHPはこちらです。
未来経営パートナーズ株式会社のHPはこちらです。
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私も加齢のせいか、どうも涙腺が緩みがち、インタビューをさせていただきながら、時々ホロッとする時もあります。今回の小島さんのお話を伺っているときにはアツいものがこみ上げてくる、なかなか厳しい経営環境下で事業を引き継ぎながら大きく進展させて行かれたこと、感動領域でした。今年は、小島さんの本社がある福島に訪問させていただき、楽しい時間も過ごさせていただきました。小島さんの事業、今後の展開についてもお話を伺いました。



【KFSグループ代表の小島さん 現在39歳】


◆小さい頃からなんとなく事業を引き継ぐって当たり前との思い

お父さんが税理士事務所を開業、その事業の引き継ぎについてお聞きしたところ、『福島の田舎育ちで、長男。その環境下で、引き継ぐものだと思っていました』と。小島さんが物心ついた頃にお父さんが独立、アパートの一室からスタート、いつしか小さな自社ビルを建てて事務所をもり立てて行く姿を見ていた小島さん、事務所の飲み会、事務所の行事、バーベキューなどへの同席が普通という経験を経て育ったそうです。私も父の仕事場に連れて行ってもらったこと、お客さんのところに連れて行ってもらったことが大きな意味があったと今感じています。仕事って楽しいな、社会構造の一旦ってこんな風になっているってことが、自然に学べたと思っています。小島さんのお父様も何かしら意味を持たせて小島さんを仕事場に連れて行かれたのではと感じました。

◆小島さんとの出会いとプロフィールについて

小島さんとは、あまり今までにない経験で出会いました。福島県で頑張る小島さんがずっと福島だけで事業を展開されていたのではお会いすることはなかったと思いますが、2018年の初めに東京に進出されていてそこにお勤めの細井さんとの出会いが最初。その出会いがこちらのイベントでした「杉浦さんのお悩み大相談会!」〜最強の時間短縮術〜powered by X-エックス-このイベントにこられていた細井さんと私が懇意になり、私から代表の小島さんに是非お会いさせていただきたいとお願いをして2年前の秋にお会いさせていただきました。X-エックスを主催されている川元さんのイベント登壇からご縁が繋がるという不思議なご縁です。川元さんに感謝です。

小さな頃からお父さんの事務所を引き継ぐことが当たり前と育った小島さん、大学で経済学を学びFP資格を取得したり、税理士資格取得のための勉学に現在も取り組んで、あともう少しで資格取得となるところに。事業を拡大展開しながら学問にも頑張るところご立派です。なんの資格も持っていない私からするとなかなか真似ができません。大学卒業後、資格取得を目指して専門学校にも通っている時に、強烈なバイト経験をされていました。それがグッドウィルグループの人材派遣会社での仕事でした。当初は製造業の工場内で実際に手を動かすところでバイトなどをしていたそうですが、なぜかすぐに内勤になり、バイトながらに正社員と同等の仕事を任されていたそうです。その内勤仕事では、派遣の人員の段取り、捌く(企業と派遣人員のマッチング)ことを実際にやっていました、あの過酷な会社で。いろんなビジネス、商売を見る経験が今に生きていると感じているそうです。この厳しい仕事を経験した数年後の20代半ばで地元、実家に戻ってお父様の事務所に入所しました。
当時の事務所では、12,3名の職員を抱えていて、これって会計事務所としてはそれなりに大きな規模ですね。20代は仕事漬けの毎日で夜中1時・2時まで仕事をして家に持ち帰ってまた仕事。短時間睡眠後の6時過ぎに事務所に行って雪かきをして事務所で仕事を開始、また夜中まで。そんな毎日だったそうです。
後継者として、現場派で頑張っていながら、あまり教えてもらうこともなく、褒められることもなく、それでも新しい事業に自らチャレンジをして、財務コンサル事業で売り上げを上げたり、また目新しいことにも果敢にチャレンジしていたそうです。
30代に入ってリーダー、マネジメントと自然に仕事の領域も広がって行ったそうです。

◆事業引き継ぎを大相撲の大一番に例えて

転機はいきなり。福島に甚大な被害をもたらした、東日本大震災。その1年前に、お父さんと二人三脚で事務所を盛り立ててこられたお母さんが病に倒れ、急逝されたそうです。お父さんのワンマン経営(いわゆるパワー系)をカバーする形で優しく会社に寄り添うお母さんという立ち位置で事務所の事業を拡大してこられたのですが、この優しさがなくなり、事務所の経営も不安定に。1周忌が来る前に、大震災が来たことが事務所経営に追い討ち。経営も厳しくなって行ったそうです。
余談なのですが、今年のコロナ禍で、小島さんと会話する機会がありました時、お客様への対応をお聞きして、細部に渡り丁寧に、スピーディーに寄り添うことをお聞きし、感心したのはこの震災時の経験が生きていると感じました。
震災後、事務所の経営環境はますます不安定に、大きな問題も発生、ついに小島さんご自身が覚悟を決めて矢面に立って経営をすることになりました。それが34歳の時だったそうです。

瀕死の状況で事業を引き継いだ時には、社員が離反、社内も大荒れだったそうです。なんとかしないといけないということから、今の経営(KFSグループとして)スタイルを瞬時に構築してコンサルティング会社の代表に就任するに至りました。
その後の戦略、戦術も全て小島さん自身で実践、実行してきて、一切お父さんの関与はなかったそうです。
代表就任1年後にはお父さんの過去最大の売り上げを超える結果を残すことになったそうです。その売上達成の結果、お父さんが果たせなかった【夢】であった、交通遺児のために福島県に100万円を寄付すること。それが実行できることになったそうです。知事から表彰状を受け取る場面で、お父さんにその重責を譲りました。
その後に、お父さんから手紙が初めて小島さんに届いたそうで、【ありがとう】の文字と、【天国のお母さんも感謝している】と書かれていたそうです。この手紙をもらった小島さん、父からの承認をもらえて心から嬉しかったそうです。わたしもジーンときました。お父さんの築いた事業を大切にしながらさらにやりたいように事業に邁進していらっしゃいます。現在は60名の職員さんを抱える大所帯になって福島に限らずに東京、海外、そして事業領域も増やしていらしゃいます。

この事業承継の成功を、小島さんが面白い表現で例えて下さいました。平成3年、大相撲の世紀の大一番。千代の富士と貴乃花(当時は貴花田)が戦って千代の富士が負け、引退を意識したあの一番を事業承継の成功と重ねて話されています。(私もこの大一番は相撲の新旧交代まさに時代の変化を感じ取ったこと新鮮な記憶です)
父と子がまさに同じ土俵(同じ会社、職場)で戦って、圧倒的な状況でやり切る、打ち負かすそれが無いことでは承継はうまくいかない。そう表現されていました。たしかにそのとおりです。その圧倒的さがあったからこそ今の事業成長に結びついているのだと感じました。お父さんからの手紙もその感謝の現れですね。

◆福島へ訪問して

コロナ禍が始まって、地方の経営者に会いに行こう!と決めてスタートした、【ビジネスお遍路】、小島さんのおかげで16年ぶりに福島県へ訪問がかないました。当日はこんな感じ、楽しい一日を過ごしました。
小島さんの事務所には、私と大阪から、グッドマネジメント総合研究所の加藤さん(当日飛行機が満席で驚きました)、東京からお二人、meet inの齋藤さん、株式会社ディーの西海さんこの4名で福島市に集合。
小島さんから、20代の起業家に会ってほしいということで、Fukushima-BASEを訪問、中野さんと即席の
事業プレゼンと4名からのメンタリングを実施、各方面からのお話に盛り上がりました。


【福島へ訪問した際の楽しい場面】


小島さんの事務所にも訪問、あまりに福島駅、駅前過ぎて一同ビックリ。東京でいうと丸の内、大阪でいうと梅田駅、駅前って感じでした。そこに50名近い職員さんが集っていらっしゃいました。
夜は、ライブ配信で、小島さんのクライアントさん向けのDX講座、スペッシャルゲストにダイアモンドプリンセス号の陽性ゾーンを厚労省の依頼で除菌されたコーナンの轟木さんに、事業よもやま話、今後の展開、誰でもできるウィルス予防対策ミニ講演を特別にお引き受けくださいました。
貴重な経験も小島さんのおかげと感謝しています。


◆現在の事業、今後の展開について

今年の6月初旬まだまだ非常事態宣言の最中に、【リモコン】というサービスを繰り出された小島さん。KFSグループの顧問サービスをリモートで行うから【リモコン(リモート顧問)】口では言い始めたりしている税理士事務所さんはありましたが、【カタチ】にすることがいかに大切か?ということを行動実践で示して下さいました。以下にその際のチラシを掲示します。
アイデアマンで新たなことへのチャレンジをしている小島さん。海外進出支援についても伺うと、なかなか奥深い【想い】から実践されていることが浮かび上がりました。
海外進出支援を実行できる理由、それは東京に進出して良い状況で展開しているコワーキングスペースの【海外ビジネスコミュニティスペース「Digima〜出島〜 BASE」】です。私も何度もお伺いしているこの場所の存在も大きいと感じます。このコワーキングスペースを共同運営しているのが、株式会社Resorzの兒嶋さん、
漢字は違いますが、同じコジマさんです。福島の小島さんが東京に進出の際に、あるご縁で出会った、兒嶋さん。たった30分ほどで意気投合し、このコワーキングの共同運営がスタートすることに。
兒嶋さんが培ってこられた海外進出ノウハウと小島さんの想いが統合し、東京でのコワーキング経営と海外進出プログラムのサービス化を展開するに至ります。ここでの小島さんの想いとは?東日本大震災で多くの応援、支援を下さった海外の皆さんへの感謝の気持ちを伝えること、それが日本人として必要なことであり大切、その実行とはなにか?それは日本の企業と海外とがご縁で結ばれること、その一助になることのお手伝いを自社でできるようになれば、東日本大震災で受けたご恩の感謝の気持ちを自ら直接に伝えられる、これもジーンと来たお話、それを当たり前のようにサラッと小島さんは話してくれました。


【今年の3月に「Digima〜出島〜 BASE」で新令和経営道場を開催】


経理・財務のコンサルティング、コワーキング運営、それ以外に、地元福島で保険代理店の事業。ベンチャー企業への投資事業もされています。新たな成長企業を外側からのコンサルティング支援だけでなく、株主参加としてより近い立場で企業支援に参画していこうとされています。

このコロナ禍以降は、会計・税務の前段階として経理代行業務のニーズも増えてきていると小島さんは語ります。雇い入れてもすぐに辞めてしまうことが多い経理人材、もしくは採用コスト高から雇えない場面も。税務・財務の後処理の支援の経理・総務周りのアウトソースニーズを確実に捉えてさらにデジタル化シフトのお手伝いをしていこうとされています。DX化のさらに先には、士業ネットワークを構築して、安価で本格的な手厚いサポートを目指す【知恵の輪】のローンチも近々目指しているそうです。智のネットワークづくりも楽しみですね。

◆最後に小島さんからコメントをいただきました。

未曽有の新型コロナウイルス感染症の流行により、日本の多くの企業が変化を迫われています。
次世代の日本により良い社会を繋いでいくために、自分が源になって多くの企業に貢献していきたいです。
杉浦さん これからもよろしくお願い致します!!
お父さんとの事業承継を成功したこと、それを認めてもらってから人に恵まれていると話す小島さんの実行・実践がこれからますます楽しみです。有り難うございました!


代表世話人株式会社 杉浦 佳浩
(http://100-dream.jp/)
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