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令和2年3月号
岡社長の今月のアドバイス
● 『大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑩』
● 『再び・児玉神社と江島神社参拝!』
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労務の寺子屋
『令和2年4 月法改正』
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関西事務所便り
『父の退職祝い』
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今月のご縁むすび
『株式会社経営参謀 新谷 健司さん』
BS 企業名鑑 『有限会社 小林製作所 様
“顧客ニーズに素早く対応 金属製品製造のトータルパートナー”
代表取締役 小林 大介 氏』
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ブレイン・サプライ ニュース
『ご紹介!株式会社 LAVIERE 飯塚順子様』
『新型コロナウイルス対策についてのお知らせ』
『新入社員ビジネスマナー研修4 月 2 日 東京開催』ご案内
『新入社員ビジネスマナー研修4 月 3 日 関西開催』ご案内
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新入社員 自己紹介 『金子 進』
大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑩
第10回目は、宮崎 繁三郎陸軍中将((写真①)みやざき しげさぶろう、明治25年(1892 年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日:岐阜県出身)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将です。宮崎中将のご長男は、陸軍士官学校出身で元明治大学総長の宮崎繁樹氏です。)
①
②
③
陸軍の陸大で参謀教育を受けた宮崎中将はノモンハン事件・インパール作戦など、日本軍側が圧倒的不利な状況で戦い、限定的な部隊内での指揮権しか与えられていない状況の中、華々しい「勝利」を得る事はなかったものの部隊を維持し粘り強く戦った日本陸軍屈指のリーダーです。日本軍が劣勢の戦場の中でも戦功を挙げた事で知られ、日本陸軍の野戦指揮官として名高い存在です。
陸軍大佐歩兵第16連隊長として参戦したノモンハン事件では、事件唯一の勝利戦指揮官とも言われています。(戦後ロシアからの情報開示により、当時日本陸軍の負け戦と言われたノモンハン事件は、実は互角の戦いであったようです。)
1944年のインパール作戦は、「陸の三馬鹿」と戦後評価された、第15軍司令官牟田口廉也中将
(むたぐちれんや:写真②/写真①と②を並べるのも嫌なのですが、私の大嫌いな指揮官です。)による補給を無視した無謀な作戦で多くの犠牲者を出しました。宮崎中将は当時陸軍少将で、第31師団・歩兵団長として参戦しました。
彼は険峻な山岳地帯で自ら大きな荷を背負い、先頭に立って部下を率い、要衝コヒマ(現在のインド領) の占領を指揮しました。
コヒマはインパールへの補給路でありイギリス軍の激烈な反撃が始まると第31師団は疲弊し、援軍、補給が絶たれて孤立します。この時「佐藤幸徳」第31師団長は無謀な軍命令に背き師団の糧秣を供給しない事に抗議、独断退却を開始するが、宮崎少将麾下の歩兵団には同地の死守を命令、師団主力は撤退を開始しました。
宮崎中将はこの無謀な命令に最善を尽くし、巧みな遅滞戦術により数週間にわたり持久戦を行い、その後新たな軍命令により撤退を果たしました。
この撤退時の行動が、優秀な指揮官・人格者・理性的軍人として賞賛される事になりました。彼は、負傷兵を戦場に残さないという信念の下、自らも負傷兵の担架を担ぎ、食料が欲しいと言われれば自らの食料を与えて兵たちを直接励ましたといわれます。正に仁愛を兼ね備えたリーダーです。また他隊の戦死者や負傷兵を見つけると、遺体は埋葬し負傷兵を収容させ、日本軍の白骨死体で埋め尽くされた地獄の白骨街道(当時インパールの撤退路は白骨街道(写真④~⑥)といわれていました)を撤退し続けたのです。そこには宮崎中将の、軍人としての理性と人としての倫理観の双方が見られます。
④
⑤
⑥
敗戦後ビルマの収容所に収容され、イギリス軍の捕虜となっていた時には、部下が不当な扱いを受けても決して泣き寝入りすることなく、その都度イギリス軍に対し厳重な抗議を行って部下を守ったそうです。戦いを終えて捕虜となっても、宮崎中将は指揮官としての義務を決して放棄しませんでした。
1947年5月に帰国し、帰国後は自らの功績を吹聴するような行動は一切行わず、政治的・経済的な活動を慎み、小田急線下北沢駅近くの商店街に『陶器小売店岐阜屋』を経営、店主として清廉で穏やかな生涯を終えました。
数多くの戦歴・インパール作戦時の優れた采配と理性的な行動から宮崎繁三郎中将に対する評価は非常に高く、大東亜戦争における日本陸軍の名将の1人とされています。宮崎に与えられた権限や兵力は決して大きいとは言えず、同じ戦場で同格だった他の指揮官に比べ、特別有利だったり、優遇された事は一度もなかったようです。
しかしながら宮崎中将は、どんなに過酷な事態に遭遇しても最善を尽くそうとする、野戦部隊の指揮官として優れた指揮能力と人徳を備えた有能な人物でした。しかもどんなに厳しい状況であっても、上官の文句や批判を決して口にしなかったといわれています。
インパール作戦は帝国陸軍の暗黒史のトップクラスに位置づけられる、愚かで無謀な作戦でした。その戦いにおいて“日本陸軍の良心”ともいわれる宮崎中将の行動は、同作戦を立案、指揮した「牟田口廉也司令官
(ふたたび写真②)」と対極的なものとして語られる事が多く、戦後に生き残った作戦参加兵士達は、牟田口の名を口にするたび、一様に怒りに唇を震わせ、宮崎の名を口にするたび、一様にその怒りを鎮めたそうです。
私は大東亜戦争を学ぶ過程において、もっとも無謀な作戦は、このインパール作戦であったと認識しています。そのほかにもフィリピン戦やガダルカナル戦など多くの悲惨な戦いがありますが、それらは戦略上必要な戦であり、少なからず勝機もありました。しかしながらこのインパール作戦だけは、司令官の見栄と欲望が優先され、最も大切な兵站(へいたん。=補給のこと:連合軍は兵站を最優先していた)を無視して戦いを継続した牟田口廉也司令官を軽蔑しています。馬鹿なトップによって数万人(戦死26,000人、戦病死30,000人以上)の日本人兵士が戦死・餓死・病死し、当人は戦後も何ら責任を負わず、部下に責任を擦り付けたのです。まさに生き恥をさらしたのです。それに引き換え、無謀な命令に敢然と立ち向かい、無断撤退した佐藤司令官やこの宮崎中将のようなリーダーが存在したことを誇りに思います。本コラムで毎回記載させていただいていることですが、優れたリーダーに共通していることは、
① 常に謙虚であること
② 人徳を備えていること
③ 機を見るに敏なこと
④ 誰よりも勇敢なこと
⑤ 自分の使命を全うしていること です。
私もこのようなリーダーを目指していきたいと思います。
再び・児玉神社と江島神社参拝!
①
②
昨年1月に引き続き、行ってきました児玉神社と江島神社。
前回は極寒の中バイクで訪問し、小高い島の急な階段を往復したために大汗をかき、その後のバイク走行で凍えてしまったことを反省し、今回は車で妻とゆったり訪問となりました。
③
④
⑤
⑥
⑦
まず最初に児玉神社(写真①~⑦)に向かいます。児玉元帥がかつて台湾総督として台湾の近代化に努力した縁により、台湾の有志から贈られた、口の中の玉が回る名品の狛犬(写真⑦)が有名です。前回も述べましたが、この児玉源太郎元帥に対する扱いが余りにも残念な状況です。乃木神社同様競売にかけられたりと散々です。何故このようなことが起きるのか。それは日教組をはじめ左側の勢力が、国民に近代史を教えないからだと思います。日露戦争は有色人種の日本が、当時世界最強の陸軍国のひとつであった白人の大国ロシアに敢然と戦いを挑み、辛くも勝利した20世紀の奇跡です。この勝利によってアジア・アフリカの植民地被支配国や民族であるインドやミャンマー、半独立国のタイ、ロシアの侵略を受けていたトルコなど、歓喜してその勝利をたたえ、そのエネルギーがその後の独立運動に繋がりました。アメリカ合衆国の黒人たちも大喜びしたと伝え聞いています。当時の我が国はアジア・アフリカの希望の星だったのです。
東京湾の奥のお台場海浜公園に砲台(砲の台のあった場所=お台場)があったり、横須賀沖の猿島に砲台があったのも、日本の首都であり、皇居を有する東京に、外国船が侵入・上陸するのを恐れたからです。
児玉神社は現在修復中ということで写真⑤のように全容を見ることが可能です。お立ち寄りいただける方がもっと増えることを切に祈念しております。
次に江島神社です。江島神社の歴史は古く、修験道の元である紀州の大峰山を開かれた役小角(えんのおづぬ:役行者)が開いた場所とも言われており、日本三大弁財天(安芸の宮島、近江の竹生島、江の島)のひとつと言われております。私は恥ずかしながら中学生の頃に、サザンオールスターズの歌「勝手にシンドバット」で知ったレベルでした。
⑧
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⑪
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ご祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)と誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様です。
・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと:写真⑧)
・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと:写真⑨)
・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと:写真⑩) の三つのお宮で成り立っています。
『太平記』によれば、建久三年(1190 年)鎌倉幕府を司った北条時政が、子孫繁栄を願うため江の島の御窟(現在の岩屋)に参籠したところ、満願の夜に弁財天が現れました。時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられています。
上記の奥津宮、中津宮、辺津宮で弊社グループ3社の商売繁盛を祈願し、目的地である岩屋の洞窟へ向かいます。
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⑭
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⑱
江の島の岩屋は、源頼朝が戦勝祈願をされたり、日蓮上人、弘法大師空海上人が修行をしたとも言われる場所です。洞窟の入口でろうそく(写真⑬)を貸してくれます。それを頼りに洞窟の中をしゃがみながら進みます。
第一岩屋は、富士山の風穴に通じているとも言われる不思議な場所(写真⑭)です。ここに弘法大師様の石像(写真⑮)をはじめ様々な神様の石像が祀られています。
第二岩屋には、龍神が祀ってあります。非常に狭く、頭上に注意です。作り物の龍神は拍手をすると光ります。雷太鼓というものがあり、叶えたい事を願いながら太鼓を優しく2回たたくと良いそうです。2回とも龍神が光れば願いが叶うとのこと、ホンマかいな!
岩屋は悪縁を断ち切るパワースポットでもありまして、ここへ行きたかった理由でもある、2月4日の節入り以降の『天中殺』を避けるため、どうしてもお参りしたかった場所です。たくさんのしがらみや遠ざけたい人間関係、悪縁や悪癖など、お悩みの方は、是非観光がてら江の島に行かれることをお勧めします。
因みに今回は名物の生しらす丼は食べられませんでしたが、美味しいマグロ丼(写真⑲)としらす丼(写真⑳)を食し、大満足の道中でした。
⑲
⑳
前回訪問時は江の島の絶景に心を奪われ、急な坂と石の階段(写真㉑)を気にせずに、反対側にある岩屋(写真㉒)までたどり着いたところで汗びっしょりでへとへとになりました。定期船の弁天丸(⑯~⑱)に乗りたかったのですが、バイク置き場まで遠くなることから断念しました。今回は用意周到、岩屋で力尽きることを想定して、駐車場対策もばっちりです。ほんの7~8分の快適な船旅でしたが、リベンジできて満足でした。
関東でも屈指のパワースポット江ノ島、アップダウンが厳しいため、秋から春にかけてがお薦めです!
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本誌の令和元年11月号で派遣労働者の同一労働同一賃金の実現に向けた改正労働者派遣法が令和2年4月1日に施行されることをご案内しましたが、それ以外で、令和2年4月から何が労務関連の法律で変わるのでしょうか?主な改正内容を確認していきましょう。
1. 時間外労働の上限規制が中小企業にも適用
大企業は昨年の4月1日から既に適用されていますが、時間外労働の上限規制が令和2年4月1日から中小企業にも適用されます。今まで、実質的には青天井だった時間外労働に、限度が罰則規定つきで中小企業にも適用されることになります。
(原則)
1か月45時間、1年間360時間
(例外)
① 1か月100時間未満(休日労働含む)
② 2~6か月間の時間外労働・休日労働の1か月あたりの平均時間は80時間以内
(休日労働含む)
③ 1年間720時間以内(休日労働含まない)
④ 原則45時間(かつ年360時間)を超えることができる月数は、1年について6か月以内
(休日労働含まない)
※上記に違反した場合は、罰則(6 ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金)が科されるおそれがあります。
2. 36協定届出用紙が新様式へ変更
令和 2 年 4 月 1 日以降に提出される「時間外労働等に関する協定届」の様式が以下のように新様式に変更されますのでご注意ください。
① 様式第9号1(特別条項をつけない通常の届出書です。)
② 様式第9号1(特別条項をつける場合にはこの様式です。)
③ 様式第9号3(新技術、新商品等の研究開発業務の場合はこの様式です。)
④ 様式第9号4(建設事業、自動車運転業務、医師の場合はこの様式です。)
⑤ 様式第9号5(事業場外労働の場合はこの様式です。)
3. 同一労働同一賃金の施行
非正規雇用労働者(パートタイム労働者、有期雇用労働者、派遣労働者)について、以下の規定が統一的に整備されます。
① 不合理な待遇差をなくすための規定の整備
② 労働者に対する待遇に関する説明義務の強化
③ 裁判外紛争解決手続(行政ADR)の規定の整備
※大企業は、令和 2 年4月 1 日施行(中小企業は、令和 3 年 4 月 1 日)
4. 受動喫煙防止措置の明示
望まない受動喫煙については、健康増進法の一部を改正する法律等により、既にその防止のための措置
が講じられていますが、受動喫煙対策を更に推進するために、職業安定法施行規則についても、これを改正することになりました。
職業安定法施行規則第4条の2第3項に規定する求人者等が求職者等に対して明示しなければならない労働条件として、就業の場所における受動喫煙を防止するための措置に関する事項を加える必要があります。
従業員の募集を行う場合には、どのような受動喫煙対策を講じているかについて、募集や求人申込みの際に明示する義務が生じることになります。改正健康増進法の全面施行に合わせ、令和2年4月から適用になります。
5. 雇用保険の特定一般教育訓練給付の新設
速やかな再就職及び早期のキャリア形成に資する教育訓練として厚生労働大臣が指定する講座(特定一般教育訓練)を受ける場合には教育訓練経費の4割(上限 20 万円)が支給されることになります。
6. 特定法人の電子申請が義務化
令和 2 年4月から特定法人(資本金が1億円超の法人等)について電子申請が義務化されます。行政手続きコストの削減が目的です。対象となる手続きは、「被保険者資格取得届」「被保険者資格喪失届」
「被保険者転勤届」「高年齢雇用継続給付支給申請」「育児休業給付支給申請」です。
7. 免除対象高齢者労働者の特例の廃止(労働保険徴収法)
保険年度の初日(4 月1日)において、64 歳以上の方に係る雇用保険料を今まで免除していた特例が令和2年3月で廃止されます。令和2年度分の労働保険料から保険料の算定対象になりますので、64 歳以上の従業員の給与計算時には注意が必要です。
8. 被扶養者の要件に国内居住要件が追加(健康保険法)
健康保険法第3条第7項等が改正され、被扶養者等の要件に国内居住要件が追加されました。
① 原則:日本国内に住所を有するもの(住民票で確認)
② 例外:日本国内に住所を有しないが 渡航目的その他の事情を考慮して 日本国内に生活の基礎があると認められるものとして厚生労働省令で定めるもの
(省令):外国において留学をする学生、日本からの海外赴任に同行する家族、海外赴任中に生まれた被保険者の子ども、海外赴任中に結婚した被保険者の配偶者等(ビザや出生・婚姻等を証明する書類による確認を基本)
※生活の拠点が日本にない親族までが健康保険の給付を受けることができるという在外被扶養者に関する今までの課題を解消するための改正です。
9. 第3号被保険者の被扶養認定における国内居住要件(国民年金法)
健康保険法の改正に準じて、国民年金法においても第3号被保険者の要件について国内居住要件が追加されました。改正内容は、健康保険法とほぼ同様です。
10.第1号被保険者の資格取得届の省略
20 歳に達したことにより国民年金の第1号被保険者の資格を取得する者に係る資格取得の届出が原則不要となります。
日本年金機構が、住民基本台帳情報の提供を受けることにより当該者が 20 歳に達した事実を確認できるようになったためです。
以上のとおり改正は、大きなものから小さなものまで多岐に渡っていますので、皆さまにおかれましては、早め早めの取組みをお勧めします。
(内山 裕)
個人的なお話になりますが、私の父が昨年 70 歳を迎え長年勤めた会社を退職することになりました。私が小学生の頃に転職し勤め始めたと記憶しているのですが、週1日の休日を除いて週6日、早朝から夜遅くまで働いていました。それでも仕事の愚痴を言うこともなかったので、勝手な推測ですが、会社で必要とされていることが父にとっては喜びに繋がっていたのではないでしょうか。そんな父が還暦を迎えた際には、私は兄弟と旅行券をプレゼントしたのですが、仕事第一の父が 60 歳で仕事を退職するわけもなく、当時は 65 歳まで働くと言い、65 歳を迎えたときも 70 歳まで頑張ろうかと思うと言い(私はすごい!と素直に尊敬していました)、旅行に行くために休むこともなく現在も未使用のままです。そして昨年やっと 70 歳を迎え無事に退職する運びとなっ
たのです。近い将来 70 歳まで働くことは当然の時代になると思いますが、それでもお疲れ様でしたと心から思うのです。
そして、もう一人お疲れ様と言いたい人がいます。それは母です。母は父が仕事でいない間ずっと家のことを切り盛りしてくれていました。同居の祖母(母にとって義母)のお世話(現在も元気ですがかなり高齢なので多少の介護が必要)や、更には兄夫婦が同居してくれているのですが共働きのため孫 3 人の世話もずっと続けています。なので、家を空けることも兵庫県の片田舎なのでパッと遊びにいくこともそう簡単ではありません。そんな状況ですので、父が退職したことで少しでも母の負担が減ればいいなと思っているところです。
父の退職をきっかけに、普段地元から出ることのない両親2人には旅行に行って非日常を味わって欲しいと思いました。そこで私は家族の協力を得て『ザ・大阪観光』を 1 泊 2 日で実行することにしました。宿泊先は立派な都会のホテル・・・ではなく我が家です(笑)。1 日目はカニが大好きな父のために“かに道楽”でランチ、その後吉本新喜劇を観劇、2日目はあべのハルカスでランチをした後展望台に登り、そのまま近鉄百貨店のデパ地下で買い物をして帰宅というプランでした。
私の地元には”かに道楽”はなく、両親は初めての利用でした。私は喜んでくれるかなとウキウキしながらお店に到着しましたが、なぜか少ししょんぼりした様子です。当日予約していたのは江坂店だったのですが、なんばグランド花月へ行くこともあって道頓堀本店だと思っていたようです。「道頓堀のあの大きいカニの看板があるお店じゃないのか」と残念がっていました。少し申し訳なく思いつつも気を取り直して楽しく食事をし、そしていよいよ吉本新喜劇を観るためなんばへ向かいます。こちらも両親は初めてです。同じ関西、しかもお隣の兵庫県に住んでいながら仕事一筋なのか興味がないのか、そういった商業施設へあまり行ったことがありません。当日、誰が出演するかは調べずに行ったのですが、なんとトミーズさんや桂文枝さんの出演日でした(吉本新喜劇は2 部制で、前半は漫才と落語家の漫談があるのです)。両親はテレビでよく見る大御所の方々の話を生で聞けてとても大喜びでした(そう見えました)!!新喜劇については、テレビの方が見やすいとぼやいていましたが(それは言うたらあかんヤツ!(笑))。
翌日はあべのハルカスへ行き、ホテルのランチビュッフェ(ローストビーフが絶品)を食べ展望台へ登りました。父は何回かハルカスに来ているのですが、母は初めてで高所恐怖症ながらも展望台からの眺めを楽しんでいました。その後は予定通り、近鉄百貨店のデパ地下で買い物をしました。母はハルカスが出来る前には数回来たことがあったので、懐かしい気持ちもあったかと思います。様変わりした店内を回りながら、目当てのお店で買い物を楽しんでいました。
本当は道頓堀のグリコ前で写真を撮ったり、それこそ”かに道楽”のかにの看板を見に行ったりしたかったので すが、普段車移動の多い両親をたくさん歩かせるのも心配だったので、今回のような最低限の観光になりました。でも久しぶりに親子3人で過ごすことができ、自己満足かもしれませんがとても充実した時間を過ごすことができました。快く協力してくれた家族にも感謝感謝です。今度は京都にも連れて行ってあげたいなと企む日々です。
余談ですが、いつも両親が大阪の我が家へ来るときは車できます。しかし、今回は一泊するので疲れも出ますし、何と言っても最近は高齢ドライバーの事故が多く、両親も他人事ではないので、何とか説得し電車を利用してもらいました。すると、父から衝撃発言が。なんと電車に乗るのは20数年ぶりだと言うのです!!確かに地元は車社会でどこに行くにも車ですし、社員旅行などもバスを利用するので電車に乗っていないというのは本当だと思うのですが・・・(だから普段から電車で来ることを拒否していたのか!)切符を買う時からびくびくしていた父でした(笑)。
劇場に入る前に偶然にも桂文枝さんのパネル前で写真を撮っていました。
そして、見えにくいかもしれませんが、母が手にしているのは昨年大流行したタピオカミルクティーです。飲んだことがないと言うので無理矢理購入し、飲んでもらいましたが、元々そんなに興味がなくそれはもうたいそう薄い反応でした(笑)。
皆さんも是非大阪へお越しの際は、この様な『ザ・大阪』な観光をしてみてはいかがでしょうか。大阪在住の私もとっても楽しかったですよ。
最後に中村お勧めの大阪土産を二つご紹介します。
• 王道と言えばこれ、「551 のぶたまん」
私は大好きで無性に食べたくなり、そのために梅田まで買いに行く時もあります。匂いがあるので、注意が必要ですが…(汗)
• 知る人ぞ知る「りくろーおじさんのチーズケーキ」
下にレーズンが入っており、ふわふわした食感であっという間に完食。間違いなしです!
ちなみに、上記の二つとも両親は買っていません(笑)。
今この記事を書きながら、教えてあげればよかったと後悔しています。。。
(中村 千紗)
株式会社経営参謀 新谷 健司さん
出会いから驚きの連発だった新谷さん。会社名に込めた想い、たくさんの素敵なご縁をお繋ぎくださっているのも新谷さんです。私がお話をさせていただくことに、へー!オモシロイですね!を連発してくださりながら、「すぐにお会いしたい」とのことで、それからすぐに行動を起こして会いに行かれ、さらに自分や周りの経営者のためにビジネスを展開されていくところはまさに驚くべきです。最近では、私が企画する研修会で最後のまとめ、評価、感想をまさに立て板に水の如く、スラスラ客観的に且つ手短に誰にでも解りやすくお話しくださいます。天才芸的に、いつも聞く側で、自分が主催者であることも忘れてしまいそうなくらいです。そんな新谷さんについてお伝えしたいと思います。
【経営参謀著者の稲田さんと社名の由来から】
◆ ブーメランのようなご縁でお会いしました!
繋がるご縁の中でお会いしたのが新谷さん、私が投げたブーメランが戻って来たような感じの出会いでした。そのきっかけはストリートスマートの松林さんでした、当日松林さんと企業向けの事業展開を試行錯誤しているときに、懇意のトーマツさんにグループ会社のトーマツイノベーション株式会社(現在の株式会社ラーニングエージェンシー、以下当時の呼称を記載します。)の大阪のご担当(今も仲良くしてくださっている井上さん、現在は白潟総合研究所に在籍)である松林さんと面談。その後井上さんが同じ会社で東京の担当だった新谷さんに松林さんを紹介し、松林さんが新谷さんと仲良くなり、その後、独立起業の時に松林さんに相談のところ私にご縁が繋がったという変遷です。元々のご縁から、新谷さん、そしてご紹介の松林さんとは誰のどんな感じで仲良くなっていったかもうわからないくらいたくさんのご縁が広がっています。感謝しかありません。
新谷さんと最初に会ったのは渋谷のマークシティのスタバで連続アポイントでバタバタだったことを記憶しています。その時に私の起業について話し、クライアントとの距離感、接し方、考え方を好き勝手にお話させていただいたのですが、真剣にお聞きいただき、その時の鋭い目線と、帰り際の笑顔が鮮明です。このご縁は続くと確信したのもその時でした。
◆ 起業に至るまで
新谷さんのご紹介。まずは個人の人となりを。
ご出身は、静岡県、今も週末はご自宅。平日は、静岡の川根本町の地域活性化にも取り組んでいらっしゃるので静岡、東京をいったりきたりされています。この考え方良いな、と私も思っていて、私も週 3 日程度は東京に来ているのが丁度いい感じ。何か東京の情報に触れながらも【地元】にもいることの大事さを大切にしたい と思いますね。学生時代のお話になりますが、大学に一旦入学するもパチプロになり、月収100万円は超え るような生活にもなっていたそうですが、どう頑張っても年収2000万円が天井(お金だけではないですが)。大学に通う意味、自分を見失っているところに気付き、退学。そこから、理系出身というのもありプログラミングの専門学校に通うようになったそうです。そこからエンジニアとしての道を選択し IT 企業に入社して、超大手企業に派遣されシステム構築をしていたそうです。元々派遣されていた企業では自由度もあり楽しく働いていたそう ですが、全く180度違った企業に担当が変わった瞬間に潮時を感じ、たまたま過去、取引先の関係で知り合った方から声がかかった先に訪問したのがトーマツイノベーションで、そこで当時、代表だった白潟さんとの面談でビビッと来て転職を決意。何の仕事をするか、何ができるか後先関係ない転職でしたと笑顔で話していらっし ゃいました。「この人と仕事がしたい」という一言、白潟さんの人間力だと感じます。この時、新谷さんは、25、 6歳だったそうです。そこから 10 年間突っ走ってきましたと。管理本部、営業、コンサル、セミナー講師、経営
企画、採用。IT を知っている人が少なかったおかげでありとあらゆる仕事を経験できたそうです。
トーマツイノベーションは元々ISO、プライバシーマークのコンサルが発祥、そこから定額で多岐に亘るセミナー、研修を受け放題というビジネスモデルを開始、新谷さんが辞める頃(36 歳)には会員企業が 6000 社以上になっていたそうです。
会社員生活最後の時期に、経営者コミュニティを立ち上げから担当し、そこで会社の制約、限界を感じて独立を意識するようになったそうです。新谷さんにお話をお聞きしていて、自分に正直な、周りに流されない人だなと感じました。
◆ 経営参謀の誕生。起業後も都度都度お会いさせていただきながら。
経営者コミュニティを自分流でやってみたい。一番大切にしているコンセプトが、「経営者同士が参謀となること」。まさに【同志】の感覚ですね。HP 冒頭の【挑戦する経営者に情報と元気を】。このコンセプトを冠に、株式会社経営参謀はスタートしました。HP にある【経営事例まとめ】は相当に役立つものですので、ご覧いただけると情報の大切さを認識できるように思います。
お会いして、最初に私が新谷さんに、『社名の由来はひょっとして?』とお聞きしました。そのお聞きした内容がずばり正解でした。 『新谷さん、稲田将人さんのファンですか?』と聞いたのでした。そこから、稲田さんに連絡をし、社名に稲田さんの経営参謀を付けている経営者に会ってください!とお伝えし、面談が成立しました。この 辺りは稲田さんのことを私の HP で書いていますのでご覧ください。該当の記事はこちらです。 定期的に何か決めて会っているとか、研修会等やっているわけではありません。不思議にご縁が続いているのが新谷さんとの関係です。私にとってはありがたい存在です。繋いでくださったご縁の数々、イベントの数々についてお話しておきたいと思います。
・ご縁の源であり、たくさんのご縁をつないでくださっている新谷さん
参謀バーを出店されている時にお会いしたのが、「食べチョク」を運営されている秋元さん。秋元さんが、起業当初でまさにこれから、という時にお会いできて、今ではなかなか多忙すぎてお会いするのも憚れる感じでしたが、この頃にお会いできたことから、秋元さんの起業家仲間もたくさんご紹介いただいています。若い世代の経営者 のご縁の源的存在です。
秋元さん以外にも、たった3 分、5分程度の当初のご縁から、今ではかなり深く仲良くしていただいている、スペサンの植松さん、同様にレリックの北嶋さんも新谷さんのご紹介です。また逆に私からも IT 系を中心に若手起業家に相当数お会いさせていただいて、そこから経営参謀の会員企業にご紹介をいただく場面も数多く、ご支援いただいています。
・勉強会の共同開催も一緒にやっています
代表世話人株式会社として過去からいろんな研修会、主催、共催、協力と多数企画実践してまいりましたが、最近東京で開催する研修会については新谷さんと一緒に開催させていただく場面も増えています。
もう 3 年前になるのがインディージャパンの津嶋さんを講師にお迎えして開催した【巻き込む力】の勉強会でした。当日の写真等はこちらです。
前職での講師、コンサルでのご経験からか、あまりにも小気味よく、要点をまとめて、講師に投げる、講演全体もまとめあげる力が素晴らしくて、そこから新谷さんとの共催で研修会の反響もより良くなっています。
巻き込む力以外には、昨年は、Salesforce さんに会場をご提供いただいて、同社の顧客創造についてのお話や営業・経営の KPI についての研修会を2回開催いたしま した。そこで新谷さんがファシリテートしてくださって会自体も大いに盛り上がった次第です。Salesforce 社での1回目の研修会についてはこちらをご覧ください。同様に2回目の研修会はこちらです。
【Salesforce 社にて研修会を実施時に】
今年には、IT 参謀の研修会で、GM 総研の加藤さんに講師をお願いした際も質疑応答で新谷さんにご支援をいただきました。その時の開催風景はこちらです。
印象深いイベントには、新谷さんが経営参謀の会員企業向けに、私の懇意にしてくださっている、120年以上歴史のある日本で一番の保険代理店【株式会社龍崎】の齋藤社長様に講演をお願いした際です。スライドは一切なし、マイク一本で会員さんにお話をされる、齋藤さんのお話に皆さん真剣に耳を傾けていらっしゃる姿にある種感動すら憶えました。お役に立てて良かったと思えた瞬間でした。龍崎さんについてはこちらをご覧ください。
東京を離れて、山梨の人口700名の小菅村にもご一緒しています。この村は、さとゆめの嶋田さんが村全体をホテルにするという構想を実現され、各メディアでもかなり取り上げられました。村への訪問の前日にはWBS にも特集があり、このプロジェクトの意義が社会的にも評価されました。当初、村の活性化案に、少しだけアイデア出しと、懇意な方々をご紹介することからこのプロジェクトは始まります。新谷さんもこのプロジェクトに興味を持っていただき、一緒に山梨まで出向いたこともあります。この時のことはこちらを御覧ください。
当日の新谷さんが非常にハイテンションであったことが記憶に残っています。ご自身が展開されようとしている、静岡県の川根本町の地域活性化についてもお話しくださいました。今後の展開の部分でこのあたりをまとめたいと思います。このプロジェクトにはこちらを御覧ください。
◆ 今後の展開についてもお聞きしました。
・なぜ川根本町か?
経営参謀の会員企業である、会社さんが静岡県(川根本町)にサテライトオフィスを設置するところが発端、自身のご自宅が静岡であることもあり、週末帰宅する【ついで】に絡めてお手伝いしますよ、ということからどんどんその面白さ、社会的意義にのめり込んでいったそうです。このあたりの想いは前述のプロジェクト K の設立趣意書にも現れています。
下記にて。
住民が『ずっと住みたい』と思う町をつくる。そのために、
① 行ってみたいと思われる。
② 働いてみたいと思われる。
③ 住んでみたい、住み続けたいと思われる町をつくる。
その実現のために、熱意のある官・民・学の有志が集まり、やるべきことを話し合い、そこで決まったことを周囲を巻込みながら実践に移す。
その実践内容が全国的に評価され、『川根モデル』として他の地域のお手本になることを目指す。まずは行ってみたいと思われる。大切ですね。
【2 月 5 日にエックス川元さんと経営道場を開催しました】
・関わり続ける中で中心人物に。
元々アイデアマンの新谷さん、関わり続けるうちに、たくさんの施策を思いつき、話し始めると、これも、それも自分がやりだす立ち位置に。今では、80を超えるアイデアを組成、例えば、社会貢献で、お茶の売り方を変えてみて、たばこの自販機でお茶をお土産として販売してみる、高校生による株式会社の立ち上げ等々、だれもやったこ との無いことにチャレンジをされています。
この情熱に私も現場を見たいと思い、今年のオリンピックシーズンには、川根本町を訪れることにしました。そこで、私自身もお役に立つアイデアを出し、ご紹介できる人脈を考えたいと思っています。
【2 月 5 日にエックス川元さんと経営道場を開催しました】
◆ 最後に新谷さんから一言も
5 年前、杉浦さんとはじめてお会いしたときにお聞きしたお話 ~人の見極め方、人のつなぎ方、相性の見極め方、信頼を重視する、報酬に対する考え方(成功報酬はもらわない)など~ は、今も私の行動指針になっています。それから毎月のようにお会いすることになるとは思ってもいませんでした。そして、お会いする度に
「すごい人」のお話を聞かせていただくだけでなく、その場ですぐにお繋ぎいただける。杉浦さんから 100 名以上のご縁をいただき、その結果、私の幅が大きく広がりました。
杉浦さんにお返しをしたいのですが、お返ししきれるわけもないので、他の方に恩送り(ご縁つなぎ)をしています。
というわけで、私から誰かを紹介された方は、杉浦さんに感謝しなければならないということになります(笑)
話は変わりますが、私は 3 年前から静岡県の山奥の過疎地、川根本町に携わるようになりました。
川根本町は、人口 6,600 人強、高齢化率 47%超、人口は毎年 200 人減、一昨年生まれた子供は
14 人、町の財政も悪化、消滅可能性都市ランキング静岡県 1 位と、課題だらけの町です。ただ、この町には危機感を持って町を変えていこうという、熱意のある方がたくさんいます。
そしてそんな皆さまと触れ合っている内に、心の奥からふつふつと使命感が湧いてきました。これは人生初の感覚です。しばらくの間、この感覚に素直に行動しようと思っています。
読者の皆さま、ぜひ一度、川根本町に遊びに来て下さい!
(機関車トーマス、SL、夢の吊り橋、奥大井湖上駅、寸又峡温泉、特徴的なキャンプ場、茶摘み体験、農家民泊など、見どころ満載です!)
素敵なコメントを有難うございます!私もオリンピックシーズンには川根本町に参ります、ご一緒できる方を募りたいと思っています。
新谷さんの活動領域が広がり、中小企業経営者の皆さんが益々元気になりますように!
代表世話人株式会社 杉浦 佳浩 (http://100-dream.jp/)
1 月 1 日付にて HP リニューアルしています。↑↑↑
是非ご覧ください!!
https://100-dream.jp/archives/6871
御縁結びコーナーの記事を1月単独で掲載しています。↑↑↑
是非ご覧ください!!
小林社長、この度はお忙しい中、貴重なお時間を賜りありがとうございました。今回は、小林社長が常日頃大切にされている有限会社 小林製作所 様の理念とルーツについてお伺い致しました。
◆ はじめに、御社の事業内容と創業からの経緯を教えてください。
当社は、昭和37年に私の祖父が東京都下目黒にて創業し、その後、白金を経て現在の鹿沼に移転しました。創業当初はオリンピックバブルの時代で、初めは自宅にて創業しましたが、仕事が多く広い場所に移転する必要があり、昭和43年に祖父母の地元である鹿沼に移転しました。法人化したのは昭和 46年10月1日なので、今期で50 期を迎えました。創業当初はプレス金型と治具の製作、プレス加工を行って きましたが、次第に製造コストが安い海外へのプレス加工の流出が激しくなり、また、工作機械の発展により、プレス金型・加工で しか作れなかった製品が板金加工で作れるようになったことから、プ
レス金型の製作、プレス加工だけでは厳しくなってきたため、先代からは機械加工や板金加工など、製造領域を拡大してきました。
高齢化の影響からか、家族経営などでプレス金型の製作、プレス加工を行ってきた企業が後継者問題で廃業するケースが増え、弊社への金型製作・プレス加工の引き合いが増えてきたことをきっかけに、私が社長に就任してからは原点に立ち返り、当社の基盤であるプレス金型の製作、プレス加工、それに機械加工
(部品製作)を加えた3本を軸とした『事業の選択と集中』を進めてきました。
【主な業務内容】
Ø プレス金型・・・お客様のご要望を CAD にて設計したのち、フライス盤・旋盤・研削盤・マシニングセンタ・ワイヤカット放電加工機などの機械設備により、高効率な作業で安定した品質の保持に努め、適切な検査設備にて検査を行うことにより、高い品質管理体制を採っています。
Ø プレス加工・・・プレスマシンと呼ばれ強圧をかける機械にプレス金型を取り付け、金属などの材料を強圧し、せん断・曲げ成形・絞り・鍛造などの成形加工を施す加工法です。
Ø 部品加工・・・弊社では、プレス金型製作技術を基に、高精度な部品製作を得意としております。 1個~中量まで対応しており、お客様のニーズに合わせた部品製作をしています。
Ø 治具・組立・・・治具とは、製品の加工や部品の組立・取付・検査の際に使用する『ものづくり道具』の総称です。治具を使用することで、加工の際、製品の位置を固定し、工具を制御・誘導することが容易になります。<治具のメリット>①コストダウン ②納期短縮 ③生産性向上
Ø 板金加工・・・様々な種類の金属の板を用途に応じた形状に加工することができます。当社では、社内でプレス金型を製作する技術を応用してベンダー(プレスブレーキ)用の金型を製作し、加工を行うことができるため、複雑な形状の製品であっても短納期で製作することが可能です。
Ø 溶接加工・・・一般的な半自動溶接だけではなく、TIG 溶接・MIG 溶接を得意としているため、ステンレス、アルミニウム、鉄等、様々な金属の溶接を行っております。
◆ 会社経営において特に意識していることは何でしょうか。
弊社は、グランドデザイン(全体構想)として
『“志”で日本一人々を輝かせる企業』となることを掲げています。働き方改革で生産性の向上が求められている昨今、社員一人一人が、『この会社と仕事を通じて、こうなりたい、これを実現したい』という志を抱き、そのためにはどうすべきかを自ら考え、行動することができる環境となるよう意識しています。
また、『我々は発展途上である。現状維持は後退、常に向上心を持ち前進し続けろ!』という社訓の
下、変化が激しい世の中でも発展し続けていくために、活き活きと働け、家庭も伸ばし、自分も成長できる職場を提供していきたいと考えています。
◆ 御社の今後のビジョンをお聞かせください。
新規事業というわけではないですが、プレス加工・金型
加工の良さ、金属の良さを今一度世間に知らしめ、お客様のニーズ喚起につなげていきたいと思います。また、これまではトップダウンの体制で、業務に関する細かい部分まで経営陣からの指示に基づいていましたが、これからは社員一人一人が考え、レポートラインに沿ったチームで取り組む組織づくりをこれからも続けていきたいと思います。 まだまだ変革の途中(ある意味一生途中)ですが、次のステップへの準備は整ってきたので、これからは
『飛躍』につなげていきたいと思います。
ブレイン・サプライ ニュース
≪ご紹介!株式会社 LAVIERE 飯塚順子様≫
LAVIERE の飯塚順子でございます。岡社長よりご紹介頂き、記事を掲載致します。今日は少しだけ宣伝をさせてくださいませ。
銀座 嘉.Yoshi(よしどっとよし)
お店を始めて、早くも半年・・。
多くのお客様にお越しいただき、感謝と一期一会の大切さを改めて感じているこの頃です。
人と人をつなぐ仕事の集大成として、また、伝えるだけではなく、おもてなしを体現したいと始めたお店。度胸は人一倍ございますが、まだまだ右往左往する場面ばかりです。
今、私がすることは何か?と考えましたらもっともっとお店を知っていただくこと、素直に今の気持ちを伝えることでした。
まずは愛する私のお店を知っていただき、1 人でも多くの方に足を運んでいただくため、今日は少しだけ宣伝をさせていただいています。
主役はお客様、それにお応えする私たちは、期待にお応えすること。
おかげさまでお客様が美味しい‼️と、何度も仰ってくださるありがたいお言葉、そして、必ず、なんとも言えな い満面の笑顔になる。それを見ている私たちも当然、心があったかくなり、さらに満面の笑みになる。
本当にあったかーい空気が流れる一瞬を感じております。
『和食も幅広いね、美味しいよ』 と仰っていただける料理を提供できるのも調理長はじめ、調理人のおかげ。『感じが良いね、料理とお酒のマリアージュの説明が最高だね』 と、仰ってくださるお客様がいらっしゃるのも女性マネージャーのおかげです。
和食といっても、一言では語れず・・。
当店は創作和食。創意工夫が半端ないです(笑)そして、出汁が自慢です。講演でも必ず伝えているご縁を大切にすることと、それぞれがそれぞれの立場で接遇力を発揮することの重要性を店のメンバー一人一人に伝え、チーム一丸となりお褒めのお言葉をたくさんいただけるようさらにさらに努力して参ります。
目で見て楽しみ、舌で楽しみ、会話を楽しむ。そんな時を必ず提供いたします。ぜひ、大切な方と、心おきなくお喋りしたいお仲間と、お越し下さい。
心よりお待ち申し上げております。
【銀座 嘉.Yoshi】
東京都中央区銀座 4-3-2 銀座𣘺ビル 5F
↓↓↓ホームページはこちら
【銀座 嘉.Yoshi ホームページ】https://www.yoshi-dot.com/
【一休】https://restaurant.ikyu.com/114546/?iksc=RAText
【食べログ】https://s.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13239251/top_amp/
【ヒトサラ】https://hitosara.com/0006127408/
【savorjapan(英語版)】https://savorjapan.com/0006127408/
株式会社 LAVIERE
代表取締役 飯塚順子
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