記事検索
令和元年10月号
岡社長の今月のアドバイス
『大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑥』
『伊勢神宮と伊雑宮参拝!』
―――――――――――――――――――
金融の寺子屋
『すみません、融資ができません』
―――――――――――――――――――
関西事務所便り
『行楽の秋』
―――――――――――――――――――
今月のご縁むすび
『株式会社ひばりコンサルティング 笠原 慎也さん』
BS企業名鑑
『株式会社一笑堂 代表取締役 坂根 広章 氏
常務取締役 坂根 弘美 氏』
―――――――――――――――――――
ブレイン・サプライ ニュース
『消費税法改正に伴うご請求に関するお知らせ』
『バンコク通信 ~なぜか食べたくなる日本食 お好み焼き~』
『ベトナム視察ツアー第2弾延期のご案内』
大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑥
第6回目は、山口多聞少将(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 – 1942年(昭和17年)6月5日、49歳没)、日本の海軍軍人です。海兵40期次席・海大24期次席。ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将(東京都出身)です。
①
②
名前の由来は、楠木正成の幼名多聞丸に由来。山口多聞少将は、旧日本海軍でも「提督の中の提督」として、世界中の軍事ファンから称賛されている人物(写真①②)(写真③は映画「連合艦隊司令長官山本五十六」で阿部寛演じる山口提督)です。東京・文京区小石川に、旧松江藩士山口宗義の子として生まれました。
山口家の仕えた松江藩というのは、出雲一国の藩です。もともとは毛利領でしたが、幕末時の藩主は松平家で、山口家は出雲松平家の家臣でした。
この松江藩は江戸期にその裕福さで有名な藩でした。藩経済は、他藩のように米による年貢中心ではなく、古くから盛んであったタタラによる製鉄業を藩の産業として育成して産業振興を行なってきたからです。
タタラと聞いて思い出したのが、今から16年前に経験した「過去世退行催眠」の記憶です。私は鎌倉時代の1290年代、島根と山口の県境のタタラ場で刀鍛冶をやっていました。その時代は現在の長女と夫婦でしたが、失火により家を全焼させ、失意のうちに家族を捨てて失踪し、乞食となって行き倒れて死んでしまうという悲惨で後悔の多い人生でした。これが原因かどうか、長女とは折り合いが悪く、常に罪悪感がつきまとっていたように思います。この経験の9年後に長女も退行催眠を経験し、4つの過去世を思い出し、彼女なりに問題解決したとのことでした。私が損害保険会社にご縁があったのも、火災(不慮の災害)によって人生の道を誤ったことを悔い、道を失いかけている人を保険でサポートしていくことを仕事に選んだのかもしれません。
話は戻ります。山口少将は、現在でも東大進学者数NO1の進学校として名高い開成中学(現開成高校)を卒業したのち、海軍兵学校第40期生となりました。
兵学校入学時の成績は、150人中21番、卒業時の成績は、144名中2番です。
同期には特攻隊生みの親・大西瀧治郎中将がいます。兵学校定番の棒倒し(昔はよく運動会で実施されていましたが、組体操と同様危険とのことで殆どの学校で廃止)では山口・大西は双璧と称されていたようで、文武両道の超エリート的な存在でした。
山口少将は、大東亜戦争開戦の僅か半年後に戦死しています。その間に、
(1) 真珠湾攻撃
(2) ウェーク島の戦い
(3) ポートダーウィン攻撃
(4) セイロン沖海戦
(5) ミッドウェー海戦
の5つの海戦を指揮し、⑸のミッドウェー海戦以外では圧勝していることは特筆すべき功績(写真④)です。さらに判断に迷う総指揮官の南雲忠一中将に対し、真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の際に2度の意見具申を行なっていることです。当時下位の者が上位の者に意見を言うことは非常に難しい状況でしたが、戦に勝つことを優先し、優柔不断な南雲司令官に厳しい決断を迫っていたのです。
結果的に南雲司令官は正攻法の攻撃を選択し、兵装転換(陸上用爆弾から海戦向け魚雷に転換)という愚を犯し、無駄に時間を費やし、航空母艦3隻がたちまち急降下米爆撃機により攻撃され、被弾炎上となりました。一隻だけ無傷で残った山口少将率いる空母飛龍(写真⑤)が米空母に殴り込みをかけ、空母ヨークタウンを大破炎上させ(後に潜水艦の雷撃により沈没)、一矢報いることができましたがその後敵雷撃機の攻撃を受け沈没。山口少将は、本人の強い希望で空母飛龍と運命を共にしました。
そもそも連合艦隊司令長官の山本五十六大将、第一機動部隊司令官の南雲忠一中将が戦力温存に走らざるを得なかった要因は、第一次世界大戦後、強力になった大日本帝国を警戒した米英が、1922年開催のワシントン軍縮会議において、主力艦比率を米英日対比で5:5:3としたことによります。米英と戦う場合には10:3、米国と戦う場合にも5:3の比率となり、当時の軍事学からは最低10:7の比率を確保しなければ必ず負けるとの考えが海軍内では圧倒的であり、決して戦ってはいけない相手が米国だったのです。(軍事学における戦闘結果は軍事力対比数字の2乗の結果すなわち100:49となる。当時の連合艦隊では2:1ならば戦意と技能において米国を凌駕できると考えていた。)
④
⑤
(歴史街道2017年8月号)
真珠湾攻撃において米国戦艦群に大打撃を与えてなお、第二航空戦隊指揮官の山口少将は、「第二撃準備完了」と南雲司令官に送りました。米海軍工廠や燃料タンクが無傷で残っていたからです。これを叩いておけば米国の反撃は3~6か月は遅れていたといわれています。戦に勝つことに主眼を置いての判断です。
「兵は拙速(せっそく)を貴ぶ(孫子)」
戦場において最も重要なことは「即断即決」です。山口少将は、この「即断即決」ができる、日本海軍においては稀有な存在だったのです。海軍は船がベースとなりますが、港で船を遠目に見つけてから到着まで1時間くらいかかります。じっくりと考えることが体質上当然とされた組織において、20年以上本格的な戦争が無かった海軍が、官僚的になってしまったことはやむを得ないことかもしれません。海軍人事も「いかに戦うか」ではなく「どうバランスをとるか」に重んじられていました。平時には日本的な秩序維持のために年功序列もありかもしれませんが、有事(戦時)においてもこれを維持してしまったところに、近代戦を戦うという思想が根本的に無かったのだと思わざるを得ません。派閥政治でバランスを取ろうとしている現政権も、今後の時代の急激な変化に対応できるかどうか、はなはだ疑問に思ってしまいます。
欧米の諺に、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。我が国のリーダーには、是非とも過去の歴史から真実の、勝利の法則を学んでほしいと思います。
因みにアメリカ太平洋艦隊司令長官のニミッツ提督は、レイモンド・スプルーアンス少将(後に大将:写真⑥)を十数人抜きで抜擢し、戦闘の最前線の司令官に据えてきました。スプルーアンス少将は周囲から「人格も能力も兼ね備えたリーダー中のリーダー」と称された傑出した軍人です。彼のようなリーダーを有事には抜擢できる国、それがアメリカという国です。侮れません。我々はここを学ばなければなりません。彼はアナポリス兵学校卒業後間もない頃の航海で日本に来た時、パーティー席上で東郷元帥(日露戦争時の連合艦隊司令長官)に会った感激を終生忘れなかったそうです。他の提督が日本人を侮辱する言葉を吐くのが当然の時代でも、彼は日本軍に対する敬意を失わなかったといわれています。
スプルーアンスの逸話で有名なエピソードは下記の通りです。
「アメリカの青年達よ、東洋には、すばらしい国がある。それは日本だ。日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!!」
⑥
彼は、このように言い、戦後、全米各地を公演して回りました。彼が、このように日本の事を語るようになったのは、次のようなエピソードがあったからです。
1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出して、アメリカ軍が硫黄島(栗林忠道中将が守備)を占領した明くる日のことです。岩山の穴の中から負傷した日本の陸軍少佐が降伏のしるしのハンカチを持って出て参りました。彼は、「司令官はいないか。穴の中には、有能な30名の青年達が残っている。彼らを日本のため世界のために生かしてやりたい。私を殺して彼らを助けてくれ。」と言いました。少佐を引見したスプルーアンスが「お前も部下達も助けてやろう」と言うと、彼は「サンキュー」と言って絶命しました。
その後、アメリカ軍は、青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れたりして、残された青年達に穴から出てくるよう勧告しますが、彼らはそれに応じず抵抗を続けました。数ヶ月間の抵抗の末、やがて何名かが餓死し、最後に残された者達は手榴弾で自決して果てました。その爆発の時に、スプルーアンス司令官が穴の所に飛んで行くと、穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙が置かれていました。
「閣下の私達に対する御親切な御厚意、誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。
最早(もはや)水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、
全員自決して天国に参ります。
終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。
昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿」
先の戦争では両軍全力で戦ったのです。その戦いの中で日米ともに最高レベルの指揮官である山口少将とレイモンド・スプルーアンス少将が相対して太平洋戦争の分岐点と言われるミッドウェー海戦で戦ったことは、ある意味で特筆すべきことなのかもしれません。
ヘッド(頭脳)とハート(志)とガッツ(実行力)
旧帝国海軍は、ヘッドは優秀、国を思う気持ちも強くハートも持ち合わせていましたが、ガッツが無かったと、元海軍航空参謀の源田実氏は評論家の渡部昇一氏との対談で語っていました。もし真珠湾攻撃で「第二次攻撃」が行われていたならば、もしミッドウェー海戦で日本海軍が勝利を収めていたならば、そしてもし山口少将が機動部隊の司令官であったならば、率先垂範で即断即決、臨機応変に強烈なリーダーシップを発揮して歴史を変えていたような気がします。少なくとも米国民の戦意を挫き、早期講和の糸口が見えていたかもしれません。
ここが世界中の歴史マニアや軍事マニアの心をつかんで離さないポイントのようです。因みに機動部隊の南雲司令官(写真⑦)はその後軽巡洋艦【長良】に逃れ、失意のまま生き延びたことと対照的です。戦に臨む<覚悟>が違っていたのでしょう。南雲中将はその後艦隊から降ろされ(艦艇の大半を沈められたため)、最後はサイパン島陥落時に自決されました。<生き様と死に様>というものを考えさせられます。
⑦
真に優秀な人材を、適材適所で活用できなかったことは、当時の軍事組織の中だけでなく、今の政治家や官僚にも顕著に見られる特徴です。これは日本人の国民性かもしれませんね。我々後世に生きる者の務めとして、歴史を検証し、学び活かせることは全て修得して、次世代にバトンを繋いでいかなければならないと強く感じます。そうすることで日本という素晴らしい国を、未来永劫継続していきたいと思います。
伊勢神宮と伊雑宮参拝!
①
②
③
令和元年6月22~23日、幣立神宮崇敬会のイベントに参加してきました。可能な限り参加させて頂いておりますが、今年はお客様2名と弊社社員(私を入れて)4名の計6名で参加させて頂きました。早朝に大阪を出て眠くなるので山道の一般道で向かうこと3時間、目的地の伊勢神宮に早く着きすぎて(写真①)、おかげ横丁の赤福を食し(写真②)、猿田彦神社を参拝し(写真③④)、更には抹茶のかき氷(写真⑤)まで堪能して、いざ集合場所に(写真⑥)。集合場所では少数しかおらず、今年の参加は少ないなと思っておりましたところ、実は案内状に記載漏れがありまして、多くの参拝者は既に御神楽を行う内宮神楽殿(写真⑦)に集合しておりました。御神楽(舞楽奉奏(ぶがくほうそう))を拝見し、その後正宮(写真⑧)へ向かいます。今回の参拝者は100名ほどで全国から来られています。今回も伏見博明様(旧皇族:写真⑨)、幣立(へいたて)神宮春木伸哉宮司様とご一緒させて頂いての参拝でしたので、一般の参拝者の入れないところ(その先は天皇陛下しか入れないという一つ手前)まで入れて頂き、感激の参拝ができました。有難いことです。
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
伏見博明様の曽祖父の伏見宮貞愛親王(ふしみのみやさだなるしんのう)様は陸軍元帥、祖父の伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)様は海軍元帥に就かれており、戦後皇籍離脱された11宮家(旧皇族)はいずれも伏見宮系統です。現当主の博明様は、現天皇家の明仁様(上皇)の三従兄であり、今上天皇の徳仁様の三従甥にあたられます。今年87歳とのことですが、姿勢には老いを感じることもなく、私の父と同い年とは思えない、まぶしいオーラを感じました。幣立神宮の春木宮司様と伏見博明様を囲んで(写真⑩)のおかげ横丁「すし久(写真⑪)」での昼食会も北海道から沖縄までの遠方から参加されており、非常に盛り上がりました。
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
崇敬会解散後、奥様に厳しく日帰りを申し付けられた島本社員を駅に送り、残り5名は伊勢市内のホテルに滞在しました。目的は、伊雑宮(いざわのみや:写真⑫⑬⑭⑮)を参拝することです。
伊雑宮は、倭姫命(やまとひめのみこと)が志摩の国を巡られたとき、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)に命じて造営されたといわれています。
古くから「志摩国一の宮」と称えられ、伊勢神宮内宮の別宮中、特別に高い格式を誇っています。また、有名な「伊雑宮御田植祭」(いざわのみやおたうえまつり)は、毎年6月24日に行なわれる日本三大御田植祭りのひとつで、重要無形民俗文化財にも指定されています。今回の訪問はその前日にあたり、雨の中、御田植祭の準備が行われておりました。(写真⑮⑯)
⑯
私が個人的に伊雑宮に興味を持ったのは、上記の倭姫命の伝説の他、伊雑宮レイライン(写真⑰)の存在を知ったからです。
我が国の古くから継続している主要な神社や神話に登場する霊峰と伊雑宮は見事につながっているのです。まるで神様が高い高いところから、この国全体を見ていたかのように。神の知恵のことを「神智(じんち)」と言うそうですが、そのような力が働いたのではないかと思ってしまいます。
⑰
この図ではまだ訪問していない場所が半分程あります。今後心を込めて巡礼していきたいと思っております。
私の日本国内の世界遺産行脚は❶富岡製糸場(いつでも行けると思っていて未だ行けず)と❷白神山地、❸平泉のみとなっております。年内には行けるのではと考えておりますが、これと並行して上記の伊雑宮レイライン上の遺跡巡りも実施していきたいと思います。ご興味のある方は是非お声掛けください。ご一緒させて頂きたいと思います。
2018年10月号で、AIの導入によって「世界最大級の投資銀行ゴールドマンサックスは、2000年に600人いた株式トレーダーが今は2人しかおらず、全社員の3分の1がエンジニアにかわった(MIT Tech Review 2017.2)」ことなど、金融機関の立ち位置が今後様変わりする旨のお話をしました。
2019年5月号では、急速な人口減少に直面した今、鳥取県の例を引き合いにしながら、労働者確保に当たって福利厚生をより良くしないと人手確保が難しく、人手不足倒産の憂き目にあう可能性が高くなるというお話をしました。
今回はそれらに引き続き第3弾です。副題を少し、刺激的なものにしました。実際に現在、全国の金融機関(大小関係なく)が勢力を費やして調査取組みをしていることがあります。「FATF(ファトフ:マネロン、テロ対策に関して国際的に協力・協調していく組織、金融活動作業部会)」です。
「なにそれ?」と思われたことと思いますが、実は私も最近知りました。これからお話しするのは、マネロン、テロ対策、反社会的勢力へ関係しているかもしれない、あなたの会社あるいはお取引先、更にお取引先の関係会社orグループ会社のお話です。仮に、関係があると認定されると、副題のようなことを、取引先金融機関から申し渡される可能性があります。
「ウチはそんなもん関係ないよ」とおっしゃる経営者の皆さん、ちょっと耳を傾けて下さい。
FATF(ファトフ)による第3次対日相互審査が2008年に行われました。結果は49項目中25項目で「一部履行・不履行」の判定を受け、「要改善」の非常に厳しい結果となりました(27カ国中18位)(注1)。これを受け、犯罪収益移転防止法(以下「犯収法」)は、2011年に改正、更に2014年に再改正されました。
今年の第4次審査は、10月28日~11月15日に行われます。皆さまがこの記事を目にされる頃、金融機関はピリピリしていると思われます。
今回、2008年同様の低評価を受けると、国内の金融機関などの国際取引にも大きく影響を及ぼすと予想され、日本の金融機関全体の信用にも大きく関わってきます。しかもどの金融機関が審査対象先になるか予想もつきません。各金融機関とも対策に万全を期して対処しようとしています。
今回の審査対象での重点候補は、資金が集中する「金融機関」、少額決済を担う「資金移動業者」、「仮想通貨交換業者」です。金融庁は、「低レベルの金融機関が一つでも存在すると、金融システム全体に影響し、日本の対策が脆弱であるとの批判を浴びる恐れがある」と警鐘を鳴らしています(注2)。つまり、対策がなっていないと日本全国の金融機関の対応策が全くなっていない(極めて緩い)と国際的に判断されてしまうのです。
よって低評価の一番くじを引かないためにも、厳密なマネロン、テロ資金供与対策等を、現在全国の金融機関で行っています。また、反社会的勢力(以下反社)の会社を仮に発見してもどう対応するかという問題が残ります。それが金融機関の取引先甲社の取引先A社、そのA社グループの関係会社Bが反社であれば、取引先B社との取引をA社が切らない限り、金融機関から将来にわたって甲社に対して融資が行われなくなることも予想されます。取引先の相手会社A社及び関係会社B社が反社会的勢力であれば、関係を断つこと等が必要です。
金融庁は金融レポートにより、各金融機関に対し、国際部門と事務統括部門との十分な連携と、リスクの特定によるマネロン・テロ資金供与リスクの影響度の評価を含め、マネロン、テロ資金対策の対応を形式的ではなく、実務に十分に反映すべきであることとして注意喚起しています。また、今年の4月に「マネロン、テロ資金供与対策(AML/CFT)に関するガイドライン」を公表し、改正「犯収法」に規定する努力義務をはるかに超える期待水準を課しています。金融庁が国の威信をかけ、並々ならぬ意気込みで第4次相互審査に臨もうとしていますので、金融機関もその対応に追われているところです。
金融庁はガイドラインの中でリスク低減の措置の中核的な項目に「顧客管理」をあげています(注3)。
これは「金融機関等が顧客と取引を行うに当たっては、当該顧客がどのような人物・団体で、団体の実質的支配者は誰か、どのような取引項目を有しているか、資金の流れはどうなっているかなど、顧客に係る基本的な情報を適切に調査し、講ずべきリスク低減措置を判断・実施することが必要不可欠である」というものです。そして「顧客管理の一連の流れは、取引関係の開始時、継続時、終了時の各段階に便宜的に区分することができるが、それぞれの段階において、個々の顧客やその行う取引のリスクの大きさに応じて調査し、講ずべきリスク低減措置を的確に判断・実施する必要がある。」とされています。要するに、疑わしい先はその取引先も含め厳正に資金の調査をする必要があり、リスクの低い顧客は簡素な顧客管理で良いとされているのです。
金融庁のガイドラインでは、金融機関等に要求していることとして、「三つの防衛線」を挙げています。
「第1の防衛線」・・・・顧客と直接対面する活動を行っている営業店や営業部門が、マネロン、テロ資金供与リスクに最初に直面するので、このリスクを防止する役目を担っている全職員に対してこの対策の趣旨をよく理解させ、研修等で周知させるべきだと言っています。
「第2の防衛線」・・・・コンプラおよびリスク管理部門から第一線(営業店等)へ独立した立場から、牽制し、あるいは支援もしなさいと言っており、この第2の防衛線にはシステム部門、人事部門も含まれます。
「第3の防衛線」・・・・内部監査部門。内部監査部門は第1線、第2線が適切に機能しているか定期的にチェックするべきだと言っています。
金融庁は、各金融機関が以上のような体制をとり、マネロン、テロ資金供与対策をとるべきだと言っています。
金融取引をしている皆さまが直接面食らうのは、第1の防衛線である営業店でなされる判断です。口座開設一つとっても、法人口座開設の場合は金融機関窓口で慎重に吟味されます。調査が必要な法人の場合、当日には口座開設してもらえない可能性があります。
また、融資先であるお客様への送金、特にグレー先以上への外国送金の場合、あるいは金額の大きな送金の場合は資金の出所、送金理由等々かなり突っ込んだ調査あるいは聞き取りが行われる可能性があります。ある金融機関では、この厳正な調査が必要となると、外為の手数料も調査費用込みで高く設定しなければならない事態も考えられると言っています。
いよいよ日本の金融機関の国際的な信用度が問われるFATF(ファトフ)の第4次審査が10月28日から始まります。この動きと連動して、皆さまのお取引先に反社等の疑わしい取引先があるようであれば、排除する対策を立てるのも一法でしょう。
参考:(注1)財務省2008年対日相互審査報告書概要
(注2) CoinPost-仮想通貨情報サイトニュース
(注3)金融庁「マネー・ロンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン」
(森下 英嗣)
少しずつ朝夕が過ごしやすくなり、秋に近づいている気配を徐々に感じるようになりました。
芸術の秋・スポーツの秋・食欲の秋など色々とありますが、今回は行楽の秋にお勧めの場所をご紹介したいと思います。
和歌山市加太・紀淡海峡に無人島『友ヶ島(ともがしま)』という場所があります。
友ヶ島は、和歌山県と兵庫県の淡路島との間に位置する無人島群で、沖ノ島・地ノ島・虎島・神島という4つの小さな島の総称です。
その中でも沖ノ島は、明治時代から第二次世界大戦時まで、旧日本軍の要塞施設となっておりました。
旧日本軍の要塞施設となっていた間は、立ち入りを禁止されていたそうで、地図上からも消されていたそうです。
島内には今でも当時建設された砲台や防備衛所跡が残っており、木の茂り具合や人が使わなくなった建物など、ジブリ映画のラピュタの雰囲気に似ていると話題になった場所です。
島内にはキャンプ場もあり、届け出さえすればテントで宿泊も可能ですが、無人島なので設備や環境には覚悟が必要です。
友ヶ島の沖ノ島へは加太港から1日4便ほどフェリーが運航しており、20分程で到着します。
友ヶ島のパンフレットに、お勧めのハイキングモデルコースが二つ載っております。
【名所探訪コース】約1時間20分~2時間30分 / 3.3km
野奈浦桟橋 → 第2砲台跡 → 友ヶ島灯台 → 池尻広場 → 第3砲台跡 → 野奈浦桟橋
【自然探索コース】2時間20分~3時間30分 / 6.0km
野奈浦桟橋 → 南垂水広場→ 深蛇池 → 閼伽井の碑 → 野奈浦桟橋
それぞれ島の3分の1から半分ほどを周るコースになっておりますが、基本的に舗装された道はあまりなく、山道をひたすら進む事になります。
無人島なので1ヵ所にしか自動販売機はありませんし、料金も無人島料金となっておりますので、フェリーに乗船する前に水分補給出来るものを購入しておいた方が良いかと思います。
島のメインは比較的当時のままの面影で残されている第3砲台跡になるかと思いますが、少し離れた所にある、旧海軍聴音所跡も余裕があれば立ち寄っても良い場所かと思います。
聴音所とは敵の潜水艦が近づいていないかどうか、海の中の音を聴いて見張る役目を持つ設備で、敵から見つかりにくいよう、壁に石が埋め込まれていたり屋根に木が生えていたり、景色に溶け込んでいます。
何のために作られた建物なのか、その役割が判明したのは2002年頃だということで、それまでは何のために作られた建物かは分からなかったらしく、長年放置されていたようで、廃墟感満載の建物です。
この他にも島のあちこちに戦時中の名残の廃墟が点在しており、ラピュタのような素敵な光景をご覧頂けるかと思います。
自然と廃墟が生み出す絶妙な空気感と、海に囲まれた無人島に船で向かうという非日常感。
休みを取って旅行に行かなくても、日帰りで少しリフレッシュさせてくれる場所だと思います。
アニメファンにも、歴史マニアにも、アウトドア好きにもお勧めという贅沢なスポットなので、宜しければ是非お出かけください。
第三砲台跡
旧海軍聴音所跡
第二砲台跡
第三砲台跡へ続く通路
第三砲台跡へ続く通路
株式会社ひばりコンサルティング 笠原 慎也さん
〜保険業界のみならず営業に関わる方々の明るい未来造りをお手伝い〜
私の主催する勉強会で【営業】に関するテーマで講師をして下さった方、それが今回の笠原さんです。保険営業に関わる方の中では、研修、著書、DVD等々で相当有名でいらっしゃいます。今回はその笠原さんをご紹介したいと思います。
◆ご紹介はブレイン・サプライの岡さんでした。しかも神社で。
笠原さんと出会ったのは一昨年(2017年)の6月のことでした。しかもめったに行かない福井県でのことでした。ブレイン・サプライの岡さんから社詣のお誘いがあった際に、たまたまスケジュールが空いており日帰りで参拝した際、大型バス内で、岡さんから笠原さんをご紹介頂いたのです。
その時の印象は、自分より年上に感じたこと。そして強面系だと思いました(笑)。笠原さんの前職の会社の社長さんを私が存じており、その関係からも親近感がありました。
・突然の告白も。。。。
初対面でしかもほとんど会話が無かった時に、告白に近いような感じで、『まだほとんど誰にも言ってないのですが、独立しようと思っています』とお話があった際は、さすがに驚きました。
ご本人からもなんで言ってしまったか分からないと後々お聞きしましたが、私がお役に立てるならと思い、その後早々に東京でお会いさせて頂き、独立後のイメージを共有して頂き、私からお伝えできる情報を提供させて頂きました。
・清々しいくらいきっぱり
保険募集に関わる方々、特に生保業界の方々は、自分が保険契約を成約したお客さんはまさにコミッション商売の源泉であり、保険代理店を退職したり、業界を離れても、【固執】する方が多いと聞きます。加えて、大口契約を多く取り扱って来た方々は尚の事だと。しかし大型保険代理店(社員数400名?)のナンバー2として活躍されてきた笠原さんは、自分が成約したお客さんの全てを置いていくこと、保険募集に関わることは一切しないということをすでに決めていらっしゃいました。これはなかなか聞かないお話です。
・岡さんとは12年ほど前から
岡さんとは、12年ほどのお付き合いだそうで、岡さんが三井住友海上を退職してすぐに、ある方のご紹介で出会い、某生保の顧客セミナーを岡さんが講師、笠原さんが見学の立場で参加され、これはすぐに顧客開拓につながると意気投合し、岡さん×笠原さんでDVDを製作、一緒にセミナー登壇等々を行なってきたそうです。また私が出会う前のご縁には、私が岡さんに【ことだま協会】を紹介し、岡さんから笠原さんにつながり、笠原さんが【ことだま協会】を受講するという、岡さんを通じたご縁の広がりもありました。
◆保険業界について感じていることが全く明確に同じでした。
私自身も【ヨソモノ】として保険(損保)業界に長らくお世話になった中で、笠原さんと全く同じ意見を持っていたことを思い出しました。
それは、『なんで保険以外のビジネスをやらないの?』という意見です。
私はキーエンスでの経験が大きく影響しているのか、顧客の本業に徹底的にフォーカスすることが当たり前化していましたので、これだけの顧客基盤、インフラとも言える顧客数を保有しながら、「なぜ本業にしかフォーカスしないのか?」「本業以外に顧客と顧客を結びつけることを無償でやったら喜ばれないか?」「もっと顧客の【本業】に興味を持たないのか?」等々、本当に不思議だったのです。
保険会社在籍時代に、周囲の社員を見ていて、【保険のみにしか興味がない】ということに相当の違和感を常に持ち続けていました。『企業経営者が保険のことを考えるのって1年間で1分程度じゃない?』と言い続けましたが、変化を起こすところまでは出来ませんでした。最近お会いする経営者からもほぼ同様の意見を聞きます。まだ改善が進んでいないようですね。
笠原さんからも、売上はさておき、会社組織の体をなしている保険代理店がどれだけいるのか?とよく話を伺ったものです。また営業の神様と崇められる外資やカタカナ生保営業のお歴々も、実際は営業と一部マーケティングに強みを持っているだけで(それはそれで敬服しますが)、会社経営とは程遠い世界。実際、外資の凄腕の保険会社営業マンも最も良い肩書で【部長】であり、役員にまでなっている人はいないそうです。保険会社(メーカー)が保険の保険料(掛け金)の収受、請求関係を握っており、実際に会社経営をされている経営者の方が余程多岐に亘る領域(人事・総務・その他事業体として必要な組織運営・部署)をカバーしているのが事実とのこと。私も同感です。
このように保険のプロ、営業のプロの皆さんはまだまだ可能性を秘めている。その部分を引き出しお役立ちすることを正業にしていこうとされているのが笠原さんです。まさに恩返しであり、業界の変革のお手伝いをされようとしています。
さらに保険営業から培った部分を保険業界以外に役立てる。それも大切なお役立ちであり、その双方を事業の柱とされています。
◆笠原さんのプロフィールを
想いの部分の次に、笠原さんのプロフィールをご紹介します。
素晴らしいご経歴です。この経歴を辞めてからの起業は本当に勇気が必要であり、称賛に値すると感じます。
ご経歴を踏まえて、今の20代や30代の若い経営者に頑張って欲しいそうで、カルチャーフィット、凹んだ経験等の自分の経歴を役立てながら若い経営者達と取り組んでいきたいとのこと。
【営業】を極めながらも、『売り込みの時代は終わり、売り込みはAIにまかせて、保険単品売りではない世界感を若い方々と創っていく』というお考えを持って事業に臨んでいらっしゃいます。素敵ですね。
◆独立のご相談からまる2年経過して。ひばりコンサルティングについて
笠原さんから頂いた資料には上記のように、研修もやる会社とあります。
また会社HPの仕事の概要として、次のような説明がなされています。
○ひばりの志事「はたらく」とは、傍を楽しくしたり、傍にいる人を楽にすること。ひばりは、人が活き活きとして「笑顔で傍楽(はたらく)組織作り」に貢献します。
1. 「社長のお困り事」のお役に立ちます
2. 「決まる会議」をファシリテートします
3. 「理念を浸透させる」マネジメントスタイルを構築します
4. 「理念が伝わる共育部」人財育成を行ないます
5. 「未来への戦略室」収益のポートフォリオを形成します
6. 「つなげる企画室」事業継続のお手伝いをします
お聞きしますと、保険代理店、企業の顧問・研修、顧問先から派生するM&Aと、この3本柱が事業の根本と捉えていらっしゃいます。特にM&Aに関しては、売り手もしくは買い手のどちらか【片側に寄り添う】ことを主眼とされており、これも顧客主義を貫く姿勢の現れと感じます。
○株式会社アイ・グリッド・ソリューションズ様での取り組みについて
笠原さんには、独立を決められてすぐから、私の懇意な方々に数え切れないほどお会い頂きました。それも多岐にわたる業界の方々に。その中の特に1社、株式会社アイ・グリッド・ソリューションズ様とは相当仲良くしてくださっています。
当初は、【マーケティング顧問】として保険代理店さんと株式会社アイ・グリッド・ソリューションズ様とが事業連携できるようにおつなぎされるところから、営業研修、マネジメント研修、幹部研修、マネージャー研修と同社の主だった社員さんとは皆さんお友達!という関係性を作って下さっています。
また同社の本多社長様とは、全国へご出張に一緒に行ったりもされています。
特筆すべきは、同社の社長プロジェクトであった、全国の会計・税理士事務所、その他士業との事業連携を短期間(1年未満)で達成されたことです。しかも300を超える事務所と提携達成ができたのも笠原さんの前職からの士業ネットワークがあったからこそと、本多社長から感謝の言葉を私にも仰って下さいました。
株式会社アイ・グリッド・ソリューションズ様のみならず、保険ビジネスに関わる方々がグリップしている【マーケット】と今まで出会うことのなかった、スタートアップや多方面の事業会社とのご縁つなぎに楽しみながら取り組んでいらっしゃいます。
◆笠原さんへ一言
笠原さんとお仕事を一緒にされている方々にもコメントをいただきました。
・笠原さんの秘書業務、クラウド上でのご支援をされている木村さんから。
木村さんに関しては、私のコーナーでもご出演いただいたいます。その記事はこちらです。
『笠原さんを一言で表現するなら「義理人情に厚い兄貴分」という感じでしょうか。強面の方ではありますが(笑)、人を大事にする姿勢にはたくさん学ばせて頂いております。営業コンサルのお仕事をされておられますが、笠原さんのような方に来てもらえば、営業の成果が上がるのはもとより、組織そのものが元気になるだろうと感じます。笠原さんを見習って、いるだけで周囲を元気にする「あり方を私も磨いていきたいと思います!』
・続いて、笠原さんの秘書業務を実際に受けていらっしゃる木村さんの会社のAさんから。
『笠原さまは、北海道~沖縄まで日本各地からお仕事のご依頼があり、パワフルにご活躍されているのを拝見しております。チャットでお話をするたびに、違う地域にいて、最初は驚きました。そんな中、いつも適切なご指示を下さり感謝しております。またことあるごとに「ありがとう」などのお気持ちをお伝え頂けるので、いつも楽しくお仕事をさせて頂いております。』
・もうお一方、私のご紹介で仲良くして下さっている、グッドマネジメント総合研究所の加藤さんからも一言頂きました。加藤さんのHPはこちらです。
『笠原さんとの出会いは、杉浦さんが開催するお肉の会でした。ご挨拶で笠原さんの真正面に着いた時、「終わった」と思いましたね。なぜマフィアのボスが会場にいるのか分からなくて、一瞬思考が停止しました。笠原さんの額を見ると大きな古傷。「え?刀傷?」直後、その席から逃げ出そうとしたのですが、笠原さんが声を掛けて下さいました。「杉浦さんから聞いてるよ。お話ししようよ」ガクガク震えながら席に着き、震える声でご挨拶したのを覚えています。お話を伺うと、笠原さんは自社の保険代理店を300名を超える規模まで成長させて、他社の多くの保険代理店も支援し、売れっ子セミナー・研修講師、敏腕の経営者でした。人は見かけによらないというのは笠原さんのためにある言葉ですね。お話をしてすぐに分かりました。笠原さんは、人を大切にし、たくさんの方を支援し、たくさんの方に喜ばれ囲まれている。とってもハートが素敵な方でした。その日からとても仲良くさせて頂いています。笠原さんのIT参謀にも就かせて頂き、今後の様々な業界のこと、テクノロジーのこと、色々な情報交換をする中で、一緒に事業を始めることにもなりました。私が知らないことを本当にたくさんご存知で、ビジネスのご経験が豊富な笠原さん。そして新しいことに挑戦し続ける笠原さん。兄貴と呼ばせてもらっています。これから更にスピーディーに変化する時代。笠原さんと共に新しい事業を生み出し、さらにたくさんの方に貢献していきます。』
と素敵なコメントを寄せて頂きました。
◆笠原さんから私に一言も
リアルにせよ、バーチャルにせよ、杉浦さんと関わらせて頂く時間は私にとって「仏様と向き合ってる時間」のようです。経営者・ビジネスパーソン以前の「人」としてどうあるべきか?今の自分の軸はブレてないか?とまさに「魂の浄化」をさせて頂いている感じです。いつも有難うございます。感謝。
私のことをこんなに褒めて下さって、何か宗教者のようになっておりますが、私自身も身が引き締まる想いです。笠原さんの資料の中に、ニーチェの言葉がありました。【いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、 まず立ちあがり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。】まさにこの言葉通り想いをカタチにし、これからもじっくり確実に歩を進めていかれると思います。その上で、笠原さんのHPにあります以下の3つのやることを拝見すると。
【ひばり3つのやること】
・最大のリソースである「人」のポテンシャルを最大限に引き出し、楽しい笑顔で「傍楽(はたらく)組織作り」に貢献すること。
・保険事業者と世の中のあらゆる産業との結節点となり、乗合代理店の「新しい未来作り」に貢献すること。
・自由闊達なる未来創造企業として「人の笑顔と豊かな社会作り」に貢献すること。
私も上記を意識してお役に立ち、ご一緒できますように。そして間接的ですが、お世話になった保険業界にお役に立ちながら、果たせなかった想いが前に進みますように。
代表世話人株式会社 杉浦 佳浩
(http://100-dream.jp/)
1月1日付にてHPリニューアルしています。↑↑↑
是非ご覧下さい!!
株式会社一笑堂
◆スタッフ1名から始めました
「あてがあるわけでもなく会社を退職しましたが、全然怖くなかったし、そんなに悩んでもいませんでした。」
周りの心配をよそに坂根社長は42歳で会社を辞め、独立を決意します。株式会社一笑堂を設立し、スタッフ1名から建築物美装の仕事を始めました。やがて、坂根社長の人柄や仕事ぶりに共感をする人たちが「私も誘ってもらえないでしょうか」と、一人また一人と坂根社長のもとに集まってきました。
◆ノウハウなしから始めたホテルの清掃業務
幼馴染の副支配人からやってみないかと声をかけられ、是非に、と引き受けたのがホテルの清掃業務です。ノウハウは全く無し。経験者は2名のみでした。ベッドメイキングも時間の感覚も分からず、経験のあるスタッフを中心に、清掃方法はもちろん、どうやったら時間を短縮できるか、無駄を省けるかを毎日話し合います。
こういう洗剤があったらもっと汚れが落ちる。こういう道具を使ったらやりやすい。清掃バッグのポケットの作りにまで工夫を凝らし、少しでも楽に道具を取り出せるよう、時間短縮につながるための工夫や方法を徹底的に話し合い、意見を出し合いました。
◆クレーム“ゼロ”への道のり ~スタッフが自信を持って働くようになりました~
いかに楽をするか。どうやったら効率良くできるのか。ノウハウを構築するのに5年かかりました。初めはクレームが続きます。連絡ミスにより、掃除しなければならない部屋が掃除されていない。ゴミ箱の近くに置いてあるものを勝手にゴミと判断して捨ててしまった等々。その度にミーティングを繰り返し、一つ一つ対策を練っていきます。
「部屋のドアは全て開けること。」「連泊のお客様のお部屋にはマグネットを貼りましょう。」少しずつやり方を変えていきました。
ミスやクレームをそのままにせず、それを直すにはどうしたら良いか、決まり事が次々とできてきました。
ただし、ガチガチに決めすぎず、ある程度自分に責任を持たせるようにしました。押し付けや、やらされ感が生じないようにするためです。口を挟まずに、本人に任せる部分も大事にしました。
次第にクレームは減り、仕事ぶりが評価され、ついにクレームはゼロへ。口コミで他のホテルからも清掃業務の依頼を受けるようになりました。会社が評価されるようになると、スタッフは自信を持って働くようになります。 ベッドメイキングが得意な人、水周りが得意な人、競い合うように完璧な仕事と時間短縮・効率化を目指すようになります。
ホテルにお願いし、メッセージカードも置かせてもらえるようにしました。宿泊したお客様からの「綺麗なお部屋をありがとう。」のメッセージは大きな自信と励みになります
◆どんな人がこの仕事に向いていますか?
コツコツと取り組む“職人肌”の人。
自分がした仕事に自信が持てること。
失敗を失敗で終わらせないこと。
いわゆる、ほうきとちりとりを持って「お掃除が好きです」という感覚ではとても務まらず、仕事の質に対して競い合い、自分の仕事は完璧に仕上げるプライドのある人が長く続いていくようです。
清掃はフロア毎に担当が決まっているのですが、最後の工程は「掃除機」です。上の階、下の階から掃除機の音が聞こえてくると、「早い!もう掃除機の音が聞こえてくる。私も負けたくない!頑張ろう!」という気持ちになるそうです。そうして互いに切磋琢磨しながら技術を高めます。
真夏は汗だくになりますので、ネックファン(首にかける小型の扇風機)を導入し、働きやすい工夫もしています。
◆これからチャレンジしたいこと
以前からしたいなと思っていましたが、新しく「旅館」を始めます。
宿泊施設管理部ではホテル業での70%のノウハウは既に持っています。あとはフロント業務。どうせなら全部やってみたいです。
鳥取県の中程にある、東郷湖のほとりの旅館で11月にオープン予定です。
それから、「衛生管理」です。
まだまだ衛生に対する意識は低く、例えば手洗い講習会を保育園や小中学校で開いて、子供達に衛生管理に対する意識を持ってもらいたい。
見えない部分も綺麗にし、病気を出さない健康な状況を作る。
そういう啓蒙活動をしていきたいです。
◆新しいことにチャレンジするのは、エネルギーがいることではありませんか?
そうですね。でも、任せられる人が育ってきたんです。
以前は、毎日現場で一緒になってやらないと業務が回らなかったのが、今は各現場に任せられるスタッフがいます。だから、新しいことを始める時間もできました。
一笑堂を始めた頃は、毎日誰かしら色んな人が出入りしていました。自分達の事務仕事等は、毎日暗くなってからしていました。
でも、今思えばその人達が営業マンだったのかな。
「困っているなら、一笑堂さんに頼んでみたら。」と色んなところで宣伝してくれたおかげで、これまで営業らしい営業をせずとも、ご紹介でお仕事を任せてもらえたのだと思います。
今は選んで仕事ができるようになってきました。
<ブレイン・サプライニュース>
-
2025/10/10ようやく涼しくなり過ごしやすくなってきましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。 今月は、健康に関する法改正や年末調整について取り上げました。このほかにも皆様にとって有益となる労務に関する最...
-
-
ブレイン・サプライ通信 9月号(9/12配信)
2025/09/12残暑が厳しい9月ですが、いかがお過ごしでしょうか。今月は、地域別最低賃金の改定額について取り上げました。このほかにも皆様にとって有益となる労務に関する最新情報や実践的なヒントをお届けして... -
ブレイン・サプライ通信 8月号(8/8配信)
2025/08/088月は夏休みやお盆休みがあり、労務管理においては有給休暇の取得促進やシフト調整が重要になりますね。特に今年の夏は記録的な猛暑が続いており、熱中症対策が重要です。屋外作業だけでなく、屋内でも... -
-
ブレイン・サプライ通信 7月号(7/10配信)
2025/07/10いよいよ夏本番の7月。人事労務ご担当の皆様は、夏季賞与の支給や社会保険料の算定基礎届提出と、ご多忙なことと存じます。加えて熱中症対策なども必要ですね。水分補給や休憩をこまめに取り入れ乗り切... -
ブレイン・サプライ通信 6月号(6/10配信)
2025/06/10新緑が目に鮮やかな6月となりました。夏の賞与支給や労働保険の年度更新など業務が集中し忙しい時期ですね。梅雨時で体調管理が難しい季節ですが、健康に留意し、この6月を乗り切っていきましょう。今... -
-
ブレイン・サプライ通信 5月号(5/12配信)
2025/05/125月はGW明けの勤怠管理や新入社員フォロー、そして夏の賞与準備など、業務は多岐に渡りますね。当社も新しいメンバーを迎え、チーム体制も変わりました。皆さま、お忙しい日々をお過ごしのことと存じ... -